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縄文時代について読書中(シンクロニシティ現象発生か?)/「縄文時代」(箸山田康弘・吉川弘文館)

縄文時代について読書中(シンクロニシティ現象発生か?)1
縄文時代の基礎知識を得ようと、関連書籍を読書中で、現在2冊目です。
今読み始めたのは、「縄文時代」(箸山田康弘・吉川弘文館)です。

何故、一から縄文時代の知識を得ようとしたかは、今までのいきさつからであり、縄文時代に興味があったわけでもありませんでした。
また、諸先覚者の「次時代は日本人の縄文の心(和の精神)が席巻するようになる」旨の説に捕らわれると、すべてが見たいものを見て共感したいものに共感するという状況に陥ってしまい「結論ありき」の姿勢になってしまう事の恐れがありました。
成る丈、先入観なしに縄文時代の事実関係を把握し、自分なりの発見や謎解きが出来たら良いと思ってのことです。

自分なりの縄文時代への理解と「次時代は日本人の縄文の心(和の精神)が席巻する」旨の説とを合体してみて、その正当性なり疑問点なりを総合して判断して行きたいと思っています。
ーー
前記書籍の「はじめに」にて、まず軽い驚きがありました。
『1970年代になり「日本列島改造論」の実施に伴う国土開発などで土地か掘り起こされ、それまでの遅れた貧しい生活をしていたという縄文時代のイメージが覆されて、「豊かな狩猟採集民」だったということが知れました』旨の文章がありました。
そして、その発掘された遺跡の中に「埼玉県寿能遺跡」の文字アリ。
・・・寿能(町)といえば、自分が新入社員時代にお世話になった独身寮があった所です(今はなくなっています)。しかも発掘された時期は自分が住んでいたころとクロスします。
地図で調べますと500m位の距離しかありません。
昔だと、珍しい事もあるものだ、で終わってしまう所ですが、このところシンクロニシティ現象的なことが多いので、「またか!!??」と思った次第です。


勿論、単なる偶然と思いますが、
神奈川県から就職で埼玉県に移動して最初に住んだ土地が、大昔の縄文時代のムラ付近だったということで、縄文時代に親近感を持ったことは事実です。
また、貝塚があることから、海は現在よりかなり内陸にあったことが分かります。

追記:
行田市にある「さきたま古墳」は、埼玉県名の発祥とも言われますが、最近何度か見に行ったりしてます。埼玉県は、古墳や遺跡の多い県のようです。
新入社員時に、さきたま古墳近くの県道?で、市民マラソン大会があり、会社の部署での有志参加したことを思い出します。
行田市は全国的には無名に近い土地だったと思いますが、ドラマ「陸王」の舞台となったり、映画「翔んで埼玉・第二作」では、行田タワーが出てきたりで、名が知れてきた模様です。古代の蓮の花でも有名です。
新一万円札の肖像の渋沢栄一の生まれ故郷の、深谷市の「血洗い島」は、行田市から北へ熊谷市の隣に位置しています。
・・・観光案内みたいになってしまいましたが、自分の関係していた土地が、実は歴史上の大舞台だったのか?的な感慨があります。


縄文時代について読書中(シンクロニシティ現象発生か?)4
「縄文時代」(箸山田康弘・吉川弘文館)を読み始めた所で、従来は読了後感想を書いたりその内容を記事に反映するという方法を取っていました。
しかし本書は読みごたえがあり様々な示唆に富んでいるようなので、心に引っかかったり何らかの参考になる部分を、その都度ポストして行こうかとも思っています。最終的には日本の未来を予想するためです。

ご興味のある方はご覧いただければ幸いです。
もし何らかのインスピレーションでもお湧きになれば幸甚の至りと存じます。
ーー
<前回内容のおさらい>
・入社時は大宮区寿能町にあった会社の独身寮に住んでいた。
・当地は縄文時代のムラがあった地区であり、当該書の「はじめに」に、いきなり記述されていたのでやや驚いた。
寮から500m位の場所で縄文時代の遺跡が見つかったが、時期は自分が住んでいたころとクロスする。
この点が「シンクロニシティ現象発生か?」と副題に入れた理由です。
実際は単なる偶然と思いますが、最近特にシンクロニシティ現象が多いので、何かあるのか??とも思った次第です。
・寿能遺跡等は、縄文人や文化に対する見方が大きく変わったという点で評価されている。
・従来、『縄文人は、狩猟採取型経済であり、「貧しくも平等な社会」を営んでいた』
⇒以降、『縄文人は、狩猟採取型経済であり、「豊かな複雑な社会生活」だった』

<今回新規に分かった事>
・「縄文時代・文化」から、次の「弥生時代・文化」へは、「進化論的な考え」であった。
=貧しくも平等な社会への不満から、農耕も加わった豊かな社会へ進化した。だがムラ同士の争いごとも起こった
・1970年代の新規遺跡発掘調査からは、前説が覆された。「進化」ではなく「変化」だった。
=縄文時代は、「都市計画」が存在する、複雑だが機能的な豊かな社会だった。
・今思い出しましたが、自分の部屋に持ち込んだのは身の回りの物、ギター、本などですが、何故かにわかに興味が出たアトランティスやムー大陸の関連雑誌もありました。太古の謎の歴史。
当地が縄文遺跡付近だった事と、まさに縄文時代や縄文人を調べて明日の日本を考える糧にしようとしている事が、何十年の歳月を超えてシンクロしたようにも思えて来ます。ドラえもんであれば行って見てこれるところです。

