小屋閉めの手伝い
冬に訪れと共に各地の山小屋はひっそりと営業を終えて、戸を固く閉じて春が来るのを待つ。奥秩父は甲武信ヶ岳にある甲武信小屋も11/30に春からの営業を終えてしばしの冬眠に入った。
まつと行った9月の東沢の折、甲武信小屋に立ち寄ると徳さんがいて熱い茶をいただきながら話をしていると「甲武信の小屋閉め作業を手伝ってくれないか?」とお願いされた。僕は二つ返事で快諾した。今年は小屋明けも手伝ったので最後の小屋の様子も知りたいし何より人手が足りないのだろうと。
しかし、10月半ばに肋骨骨折の怪我をしてからなかなかボルダーなどが出来ずにいて、重いものを持てるかとか不安があったものの、直前までになんとかクライミングが出来るようになっていたのでお手伝いすることにした。
11月29日、毛木平から入山する。日曜日とあってか駐車場には20台ほどの車がいた。前日降った雪はナメ滝を越えると増えてくるがアイゼンはつけなかった。途中日帰りの登山者がたくさん下山してくる。なかにはアイゼンなく途中で引き返した人も何人かいた。
↑↑源流の水 外気温の方が低くて水が温かく感じた
甲武信ヶ岳では快晴の天気。遠く北アルプスの眺めが素晴らしいけど、足元の東沢の深い渓谷、そして今日きた千曲源流の切れ込みが色濃く映る。小屋には14半頃に着いた。支配人の宗村祥一さんと奥さまのゆきさんに出迎えてもらう。小屋開け以来振りだけど元気そうで良かった。
仕事内容などを確認していると、水源からのポンプ引き上げは雪が降る前に片付けたそうでほんとに大変な作業は終わっているようであった。ポンプは30キロ以上あるし、なによりポンプ小屋から甲武信小屋までは大変な急坂なのだ。ほんとにお疲れ様ですと言いたい。
予想より早く着いたので早速仕事をすることに。食料庫に越冬させる調味料や酒油などを運搬して茶箱にいれたり、薪運びなどを行うと夕暮れが近づいてくる。さすがに到着したのが夕方前だったので大したことは出来ず、暗くなってくると一気に気温が低くなってきた。
今年の最後の泊まり客は大弛からきた女性が一人。
ほんとは徳さんも小屋閉めに来るはずだったのだけど、都合により来れず。食料が一人分多く、もはや食料を減らすことも仕事と言わんばかりの量であった。そして夕食。やっぱりめちゃくちゃ大量の食べ物が出てくる笑
夕食後はカエルの前で今年の小屋というか甲武信ヶ岳の様子を聞いた。
シャクナゲの時期はやっぱり全然人が来ずに大変だったようだ。しかし、夏頃からちょこちょこ人が来てくれた。北アルプスの小屋事情でこっちに人が流れてきたのだ。しかし、それでもツアーなどは殆どなしだった。それでも小屋は人がまったく来ないということはなくて徐々に人は増えてきてくれたという。11月はテントも満席、小屋も制限して数でギリギリという日もありホッと出来たという。
↑↑カエル型の暖炉 カメレオンと間違える少数派もいるとのこと
どこの小屋に行っても聞くのだけど、印象に残る登山者はいたか?するとこんなんいたよと…。
1、「今、五郎山にいるんですけど…。」
15時頃に小屋に電話。どうしたらそんなとこに行くの!?下の方の植林帯でピンクテープをひたすら辿ったとのこと。地図見ましょう!
