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「特技・我慢」というかんじで生きてきた
子供の頃から強烈に「私が我慢すればいい」と思う家庭環境で育ってきた。
父が働かないので家にお金がなかった。
母親は毎日私を八つ当たりのはけ口にしていた。
幼少期、脳が形成される段階で「自分が生きる世界は安全ではない」と思う経験は、大人になってから困難に当たるよりも当然圧倒的なトラウマをつくる。
家の中が平和ではなかったので、私は外の世界に平和を求めた。
家の中に笑顔はなく、すさみきっていたから、外の世界には笑っていてほしかった。
そうでなければ私が平和に生きられる場所は存在しないことになってしまう。
私と話す人たちが嫌な顔をしているのは耐えられなかった。
空気を良くしたかった。
たくさん笑わせた。
私が家の中でしている経験は「ネタを仕込んでいる」と思っていた。
ネタを仕込んで、上手に変換してアウトプットしたらみんなが笑ってくれる。
嬉しかった。
そして私はたぶんどこかでカン違いしていった。
「私が辛いことに耐えて、外の世界を明るくすれば、世の平和は保たれる!
私は世界を救うヒーロー!」
くらいに思っていったんだと思う。
とにかく「空気が悪くなる」発言は1ミリもできないようになっていった。
みんなが悲しい顔をすると、こっちの方が発狂するくらい悲しくなった。
そして「もっと」「もっと」というふうになっていったと思う。
「みんなには耐えられないかもしれないけど、私には耐えられるよ」と、
ある種傲慢な自信にもなっていったのかもしれない。
だが歳を重ね時代は流れ、私がどれだけ耐えても耐えても耐えても、
世界は平和にならない。
争いは起こり続ける。
当たり前だ。
私ひとりに何の力もない。
ただ「力がある」と思い込みたくて無理をし続けてきた。
私は今、私に謝っている。
「だいぶ無理をさせすぎてきて、すいませんでした」と。
幼少期、本当に望んでいたことは、人を笑わせることよりも先に
「自分を笑顔にして守ってくれる存在がほしかった」
ということだ。
物理的に私を守ってくれる腕は存在しなかった。
今、時空を超えて、私が私に
「よくがんばってるね。辛いね。」と声をかけている。
私が本当にかけてほしい言葉は、私にしかわからない。
私に外の世界を変える力はない。
ただ私は私と仲直りすることに全力をそそぐ。
私の手をもう離さず握り続ける。