<個人的意見>
・縄文人はややモンゴルやアイヌ系に近い丸い顔だちだったように見受けられるが、次世代の弥生人は、顔立ちがほっそりやや朝鮮系の顔だちのようにも見える。(縄文人は大陸の北方面から渡来した。弥生人はそれよりも南方から渡来した)
・縄文時代(あるいはその前の旧石器時代)に、日本列島は大陸から分離移動したようだが、弥生時代以降は、朝鮮半島から海路日本に大陸人が流入した様だ。
・縄文人と弥生人で、生活様式や顔だち等がかなり変わったのは、同じ大陸でも若干人種的な違いがあるのではないか?
・縄文時代・文化から弥生時代・文化への変遷は、「進化」ではなく単なる「変化」ではないのか?以降の日本人は、縄文系と弥生系が入り混じっている。
・日本だけが特殊な文化や争わないという基本的な性格があるのは、大陸から分離し日本列島という島国になったからではないのか?
・縄文時代末期よりずっと後の、飛鳥時代に編纂された「古事記」「日本書紀」の神話の世界観、日本誕生とは、日本が大陸から分離した時期の事を指すのではないだろうか?(勿論、奇想天外な物語として記述した)
・蛇足ながら、どちらかというと見かけは、父親は縄文人風、母親は弥生人風、自分も弥生人風と思います。(自分が韓流風に見られるという事はないと思います)

<今後の方針のひとつとして>
・神話の世界と、現実の日本の歴史的な出来事とのマッチングを行いたい。
・「縄文の心(和の精神)」が、日本独特の美徳であり、今後世界を席巻するという説もあるが、
縄文人=現代日本人の祖先であり、生物学的には現代人とあまり変わってない様なので、先祖がえりは容易に思われます。基本的に縄文人は平和的であり、自分はスメラ的人間だったと予感しています。
・ただ、大陸からの別系統の弥生人=現代人でもあるので、弥生人はやや戦闘的で、スメラとは言えないのではないか?
・縄文人の心は潜在的に日本人の多くの人が持っていると思われます。
「和の精神」とは、飛鳥時代の聖徳太子が編纂した「十七条の憲法」に「和をもって貴しとなす」にも記述されています。
当時の豪農たちの諍いを静めるべく、もしかしたら縄文人の平和的な心を取り戻せ、という決意文のようなものではなかったか?という仮説も成り立ちます。

☞ 以上のような観点からも、調査研究を続けたいです。
世界中の多くの人が、
独特の文化を持ち、東北大震災や能登半島地震でも暴動や略奪も起こらず平和的に黙々と復旧に勤しむ、耐性の強い日本人に、何らかの期待をしていることは事実です。
多くの先達の意見や定説を尊重しつつつも、自分なりの今後の歴史的な展開の予想やサジェスチョン(提案)、自分で出来る範囲の事は実行する、等を行って行きたいと思っています。

今度は、考古学者や歴史学者になったような気分がしています。
吉村作治教授やインディ・ジョーンズ。まさか!!

縄文時代について読書中(シンクロニシティ現象発生か?)7
追記:考察中でもあり、荒い書き方になっていますが、
縄文人はスメラ(天意を降ろす人)的要素の強い善人と思いますが、現在は弥生人の要素も混じり、スメラ的人間は少ないと推察。
日本列島が大陸から分断されて島国になり、日本は独特の文化と平和指向の伝統が継続されて、縄文人&弥生人の末裔である現代人が居る、と言う状況と思います。

12/8 時点の自分の意見:
1.前述のように、1980年前後に縄文式遺跡の掘り起こしが盛んになり、縄文時代・文化の意味付けが、弥生時代・文化の進化前の状態ではなかったことが明らかになりました。変化であった。
それから40年弱経っても、旧来解釈が居残って、新解釈の縄文時代・文化が確立しない状況にあったようです(2017年時点で)。
本書では、保守思想、前例踏襲型の歴史学者の弊害が指摘されています。

2.あまり急激に考え方を変えたくない、このままで良い、という態度は、何やら昨今の多くの政治家の姿勢と同じに見えます。
日本は外国からの圧力がなければ変わろうとしない、保守指向の強い国民性だというのは本当のようです。

3.与野党の攻防の中で、革命的変化が為されるのか?トランプ革命などの外圧によって急激なる改革が余儀なくされるのか?
縄文時代・文化の実態調査を行っているうちに、現在の日本人の抱えている欠点(=自ら変わろうとしない)が、明らかにされたように感じます。

4.希望は、スメラと言われる人たちの「天からの啓示を伝えよう、天からの啓示によって世の中を変えて行こう」という、「外圧」に頼らない世直しの機運が広がって行くことにあります。

スメラ、有意の人、先覚者、預言者など総動員で、現状の政治を変えて行こうという動きが高まることを祈ります。

<今後の指針のひとつとして>
旧来の固定化された説を覆すのは、何時の時代も大変のようです。
・リスクを冒したくない、失敗したくないがための、前例踏襲型の考え方は、特に日本人に多いようです。
・「縄文時代は貧しい変化のない時代だった」という旧来の説が覆され、「縄文人はダイナミックな変化や改革を好む人達だった」となれば、
スメラ達を先頭にした縄文時代・文化への回帰現象が起これば、もしかしたら、現在の行き詰った西洋型・物質文明、競争社会からのパラダイムシフトを引き起こすかもしれないと思い至りました。

追補:天動説から地動説へと考え方を180°変えた、コペルニクス(またはガリレオ)をモチーフに謳ったものと言われています。
(宮﨑駿監督作品「君たちはどう生きるか」のメーンテーマである「コペルニクス的転回」の、あのコペルニクスです)

The Beatles - The Fool On The Hill (Official Video)


Fool On The Hill(HPより)

Day after day, alone on a hill
The man with the foolish grin is keeping perfectly still
But nobody wants to know him, they can see that he’s just a fool
And he never gives an answer

来る日も来る日も、丘の上に一人
まぬけな笑みを浮かべた男が、ぴくりとも動かない。
それでも、誰も彼の事など知りたがらない、みんな彼をただの馬鹿だと思っている。
そして、彼は何も答えない。

