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政治への失望の時代に思う

 政治家の役割は国家予算の再配分にある。
 企業経営者であれば優先すべき成長事業へ重点的に資源を配分することができる。それがどれだけ幸せなことか。

 国家レベルとなればそういかない。
 社会保障費や国債費用など、硬直性的でまずは動かせない。
 つまり、現代国家の際立った特徴とは何かと問えば、国家予算の硬直性そのものが国家的性格になってしまっているのであろう。

 一方で、個人は個人がゆえに裁量があるはずだったが、現実はどうか。
 多くの個人はカツカツのギリギリだ。
 わずかな収入の2割は社会保障費や税金となり、3割が家賃。食費は2割で、消費に1割の税金。光熱水道雑費で1割。医療費負担に子供への負担があれば赤字。

 カツカツでギリギリの個人像が浮かび上がる。

 つまり、国家も個人もカツカツでギリギリの生活を送っている。
 だから、どうにか政治家にいってもカツカツでギリギリの状態が改善されるわけはない。


 国家として、抜本的な改革としては、果たして、どういうものが思いつくだろうか。

 豊かな生活という意味ではわたしの個人的な見解としては、日本人は食費のウエイト(エンゲル係数)が少なすぎる。自然な農作物や自然な調味料に拘れば、食費は3倍にはなるはずだ。だが、そうはなっていない。
 食べる量を3分の2に落とせば実質的な負担は2倍で済むのだから健康を意識すればそうすべきであろう。
 逆に、国民全体が健康な食事、適度な量に食事を収めれば、将来の社会保障は半分には抑えられるのではないか。
 医者にかからなくてもよい理想的な生活が実現できるだろう。


 個人的な見解に過ぎないが、わが国は建築や不動産に関わる費用が大きすぎる。収入の3割が家賃の相場というのは高すぎる。
 食費は3倍に。家賃は3分の1に。そうすることで、社会保障費は激減できるだろう。
 毎日、口にいれるものが、粗悪すぎるのが国民の病気の元になっているのではないか。日本は欧州と比べると食品への規制が甘いので、欧州人なら絶対に食べないものも食べているのではないか。
 日本は大いなる人体への化学実験大国といってもよいかもしれない。
 少しずつではあるが、食品メーカーもましになりつつあるのが救いだ。


 医療も同様で、日本はカルテや手術のデータが世界でもっとも充実している国で、それは「大きすぎる社会保障費や医療費」が支えている。逆説的だが、それがAIや病理判断や手術ロボットなどに転用できれば、こうした医療データをグローバル展開の創薬などにも活かせる。


 ベーシックインカムが成功したという実例はない。だが、住居費だけでも、企業が面倒を見る、あるいは、地方自治体が住民の住居費だけは面倒を見るという差別化戦略を取ることは不可能ではないように思える。
 こうした特別な企業や特別な自治体に優秀な人々が集えば、何かが起こるかもしれない。


 概ね、全体の1%の人々の意識が変われば、残り99%の社会に影響を与えることは可能ではないか。

 土建屋国家から健康屋国家への国民の資質改善が政治家の新しい役割になるのではないか、などと思ったりしている。


(NPO法人イノベーターズ・フォーラム理事 山本 潤)


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