2、「あんた誰!?」
夏のとある夜のこと。その日は泊まり客なく、祥一さんは2階の煙突の近くの暖かい所で寝ていた。朝方、目覚めると誰もいないはずなのに布団を引いて寝ている人が!!あんた誰!って思わず言っちゃったそう。その人は夜9時頃に着いたトレランナーで誰も出てこなかったのでとりあえず小屋で寝させてもらったそう。そしてやりとりのあと、「朝食って出ますか?」……出せます…。
3、鶏冠尾根のこと
鶏冠尾根は東沢から岩峰鶏冠山を経て木賊山を経て縦走路に出るバリエーションルートだが最近は多くの人が歩いている。しかし、実力不足の人がここ最近目立つのも事実で、鶏冠尾根で来る小屋泊者が夜になっても小屋に来ないということが何度かあったという。
小屋番は心配になりながら寝ずに待たなければならない。待つにしても、救助に行くにも大変な労働だ。理由はどうであれバリエーションに挑むにはそれ相応の準備や体力が必要だ。人が最近多いから大丈夫なんてことはないのだ。小屋の人が待ってることも頭の片隅に入れて挑むことも考えなければ。僕も廃道や藪尾根、岩のバリエーションをやってるから他人事ではないんだ。
他にもいろいろな話を聞いたけど挙げたらきりがない。暖かいカエルもあと少しで長いおやすみに入る。。
11月30日
朝飯もやっぱりたくさん。いよいよ小屋の窓に板をして封印していく。雪と人間や動物の侵入を防ぐこの板はでか重い。二人で支えて釘で打って次々とそれをこなしていくと段々小屋の中が暗くなっていく。寂しくなってきたなぁ。それにしても寒い寒い寒い。
甲武信の小屋は東面にあり、北も南も山肌に守られていて風の影響を受けない。昔ここに小屋を建てた人は良いところを選んだ。しかし、山肌に守られている分日陰だ。小屋の段々斜面はポカポカなんだけど。軍手で作業してるとすぐにかじかんでくる。
ほんとによくこんなところで小屋番として何日も入っていられるものだ…。素直にそう思う。ゆきさんはなんと滞在40日目だそう。
時間はすぐに過ぎていき、正午頃には陽は甲武信に傾き気温が下がり始める。お昼ご飯は大量の豆カレーだ。おそらく茶碗4杯分くらい??ゆきさんは料理が上手だ。
お昼を食べてから続きをこなして、最後の薪運びを終えるともうあたりは暗くなってきていた。今日は笠取から来る大学生がテント泊。ほんとに最後のお客だ。
特別に夕飯にご招待することに。
夕飯は大量の肉鍋。おいしい。大学生の話を聞いて二十歳だと。これからいろいろなことが出来るねって。俺もこんなことを言われてたことがあったなってしみじみ思った。明日は大日小屋までいって、明後日は瑞牆山を極めて増富温泉まで降りるとのこと。長いなー。でも一人でやりきれればそれは一生の思い出になるなー。
夕食後、みんな寝たあとカエルの前で少し暖まりながら考え事。なんやかんやでclimbingのことだった笑。このなにもしない時間が愛しい。パチパチって音しか聞こえない。今宵は一段と寒い。遠く関東平野の夜景まで見渡せた。
↑↑山の奥にまた山々
12月1日
いよいよ山小屋最後の日。朝飯は山崎冬のパン祭りと言わんばかりの大量のパンが出てきた。食べきれないものは僕の翌日のclimbingの行動食までになった。最後に水回りを綺麗にして、トイレの水を止める。小屋の電源を落とす。最後は僕がやれることは殆どなかったと思う。下山の準備をして小屋を出てから玄関に板をして釘を打つ。よく晴れた日の下山になった。
お疲れ様でした。また来年も来たい。
私は小屋の仕事のほんの一端をお手伝いしたに過ぎない。一年を通して多くの困難があったに違いない。ぼっか、救助、お客様とのやりとりetc…。十文字では道の巡視作業をした。小屋の仕事、それは多くの自分を犠牲にしている。小屋に入ると覚悟を決めたときの気持ちは私は一生知ることは出来ない。山小屋は今の社会の中でどういう存在だろうか。一つ言えることは、また来たいということだけだ。