But the fool on the hill sees the sun going down
And the eyes in his head see the world spinning around

でも丘の上の愚か者は、沈む夕陽を見ている
そして知性の眼で、ぐるぐる回る世界を見ている

Well on the way, head in a cloud
The man of a thousand voices talking perfectly loud
But nobody ever hears him or the sound he appears to make
And he never seems to notice

あれこれ空想しながら
1000もの声を持つその男は、とてつもない大声で話している
それでも、誰一人として彼の声もその音も聞いた者はいない
そして、彼も全く気にしていない様子。

But the fool on the hill sees the sun going down
And the eyes in his head see the world spinning around

でも丘の上の愚か者は、沈む夕陽を見ている
そして知性の眼で、ぐるぐる回る世界を見ている

And nobody seems to like him, they can tell what he wants to do
And he never shows his feelings

みんな彼が好きじゃない、彼の狙いならわかっている
そして、彼も決して感情を表さない

でも丘の上の愚か者は、沈む夕陽を見ている
そして知性の眼で、ぐるぐる回る世界を見ている

ぐるぐるぐるぐる回る世界を

彼は奴らの言葉なんて気にしない、奴らこそが愚か者だと知っている
奴らは彼を嫌っている

丘の上の愚か者は、沈む夕陽を見ている
そして知性の眼で、ぐるぐる回る世界を見ている

縄文時代について読書中(シンクロニシティ現象発生か?)9
12/10 時点の自分の意見:
日本列島が中国大陸から分離して島国になった時が「日本誕生」であり、それから日本独自の文化や日本人と言う人種が生まれて育っていったという認識です。
日本列島が中国大陸から分離したのは、縄文時代の前なのか?後なのか?という疑問が起きたので、その時期はいつからかを調べてみました。
参考資料のひとつとして、東映教育映画部製作「新しい地球の科学 日本列島の誕生」を添付します。


新しい地球の科学 日本列島の誕生
作品概要 製作:東映教育映画部 製作協力:ヨナイプロダクション 1992年 カラー 30分 日本列島はどのようにして誕生したのか。プレートテクトニクスをもとにした最新の地球科学の成果を、科学的思考と実証の方法を含めてわかりやすく解説した作品。 補足 プレートテクトニクスとは、地球の様々な変動の原動力を地球の全表面を覆う十数枚の厚さ数十kmほどの岩盤(プレート)の運動に求め、そのプレートの境界部に様々な変動が生じることにより、地震や火山をはじめとする様々な地学現象を統一的に解釈しようという考え方であり、1960年代の後期に登場した。 (引用:www.jishin.go.jp/main/yogo/e.htm) 監修 東京大学海洋研究所 平朝彦 指導 国立科学博物館 斎藤靖二 高知大学理学部 岡村眞/波田重煕


① 約1万年前(縄文時代早期)に、日本列島と朝鮮半島か陸別れをして「日本誕生」となったようです。
北海道側はサハリンと小水路によって繋がった状態が続いていた。

② 以降、中国大陸からの人の移動は、
中国大陸北部のアムール地方からサハリンを通て、海路北海道へのルート、
朝鮮半島から船で日本へのルート、があったと考えらえます。

③ 縄文時代は、紀元前1.3万年~紀元前500年(紀元前5世紀)で、上記のように朝鮮半島が分離した後の時期です。
中国は商王朝(中国最初の王朝)。その領土は、黄河と長州下流にあった。

④ 旧石器時代から縄文時代までは北海道から沖縄までほぼ同じような文化だったと考えられています。
(旧石器時代は、北のサハリンルートと、南の陸続きの朝鮮半島ルートがあった。縄文時代からは、南の陸地が分離して朝鮮半島と日本間は海となっている)
☞ 縄文人は北ルートから弥生人は南ルートから、日本に流入したと考えているが、旧石器時代から縄文時代までは弥生人や弥生文化の痕跡がないようだが何故か?
☞ 縄文文化はほぼ全国均一だが約2,500年前にはじまった弥生時代からは、北海道の「北の文化」、本州・四国・九州の「中の文化」、そして琉球諸島の「南の文化」と3つに区分されるようになった。
弥生文化は違っておりパラダイムシフトしている。
旧石器時代末期&縄文時代&弥生時代の中国は、商王朝が続いていたので、弥生時代の変曲点の理由が良く分からない。

12/10 時点のまとめ: 
自分は、サハリン経由では縄文人の先祖が、朝鮮半島経由では弥生人の先祖が日本に入り、日本の独特な環境&島国により、中国大陸とは違った人種(縄文人や弥生人)になったと考えています。
ただし、上記④のように、弥生時代からパラダイムシフトして、縄文時代とは全く違う弥生人の文化になった理由が良く分からなかった。
何らかの理由があったのか?またはこの推定が間違っているのか?
少しずつ解明して行きたいと思っています。


縄文時代について読書中(シンクロニシティ現象発生か?)10
「縄文時代」(箸山田康弘・吉川弘文館)を読み始めてから4日目。
まだ46頁(228頁中)しか進んでいません。

1日の読書時間(調べ物含む)が2時間くらいで、文章まとめ&ポストが30分~1時間位なので、仕方ないかも知れません。
それでも知らない事が分かったり新しい発見があったりで、脳内&気持ちは充実しています。

12/11 時点の自分の意見:
Theme2「縄文文化の範囲」に進みました。

・前日分では大陸移動から見た「日本誕生」の秘密が若干分かったので、これについての自分なりの発見や意見を書きます。
簡単には、日本列島は中国大陸とは違う地質(付加体)で出来ており、紀元前10世紀ころに大陸から完全分離しました。
この時期が「日本誕生」ということになり、縄文時代の幕開け、と考えて良いようです。
日本神話「古事記」「日本書紀」の日本誕生はこの時期を指し、極めて比喩的に奇想天外な物語として編纂されたように推定しています。

