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「0→1 を生み出す」という虚構神話

じいさんの一周忌がまもなく終わり、約5年ぶりに自分の時間がゆっくり持てそうなので、乗馬を再開することにした。

馬から学べることは多い。とくに、自分と異なる他者との接し方など、馬からの学びは奥が深いので、改めてきちんとその作法を学びたいと思ったのだ。

昨日、お試しで行ったクラブの先生から、
「型をまずは身につけましょう。型がないと「型破り」もできません。型さえ身につければ後は何でも自由にできます」
という全く100%同意の言葉を聞き、このクラブに入会することを決めた。

徹底して基礎を身につけないと、実は新たなことは何もできない。と、僕は思っている。
これは何事にも通じることだと思っている。
農業もものづくりもクリリエィティブなアートも。

伝統を徹底的に学んで、その中に没個性して、やっとほんの少しオリジナリティを出せる程度なんだよ、と僕は大学で英国を代表する詩人TSエリオットの詩や評論を読んで学んだが、さいきん本当にそうだなと実感することばかりだ。

本当の革新は、伝統をきちんと受け継いだなかにしか生まれないと思う。

なぜならば。

「0→1」という、若者受けしそうな言葉がある。
私は0から1を作るのが得意で〜、
そういう仕事やりたいんです〜

1を2にできない若者が、0から1を生み出せる訳がないし、そもそも、0から1を生み出すという概念自体が虚構だし、おこがましいと思う。

とか、もはや、死語だと思っているが、

「セルフメイドマン神話」
歴史を持たないアメリカ人が、伝統を重んじる保守的なヨーロッパ貴族に対抗して作った概念だ。

これは全てを自分で0から切り開くことがカッコいいという神話だ。

騙されてはいけない。アメリカが仮に今世界最強だとしても、その基礎はアメリカには豊かな天然資源と広大な土地があるからで、それらを一千万以上のネイティブアメリカンを殺して奪ったことからアメリカの歴史が始まることを。

そして、彼らの行為を正当化した思想の背景にあるのは、ジョンロックの私有財産とかいう概念だ。たしか。

先日、宮治豚の宮治さんが関わっている家業イノベーションラボというものに参加してみた。
(僕の解釈では会社を継承したみんながどう頑張って発展させていくかを考える集まり)

2代目や3代目は、自ら会社を立ち上げた起業家がもてはやされる時代に、何となく肩身がせまい。

けれども、僕は2代目や3代目の皆様にこそ日本の未来がかかっていると思っている。なぜなら彼らには先代達が蓄積してきた知恵や資産があるからで、これらをどう有効に活用してイノベーションを起こすかだけを考えれば良くて、いちいちあくせくして知名度あげたり、金稼ぐためや社員の給料を稼ぐためにやりたくないことやらなくて済む率が高いからで、そのほうが会社を日本や世界のために役立つ公器にするのに、優位な立場にいると思うからだ。

(注。問題はそういう伝統の連鎖を断ち切る相続税という悪魔のシステムが我が国にあり、ここをうまく乗り切らないといけない。この話はまた今度する)。

なので、スタートアップももちろん結構だけど、志を受け継ぐ2代目や3代目の家業にこそ僕は期待している。

「0→1」への信仰は、学校教育やアカデミックな世界にも悪影響を及ぼしていると思う。
基礎の国語や数学などをきちんと学ばないと、新しい知見になど到達できる訳がない。

まずは人真似でいい。0から1を自ら産みだすのではなく、人の真似して1を学ぶことが大事だ。基礎を、作法を、伝統の知恵を身につけることがまず寛容だ。

そもそも1を生み出すなんて、幻想かもしれなくて、1というのも含めて、全てはすでに宇宙にあるものなのかもしれない。それを僕たちは一生をかけて思い出すだけなのかもしれない。

だから、ぼくは、馬を通じて、普遍的な、伝統的な、他者との向き合いかたの作法を改めて学ぶことにした。


注。ここに書いていることにぼくの独創性はほとんどなく、全て偉大な先人たちが書いたり言ったりしていることの寄せ集めである。

20190414 自宅にて

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