12番目の町はアビラです。12世紀に建造されたという、高さ10メートル以上の城壁に囲まれた要塞都市で、外観はRPGゲームに登場する城市そのまま。てか「元」がこっちなんでしょうけど。
サラマンカ→アビラ
撮影してきたレスタウランテのメニューを、辞書引き引き翻訳します。
Chuletónチュレトンはアビラ名物のでかい牛ステーキ。24ユーロ。アラパッリジャは網焼き。
コチニージョアサドは子豚の丸焼き。20ユーロ。オーブン焼き。
チュレティジャスというのは多分乳呑子羊のスペアリブ。20ユーロ。網焼き。
乳呑子羊の脚か肩肉の焼いたの。23ユーロ。
牛のソロミジョはヒレ肉。23ユーロ。
牛のエントレコはバラ肉。21ユーロ。
ペルディスはトレドで食った野ウズラ。19エウロス。
イベリコ豚のソロミジョ=ヒレ肉は16ユーロ。
ロボデトロは牛テールシチュー。19ユーロ。
マグレデパトは多分鴨の赤身。16ユーロ。
アビラ2日目
知ったかぶりカトリック美術論
いろんなカテドラルや教会の博物館で、様々な絵画や彫像を見て思ったこと。古い時代のもの…13世紀くらいまで…は、イエスや聖者たちの容貌を描写するにおいて、素朴かつ抽象的なタッチで、仏像を連想させるようなものもある。時代が新しくなるにつれて、どんどん「リアル」になっていく。要するに「スペインづら」だ。十字架にかけられたイエスがスペイン兄貴なら、処女マリアはスペインおねいさん。銀皿に盛られた洗礼者ヨハネの生首(断面リアル)もスペインづらだ。もちろん、騎乗して大剣を振るい、モロの首を百と三つ叩き落とすサンティアゴもスペイン人。
これは自分の「カトリック美術=ハリウッド製CG映画」論?を裏打ちする。「300」のレオニダス王以下、スパルタ海パン軍団が、金髪碧眼でも黒人でもないってだけで、「アメリカ海兵隊の腕っぷし自慢」にしか見えないのと同じ。
で、やっぱカトリック美術の表現は、過剰であり異様であり悪趣味である。教祖を処刑した道具である十字架を信仰のシンボルとするのは、まだ分かる。そこに断末魔のリアル教祖像を貼り付けるのは異常だ。日本の例を考えてみよう。神像というのはあまり一般的じゃないが、仮に制作するとして、イザナミ像は、股間焼けただれ、全身にウジがわいた姿か? 有りえんよね。織田信長が炎上する本能寺で腹切ってる像も有り得ない。太田道灌が風呂場で斬り殺されてる像も。坂本竜馬は維新の英傑だが、その最後は斬殺死だ。だからといって、高知桂浜の竜馬像が、頭を斬られて脳味噌はみ出した断末魔の姿か? 武市半平太像が、切腹して腸ぶちまけてる姿か? いっかに土佐と言えどもやらんだろ。仏陀の場合は「涅槃仏」という表現があるが、タイのは巨大な金ぴかで、英語題が「リクライニング・ブッダ」だぜ。
イエスに倣い、聖人さんたちも残虐表現のオンパレードだ。銀皿生首の洗礼者ヨハネ。矢刺さりまくりの聖セバスチャン。今日カテドラルで見た聖なんちゃら像は、槍2本が身体にX字形に貫通してた。
残虐なシーンをこそ描きたい、それを見たい、という欲望があるのかもしれない。ヘロデ王による嬰児殺しとか。これもスペイン語に専門用語があると知って蒙を啓かれた。
殉教図が個々の聖人を区別する「印」ちうことなのかもしれない。殉教に限らない。槍で竜を殺す聖ジョージとか、こどもキリストを背に乗っけた巨人・聖クリストフォロスとか。
クリストフォロスは芥川龍之介が「きりしとほろ上人伝」として翻案してる。あの神経症の心の琴線に触れるところがあったのだろう。日本でもオオクニヌシとスクナヒコナという大小コンビがいる。「絵」になるのだろうな。
ああそうか。「鉄人28号」なんてのもそのバリエーションなんだ。「キングコングと美女」にしても、美女がコングの頭に乗っかって「薙ぎ払え!」とか命令すれば、同じモチーフ。と、これはクシャナと巨神兵か。とにもかくにも「巨人」はかっこいい。でかくて強くて、同時に「悲劇性」を内包している。いつか大地に倒れる日を予感しているから。
翌日はマドリッドに戻りますが、旅はまだまだ続きます。