・「縄文文化の範囲」では、縄文人や弥生人の区分けが分かりましたので説明します。
簡単には、縄文人はサハリン経由ロシアから日本列島に流入した人達の末裔、弥生人は朝鮮半島経由中国大陸から流入した人たちの末裔のようです。
アイヌについても別途調べましたが、縄文人と同じか親戚関係の種族のようです。
我々が「大和民族」と言っているのは、日本列島と言う島国で、独特の気候や自然風土の中で、独自に発達した文化を持つ、
ロシアのアムール地方たから来た人達(縄文人)と中国大陸から来た人達(弥生人)の混ざり合った末裔という事のようです。

1.大陸移動から見た「日本誕生」の秘密
2.縄文人弥生人(アイヌ)の歴史
の順にまとめますが、1日の文章量が多いと読まれなくなるかもしれないので、一旦ここで終わります。

次回へ続く

縄文時代について読書中(シンクロニシティ現象発生か?)11
~本まとめは、西洋文明の後は、東洋文化(特に日本の縄文の心(和の精神))の時代になり、世界を救うという説に基づいて、主に縄文時代の事を調査研究した結果を記述しています~
ーーー
1.大陸移動から見た「日本誕生」の秘密
<概要>
・日本列島の原型は1700万年前に太平洋プレートが大陸直前で沈み込む際に生成される「付加体」だった。
「付加体」とは:深海底や海山の頂上には、死んだ生物がたい積していきます。 海洋プレートが移動して大陸に近づき、海溝で大陸の下に沈みこむとき、そのたい積物がプレートからはぎ取られ、陸から海溝に流れ込んだ砂や泥といっしょに、大陸の縁に加わります。 これを付加体とよぶ。
・1450万年頃までには、大陸と付加体の間に海が入りこみ、最北端のサハリン(樺太)を軸にして回転するように大陸と付加体は分離して、日本列島の形作るようになる。
・現在の日本列島は、約1.2万年前に、大陸の朝鮮半島部と日本の九州部が離れて島国になったものである。

<考察>
・約1.2万年前の縄文時代の以前の石器時代は、朝鮮半島と日本列島は陸続きであり、ナウマン像や石器などが主に福井県で多く発掘されているのはそのためと考えられる。
・縄文時代には、大陸から日本への人や文化などの流入経路は、最北端のサハリン経由(海路あり)と、朝鮮半島などから船での流入経路が存在していた。
・「付加体」は死んだ生物がたい積した芳醇な土壌であったために、日本列島では植物の生成が良い。
また四季がはっきりしていたので、風光明媚な景観が多く見られるようになる。
さらに島国だったため、日本独自の繊細な平和的な文化がj醸成されたと考えられる。

・約1.2万年前が「日本誕生」と考えられ縄文時代と期を一にしていた。
西暦712年に編纂された「古事記」は、多分に政策的に、当時の状況を荒唐無稽な物語としてまとめたものと推定します。

「古事記」:神代における天地の始まりから推古天皇の時代に至るまでの出来事が、神話や伝説などを含めて、紀伝体で記載される。また、数多くの歌謡を含む。「高天原」という語が多用される点でも特徴的な文書である


訂正:
前頁の下記は、' 紀元前10世紀 ' は、紀元前100世紀、1万2~3000年前、の間違いです。申し訳ありません。
『日本列島は中国大陸とは違う地質(付加体)で出来ており、’ 紀元前10世紀 ’ ころに大陸から完全分離しました』

縄文時代について読書中(シンクロニシティ現象発生か?)13
神代の昔とは何時頃のことか1
「明日は日本の時代」「縄文の心と和の精神が世界を救う」という荒唐無稽とも思われかねないことをテーマにして、調査・分析し直観力を働かせてまとめています。

前回までで、以下の推定が出来ました。
約1.3万年前の日本の縄文時代の始まりは、日本列島が朝鮮半島から分離して島国になったころ(最北端のサハリン付近を軸にして回転した)であり、ここからが日本や日本人(大和民族)の始まりである。
西暦712年に編纂された「古事記」の日本誕生の場面は、初の日本文化である縄文時代の始まりの頃(または古墳時代の頃)を、史実も元にして物語として作られたのではないか?

これら関係とともに、今までのおさらいをします。


縄文時代について読書中(シンクロニシティ現象発生か?)14
神代の昔とは何時頃のことか2
A の縄文時代は、ここでは紀元前14000年~紀元前4世紀。日本列島が大陸(朝鮮半島)から完全に分離した頃と一致する。
日本列島が移動するのですから、地震や大地が割れたりすることは日常茶飯事だったと思われます。
(この辺りは、古事記の神話の世界(イザナギとイザナミの日本誕生)とマッチします。紀元前14000年頃の縄文時代の始まりを「日本誕生」と称しても良いのではと思います。仮置き)

当時、大陸からの人と文化は、南からは朝鮮半島等から、北からはサハリン島経由で、日本列島に流入した。
日本内では大陸から入った人達は、南は弥生人、北は縄文人と呼ばれるようになり、違った種族と文化だった。
縄文時代は、縄文人と縄文文化が優勢だった。
縄文文化は、北海道、本州、九州と分かれて若干色合いが違ったようです。
縄文人の特徴の本家本元は、北海道縄文人(アイヌを含む)と思われます。
狩猟採集で食物を得ていた。

縄文人は、自然を崇拝し、全ての自然物には心や神が宿るという多神教で、平和主義者だったので、ムラの間の諍いは少なく1万年もの間、戦はなかったとされます。

この縄文人のDNAが、日本古来の伝統と文化(神道、神社等)を作り上げる礎になったと思われます。
縄文人のDNAが現在の日本人に濃く反映される人と、弥生人のDNA が優勢の人等、多種多様になっていると思われます。

