これからの世界に必要なテクノロジーについて、僕の思うこと 。その壱
テクノロジーは、僕の理解では、大きく2種類に分けることができる。
⓵ 効率化、省力化、人を楽にする(便利)のためのもの。
⓶ 人間の能力を増幅化、身体を拡張化するもの。
一般に、現代の社会課題の解決に求められがちなのは、⓵のテックで、人口や労働力が減少するなかでの経済成長や少子高齢化が進む社会課題に資するテックとして、ここ数十年期待されている。
例えば、自動車の自動運転などはこちらに分類される。人を楽に効率的に目的地まで運ぶためのものとして。
こちらのテックはあまり習熟を要しない。
⓶のテックは、どちらかというと、あまり役に立たなそうもので、研究予算がつきにくく企業の投資が行われにくい分野で、ARだったりメディアアートだったりする。行き過ぎるとアートになる。
人を楽にはしないが、楽しませたり、人の五感を研ぎ澄ましたりする。使う者にも習熟を求める。
車でいうと、セグウェイなどのパーソナルモビリティはこちらの分類で、効率的に人を運ぶには適さないが、機械が足の一部のようになって、身体が拡張して、これまでにはない移動の感覚を味わうことができる。
単なる近距離の移動なら自転車で良いと言われるものだ。
例えば、ロボットでいうとウェアラブルのロボットなどもこちらの要素がある。手の動きを出来るだけ細かく再現し、手の動きとシンクロするようなロボットテクノロジーだ。こちらもなんの役にも立たなそうだが、機械と身体がシンクロする感覚はきっとたまらなく嬉しいものだったりする。
自動車で例えると、ハンドルやシートが身体の動きとシンクロして、車自体が身体の延長に感じられるテックだ。たぶん一般に良い車はそういう感覚を味わいやすい。乗ってて楽しいクルマだ。
図でまとめるとこのようになる。まだ荒いけど。↑
伝統技術で考えてみると、例えば、箸とスプーンが分かりやすい。
効率的に楽にたくさん食べるなら、スプーンが適している。
箸は習熟を擁するうえに少しずつしか食べられない。けれども本当に良い箸は指先の延長として指先そのものとなって、食べ物を触覚として味わうことができる。
ものにもよるが、より美味しく食べるなら、箸のテクノロジーのほうが適している。
(このことを教えてくれたのは、株式会社和えるの矢島里佳さんだ。矢島さんの書くコラムを読んで僕の思ったこと)
日本の伝統的なテクノロジーは、⓶の要素を備えたものが多い。
効率的に人を殺すなら、銃がよいが、人を苦しめずに美しく殺すなら日本刀のほうがいい。
楽に片手で大量にビールを飲むなら取っ手付きの大きなビールジョッキがよいが、有り難く両手でお茶を頂くなら湯飲みのがよい。
つまりテックは⓶の方向に極めていくと、アートに近づいていく。
しかし、テックとアートはもともとは1つのものの表と裏でもある。
テックの語源である「テクネ」には、テックとアートの意味がある。
アートというと、デザイン性や見た目の美しさや奇抜さを連想しがちだが、本来は違う。
ものの本質そのものも、アート(Art)だ。
英語の意味を調べれば分かる。
芸術家にはそう見えている世界や聞こえている世界を、そのまま表現したものがアート作品と呼ばれるものだ。
ゴッホには世界があのように見えていたにすぎず、バッハには世界があのように聞こえていたに過ぎない。彼らはそれらを創作したというよりは、世界を見えたり聞こえたりしたそのまま表現したと僕は理解している。
テックもしかりで、発明というよりは、本質は、ものの本質の発見だ。世界はこのように動いていることを発見して、それを抽出する行為だと思っている。
東大准教授で、ペッパーの感情認識テクノロジーの生みの親で、彫刻家で、空手家で、数学の天才の光吉俊二さんは、彼にとって「今では数学こそがアート」だと言う。
光吉さんはそのアートである数学をもとに、これまでにない新たなロボットを開発中だ。
光吉さんの中では、テックとアートが一致している。
自動車の開発に話を戻すと、本当に良い自動車とは上記の⓵と⓶の両方を備えたものだと思う。
自動運転もよいけど、それだけでみんながその車に乗りたくなるとは僕は思わない。
究極的には自分が動かしているけどまるで動かしていないみたいな感覚を実現できるとかが必要ではないかと思っている。
乗馬は本当に達人になると、行けと念じるだけで進むし、止まれと念じるだけでとまる。人馬一体の境地だ。
上記の⓵と⓶の真ん中こそがこれからのテックの目指すべき方向性だと思っている。
近代以降、人類は貧しさから脱却するために、いかに大量にものを作り、運ぶかを主眼にテクノロジーを開発してきた。結果、多くの人が食べ物やもので満たされるようになり、生活はとても便利になった。
一方で、本当に豊かになったのかというと、本当にそうなりましっけ?と、首を傾げたくもなる。
まちづくりに必要なテックを例に考えてみた場合、左側のテックばかりが強調されすぎていて、右側に資するテックはあまり考えられていない気がする。
けれども本当に豊かな暮らしというのは、左と右の両方の要素が必要なのではないかと思っている。
単に昔に戻るのでもなく、テックや資本主義を否定するのでもない。
最先端テックと伝統的な技術・知恵が交差する地点だ。いやもとは一緒だから、再会する地点だ。
僕たちがチャレンジすべき新世界はそういう世界だと思っている。
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平成最後の日に
箱根芦ノ湖にて
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