多くの先覚者たちが注目しているスメナ(天意を降ろす人・伝える人)、有意の人などは、この縄文人の心や、後の「和」の精神を色濃く受け継ぎ、なおかつ変革意欲に溢れる人たちを指すものと、自分は推定しています。

B の弥生時代は、紀元前4世紀~西暦3世紀。縄文人&縄文文化が棄てれて、弥生文化が始まります。同時に、大陸から農耕が伝わります。
弥生人の方がやや戦闘的のためか、ムラ同士の諍いや争いが絶えなくなります。

従来は、縄文人は貧しく変革意欲にも乏しいので戦う気力もなかったが、弥生時代に農耕が始まり、貧富の格差や位の違いが極端になり、改革意欲も強く、ムラ同士の戦いが多くなったとされていましたが、1970年代の縄文遺跡の発掘の高まりとともにこの説は否定されました。
(このうちのひとつに、自分が就職でお世話になった独身寮があった土地にて、「埼玉県寿能遺跡」があり、発掘された時期が自分が住んでいた頃とクロスするのでやや驚いた。シンクロニシティか?と言う程の事はないと思いますが・・・)
(またすぐそばには、日本の伝統を色濃く伝える「盆栽村」などがある)

縄文文化は芳醇で縄文人は改革の意欲も強かったが、差別意識がないので、位の違いがあっても皆平等意識が強かった。

弥生文化は縄文文化の進化したものではなく、変化して別物になったということが定説になっています。
つまり、現代人や現在の文明・文化の中に合っても、縄文人のDNAを持つ現代の日本人にとって「縄文の心/和の精神」を取り戻すのは比較的容易であると思われます。(高度に発達した科学技術は利用できるので、生活の便利さは変わらない)
後戻りするのではなく、縄文の心を取り戻すという変化が「パラダイムシフト」となると思われます。

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縄文時代について読書中(シンクロニシティ現象発生か?)17
東宝映画『日本誕生』1
ここで息抜きに、1959年(昭和34年)11月1日公開の東宝映画『日本誕生』(にほんたんじょう)の紹介映像から、説明を続けます。
補足:(長文でかつ説明が不十分かも知れず、分かり難いかと思います。にわか勉強でもあり記述に不正確な所があればご容赦ください。今後の日本や日本人の進むべき道を模索するという、自分にとっては大それたチャレンジですが、またある程度の成算もあるものと思ってます)
ーーー
古事記の「日本誕生」と旧約聖書の「創世記」の関係は、前述したように、
「日本誕生」は紀元前12000年前後、「創世記」は紀元前5000年前後と推定されます。「日本誕生」の方が古いか、同時期程度。
つまり類人猿からの世界初の近代人?に、日本人(大和民族)が含まれる可能性が高いと思いました。

映画で注意が必要なのは、スサノオノミコト(アマテラスオオミノカミの弟)と日本武尊(ヤマトタケルノミコト)は別人物なのに、映画では同一人物に描かれている様なので、注意が必要と思います。

スサノオノミコトは日本誕生の頃で紀元前12000年付近の物語上の人物、
日本武尊(ヤマトタケルノミコト)は、古墳時代(3世紀~西暦592年)の実在した英雄です。
映画の設定は、日本誕生の頃であり、日本統一を図る武人は、スサノオノミコトではなく日本武尊(ヤマトタケルノミコト)のようです。
(雑駁な知識のためご参考程度に・・・)


参考:スサノヲノミコトとヤマトタケルノミコトの違い
アマテラスは、イザナギとイザナミの子で、太陽神であり、皇室の祖神
スサノヲノミコトは、アマテラスの弟で、海や嵐の神とされる荒神です
(もう一人の弟はツクヨミ(月読命)で、月の神です)
日本武尊(ヤマトタケルノミコト)は、天照大御神の直接の子孫ではありませんが、神話体系の中で重要な位置を占めています。


<yahoo 知恵袋より>
スサノヲノミコトは神話時代の「神様」 、イザナギノミコトと イザナミノミコトの子。
わがまま気ままからのやりたい放題で 高天原を追放され降臨。後半生は出雲建国の祖。
神代の登場人物ですが何かしら実在性があり 広島県北部から日本海側(米子辺り)への地元神話が繋がる 「スサノオ・ライン」という用語があるほど。

日本武尊(ヤマトタケルノミコト)は歴史時代の「皇子」 景行天皇の皇子で、子が仲哀天皇。 しかし、記述は神話的で 兄は殺すは、西征夷の時は騙す・裏切ると 前半生はやりたい放題なのに その後の東征夷の時はとことん被害者。 最期はやられて白鳥になり「西」へ飛び去る。
(スサノヲノミコトと)同一人物じゃないはずなのですが 素性が良く似てるんですよね~。
歴史書編纂側(藤原ー天智系)の作為が 結構にじみ出ていると思いますよ。 同一人物じゃないにしても 同じ一族が歴史を繰り返した・・・・ てな、勝手解釈を楽しんでおりまする。

そうそう 肝心なことを失念しておりました。 日本武尊は西征夷の時 熊襲建(クマソタケル)兄弟を討つ際に 女装して近づき不意打ちした。
熊襲兄を切り殺し、熊襲弟の尻から剣を差し込んだ この時、 熊襲弟が止めるように願い、死に際に これからは日本武尊と名乗られますように。と 言うや否や、尊は「瓜を二つに割るように・・」なんて グロい事に。
なので、 それまでの日本武尊の名前は「小碓命:オウスノミコト」です。
ーーー

縄文時代について読書中(シンクロニシティ現象発生か?)18
東宝映画『日本誕生』2
https://youtu.be/oz6Egl4uYoA?si=ZyabgZ67AYwK40NE

5年以上前のブログで、何回か東宝の映画「日本誕生」をアップしていましたが、「日本誕生」と現在の変革期と何らかの関係があるのではないか?という直感からです。
今は、この変革期は、日本では「大化の改新」や「明治維新」に匹敵すると思っています。

ここでは、古事記を元にしたと思われる、東宝の映画「日本誕生」と、
約1.2万年前の日本列島が大陸から分離したころの史実の「縄文時代のはじまり」、とを比較検討してみます。

・東宝の映画「日本誕生」では大地が避けるような場面が頻繁に出てきます。
 ⇔ 実際に紀元前12000年頃に、日本列島が大陸から分離するのですから、当然、大地が避けたり地震が頻繁に起きたことは想像に難くないです。

・東宝の映画「日本誕生」では日本武尊が日本を統一した。
⇔ 日本武尊は、ずっと後の古墳時代の皇室継承者で、時代が違う。
映画の構成の都合で、スサノオノミコトの代理とした様である。
(日本各地に日本武尊の史跡があります。現に先日行った奥多摩の御岳山でも日本武尊の痕跡がありました)

・天照大神が天の岩戸に立てこもる。アメノウズメがなだめて外界に戻した
⇔ 「縄文時代のはじまり」の頃は、天候不順で太陽が出ない期間が多かったのではないかとも思いますが、真実は不明です。祈禱師や巫女などのような人たちは存在した。

・天照大神は女性であった。
⇔ 縄文時代は女性優位の社会だった。

・伊勢神宮が特別の場所
⇔ 伊勢神宮は、約 2000 年前(西暦0年前後。弥生時代)という説があります。
伊勢神宮は日本の最も重要な神社です。日本固有の信仰である神道は自然界、すべての生命と人 間の中にいる神への崇敬を基礎に置いています。
公的には「神宮」として知られる伊勢神宮は、125 の神社から成り、その中心には内宮と外宮があります。
これらは太陽の神である天照大御神と、衣食 住の神である豊受大御神にそれぞれささげられています。

*日本人はあらゆる出来事や戦火に合っても、神道や神社を守り続けてきたが、日本人の心の原点だからだと思われます。
縄文人・縄文文化への回帰が、日本人にとっては自然であり、今後の日本や世界中の混乱を収めて復興に向かうには、充分な「力」となりそうである。


今日の一言(2025/1/16)・日本人はもっと誇りを持った方が良い
世界的な危機と変革の時代にあって、様々なアプローチで原因究明と打開策(自分自身や日本、世界に対する)を考えています。
今、「縄文時代」関連書籍の2冊目を読書(&関連情報取得)中ですが、「目からうろこ」「コペルニクス的転回」的な結果が得られつつあります。
そのうちの最大のものが
「日本やユーラシア大陸東側の海添い地域は、世界最古の文明発祥の地(のひとつ)ではないか?」ということです。

学校の授業だけの知識だと、世界最古の文明はチグリスユーフラテス河沿いのメソポタミア文明(紀元前約5000年前後}ということです。
東洋や日本の文明はそのもっと後だというのが自分の認識でした。

今回分かったのは、日本やユーラシア大陸東側の海添い地域では、それよりもっと早くから(紀元前12000年前後)文明らしきもの(縄文土器作成など)が現われていたという事です。
「文明」の定義が違うかもしれませんが、少なくとも石器時代の原始人的人類から現代人と呼べる人類に変ったのは確かです。
日本人(大和民族)は世界で最初の現代人のひとつというのは間違いない所であり、当初の縄文人の特性(自然を崇める、平和主義)をずっと保持して来た珍しい人種と思います。

安倍元首相の悪政のためや「人新世の時代」の世紀末的様相により、日本人は自信喪失しておりやけっぱちになっていると思います。
詳細は省きますが、決して「神国であるという愛国主義」「選民思想」「優生思想」などに捕らわれることなく、ただ単純に
『日本や日本人はもっと誇りを持っていいのではないか?』と思いました。
(自分のような未熟なものが言う事ではないですが・・・)

PS:
東洋人や日本人による「世界史」の編纂も必要と思いますが、既にあるなら読んでみたいです。
「古事記」「日本書紀」「旧約聖書の創世記」などもまともに読んでいないので読んでみたいし、「アトランティスやムー大陸」などとの関連性は?等々、疑問点や解決したい事象が次々と思い浮かびます。

政治批判と共に、明日の「希望や夢」のためにも、いろいろと知識や考え方を深めたいと思っている今日この頃です。??!!

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縄文時代について読書中(シンクロニシティ現象発生か?)19
3大人種で考える1
文明の発祥地を3大人種(白人・コーカソイド  、黒人・ニグロイド 、黄人 ・モンゴロイド )で見てみます。白人、黒人、黄は優劣の差ではなく単なる人種の差です。
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(世界史の窓より)「やがて約240万年前、アフリカに原人が登場した。ホモ=ハビリスやホモ=エレクトゥス(ジャワ原人・北京原人など)がそれに属し、なかでもホモ=エレクトゥスは、ハンドアックスなどの改良された打製石器と火を使用して狩猟・採集生活を営んだ。

☞ 彼らはアフリカからユーラシア大陸各地に拡散し、ジャワ原人、北京原人などになった。
人類は、原人→旧人→新人と「進化」して、我々は、新人のホモ・サピエンスという分類学上の名前です。
☞ 最上段の3大人種は、新人(ホモサピエンス)の内容であり、文明が現われてからは、ここでは「現代人」と呼んでいます。
自分的に、知識がごちゃ混ぜになっていたので整理してみました。✌️✌️✌️
ただ世界史もまだ固まっておらず、引用資料によって若干記述内容が違いますが、ご容赦ください。

参考:先史時代の世界【高校世界史教科書から(要約)】
人類が誕生したのは、およそ500万年前のアフリカである。その後、人類は、猿人(約500万年前に出現:アウストラロピテクス)・原人(約180万年前に出現:ホモ=エレクトゥス)・旧人(約20万年前に出現:ネアンデルタール人)・新人(約4万年前に出現:クロマニョン人など)の順に進化してきた。文字が生まれたのは、紀元前3千年ごろである。人類が文字をもつ以前を先史時代(紀元前3千年以前)、以後を歴史時代(紀元前3千年から現代までのおよそ5千年)と呼ぶ。先史時代については多くが謎に包まれている。
現代人は人類中唯一生き残ったホモ・サピエンス(30/20万年前~現在)である。

続く


縄文時代について読書中(シンクロニシティ現象発生か?)20
3大人種で考える2
メソポタミア文明の発祥地は、現在のイラク、シリア北東、トルコ南東の地域一帯ですが、人種的には「白人・コーカソイド」またはその混血です。
中国最東部(日本を含む)の文明は、人種的には「黄人 ・モンゴロイド」です。
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また、DNA分析の成果によれば、現生人類発祥の地はアフリカにあるとされ、(黒人・ネグロイド)は出アフリカをせずアフリカにとどまった集団の直系の子孫とされる。したがってネグロイドの遺伝的多様性はその他すべての人種の遺伝的多様性よりも高い。wiki より。
アフリカからの文明の発生は記録されていないようですが、遺伝子的には黒人・ネグロイドが、ホモ・サピエンスや現代人の源流となります。


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白人系のメソポタミア文明より、黄人系の中国最東部や日本の文明発祥が早いかも知れず、現代人の大元が黒人・ニグロイドだったということで、
「人種差別などとんでもない」ということになります。
☞ 従って、日本や我々日本人を「神国だ」とか「世界一優秀な国民だ」とか、買い被るのも間違いだということになります。
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相変わらずのお堅い内容になりましたが、原理原則はしっかりと押さえておかなければならなうと思い、あえて説明しました。

縄文時代について読書中(シンクロニシティ現象発生か?)21
「縄文時代」(箸山田康弘・吉川弘文館)もそろそろ読み終わりそうです。1/7 から10日以上もかかっていますが、お陰で随分知識が増え、自分なりの考えや意見をまとめることが出来ていることに「感謝」したいと思います。

ところで、縄文時代に氷河期の話が出てくるので、縄文時代と氷河期の関係を調べてみました。
結論から先に書きます。

「ためになる?豆知識」の抜粋+追記
(鎌田浩毅氏:日本の地球科学者。京都大学名誉教授。同大特任教授。専門は火山学・地球変動学・科学教育・アウトリーチ)

最も新しい氷河期は今から約10,000年前に終わり、今から6000 年前の縄文時代前期(縄文海進時代)は間氷期と言われ、比較的温度が高く海面の高さは今より2m高いでした。(そのため当時、海は内陸に入り込んでいました)
その後温度は下がり気味ですが昨今の温暖化で逆行して温度が上昇しています。
このまま地球温暖化が進むと、21世紀の終わりには最大で90cmほど上昇すると予測されています。
陸地で水没するところも出てくると予想されます。
これ以上の温暖化をすすめないためにも、これからは一人ひとりが地球環境のことを十分に考えて生活していかなければならないでしょう。

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「ためになる?豆知識」より
縄文海進について(鎌田浩毅)・・「ためになる豆知識」より
私たちが住んでいる地球は、寒い時期(氷河期)と暖かい時期(間氷期)をくり返して現在にいたっています。最も新しい氷河期は今から約10,000年前に終わり、現在は間氷期にあたるといわれています。
間氷期のあいだであっても、緩やかな気候の変動があります。縄文時代前期(約6,000年前)頃は地球の気候が最も暖かかった時期で、現在のより平均で約2度ほど高い気温でした。
そのため、南極や氷河期に形成されていた氷河が溶け出して、海面の高さも現在よりも4~6mほど高くなっていました。
横浜市域では、海に面した鶴見区、神奈川区、西区、中区、磯子区、金沢区はもとより、内陸部の港北区、都筑区、緑区や戸塚区までも海岸線が入り込んでいました。

この海進については、遺跡の発掘調査からもうかがい知ることができます。貝塚とは、当時の人たちが食べ終わった貝や魚やいらなくなった道具などを、集落近くの斜面や廃絶した住居跡の中(埋まりかけの窪み)に捨てた跡のことをいいます。このため、この貝塚を調査することで、当時の人たちが何を食べていたのかなどが分かります。また、貝は種類によって、海に棲むもの、川に棲むもの、その両方の条件が整った場所に棲むもの、また、砂や泥を好んで棲むもの、岩場に棲むものがいるため、貝が採れた周辺の環境なども分かります。もちろん、貝に混じって出土する土器から貝塚のつくられた時期も分かりますし、当時の人たちの食べ物の好みも分かります。

現在地球は大きな流れでは、暖かい時期から寒い時期に向かっています。しかしながら、人類が自然環境を徐々に壊わしてしまったために、自然のバランスがくずれて温暖化が進んでいる状況です。
ここ100年の海面推移を見ても、10~20cm上昇しており、このまま地球温暖化が進むと、21世紀の終わりには最大で90cmほど上昇すると予測されています。
その結果、縄文海進のラインほどではありませんが、私たちの暮らしている横浜の一部が海中に没してしまうことも考えられます。これ以上の温暖化をすすめないためにも、これからは一人ひとりが地球環境のことを十分に考えて生活していかなければならないでしょう。
掲載した図は、松島 義章氏の海進最高期の推定海岸線を参考に作りました。また、参考にした資料が神奈川県を対象としていたため、東京部分の推定線は入っていません。

「ためになる?豆知識」(鎌田浩毅)



前頁の「縄文海進時の海面高度」の図は、添付「氷河期のサイクル・鎌田浩毅氏作成」の右端の青字A部を指します。
40万年以上も前から約10万年サイクルで氷河期が訪れて、今は最新の氷河期の始まりから1万年ほど経過した時点です。
暖かくなる頂点を過ぎて、本来、段々と寒くなって行くところが、
「人間起因の温暖化」により、徐々に気温が上がっているところです。
縄文海進時の海面は2m上がり、今回21世紀の終わりは90cm位上がるとの予想で、関東平野の一部は海に沈むことになります。

自分の感想:
『ホモサピエンスの20万年くらいの歴史の中で、何回か氷河期と海水面の上下動を繰り返しても人類は生き残ってきたので人類絶滅はないだろう。
しかし、個々人の状況を考えたら、被害にあう人死んでしまう人も多数あり、自分たちが遭遇したくない。大変な事態には変わりない』
『自然ではなく人間が引き起こした温暖化であり、自然の循環を壊しているので、正直言ってどれほどの被害を及ぼすことになるかは予測不可能のようにも思う』

☞ 一刻も早く政権交代なりして新政府を作り、悪しき安倍政治や自民政治から決別して日本再建の糸口を見出すとともに、地球温暖化対策に全力を上げなければならない時期と言えます。
それには、日本人が縄文の心、和の精神を取り戻して、日本や世界をけん引して行くことが最良ではないか?

縄文時代について読書中(シンクロニシティ現象発生か?)22
2週間弱で、当該書籍を読み終えました。

その後の内容で目ぼしい所は下記です。
①縄文人・縄文文化は、北海道から南下して、東北、関東、中部、関西、山陰山陽、九州と伝わった。
北海道縄文人、本州縄文人、九州縄文人はそれぞれ若干特色が異なる。
②縄文中期の人口密度や遺跡の数は、関東中部地方が最も多く、次いで東北や北海道、関西から九州は少ない。
③縄文中期では、関東や中部にのみ大規模集落が見られ、縄文文化の華盛り時期だった。

④縄文時代は殆どが食料は狩猟採集で賄い、農業は縄文後期末から。
次の弥生時代から農業が盛んになる(約2300年超前)。
(農業は 約12000年前に中国の揚子江(長江)の中・下流域で発生)
(他資料では、約12000年前に西アジア(イスラエル地方)で、小麦栽培と牧畜の複合農業が発生したとのっ記述あり)
☞ 中国での農業発生と、朝鮮半島と日本列島が分離したのとが同時期なので、筆者推定としては
「海運技術の発達を待って、(約2300年超前)日本に大陸人と農業が伝わるようになったのが弥生時代の始まり」ではないか?と思う
☞ 縄文人と縄文文化は、弥生人と弥生文化に取って代わった。
日本人は縄文人と弥生人の混血となって現在に至る

⑤縄文人が主体の縄文時代は1万年続いた。その間、戦争と呼べるような争いはなかったとされる。
弥生時代から現在まではまだ約 2300 年である。しかし、ムラ同士、豪族同士、以降国内外の戦いは増えて行く。
☞ 弥生時代以降の戦いの多さは、農業により、貧富の格差や位階の発生により、競争的な社会になったからという説が一般的だった。今は否定されている。
筆者の推定では、縄文人は「争わない、お互いを認め合う、自然を崇める」民族であり、弥生人は比較して「争いを好む(=競争意識が強い)」民族だからと思う。

ーーー
(後記)
縄文時代の書籍を2つ読んだだけで、知識が大幅に増えたとともに、今までの考えが大きく覆される「コペルニクス的転回」な事象が多いでした。
やはり、事実関係の調査や習得は大事だと改めて思いました。
今後とも、同様なアプローチで、今後の日本の政治のみならず、「人新世の時代」を乗り切るために、検討・対策案策定・提案(実施)に努めたい。

(追補事項)
1.前頁にて、縄文時代の朝鮮半島と日本列島の分離は、地震などの地殻変動による旨の記述をしていました。
「縄文海進時の海面高度」の図に示すように、1.1万年前の氷河期末期には海面は現在からは40mも低いのですから、
地殻が海上に飛び出していて朝鮮半島と日本列島を繋いでいたと推定されます。以降、暖かくなって4000 年位かけて海水面が現在と同等になります。
つまり、朝鮮半島と日本列島の分離は、氷河期が終わった後の暖かくなってゆく過程で海水面が上昇して、中間の橋の部分が水没したためとも考えられます。
以上、朝鮮半島と日本列島の分離は、氷河期後の海水面の上昇、地震などの地殻変動、大陸移動などの要因が考えられました。
「古事記」などの日本誕生に、洪水や地割れ、地震などの場面が出て来ますが、実際に起こった出来事だった模様です。

2.アトランティス大陸やムー大陸の水没説がありましたが、氷河期後の海水面上昇は、日本で40mもあったようです。
赤道近くでは遠心力の関係で水面上昇はもっと大きかったはずです。
100mも水没したら、平らな島なら全没してもおかしくないと思って調べてみたら、現在は学術的には否定されているようです。大昔の空想物語だった模様でした。
長年気にしてはいましたが調べる程の意欲もなかったですが、今回ハッキリしたので胸のつかえがとれたような気分です。

3.縄文人は「争わない、お互いを認め合う、自然を崇める」民族であり、弥生人は比較して「争いを好む(=競争意識が強い)」民族だからと思う、というのが筆者の推定です。
今後DNA判定の書籍もあるようなので、今後さらに勉強して事実関係を知りたいと思っています。

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