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四度目のスペイン(3)クエンカ

3番目の町はクエンカ。トレド同様の城塞都市です。鉄道でマドリッド経由で向かいます。

トレド→クエンカ

 7月23日 日曜日
 トレド駅で改札し、セキュリティ通って、列車の指定席に落ち着いた9時14分。自分は3号車の8Aなのだが、2号車の乗車券を持った女性いてが、人に聞いたが良く分からない様子で、斜め前の座席に座ったので、おせっかいして教えてやる。「コチェドス エスタ(2号車は)…オーバーゼア」(笑) サンキューと女性が行った後で、「前の方」ってのは何て言うんだ?と辞書を引く。デランテでいいのか。「コチェドス エスタ デランテ」(2号車は前の方です)。よし覚えた。また一歩野望に近づいた(笑)
 マドリッドのアトーチャ駅着は9時58分予定。30分ちょいである。それから乗り継ぎ時刻の10時45分までに飯を食う、と。
 後ろの席が母娘と思しき女性二人で、「まいにちスペイン語」のキョウコとマルタみたいな感じでしゃべってる。早口じゃないので、けっこう聴き取れる。もちろん、意味までは分からんが、テープに録音すれば書き取りできそうに思う。
 アトーチャ駅構内カフェで「ナポリタン」(クロワッサン的な生地の中にハムとチーズ)2とカフェソロ1.4の3.4ユーロ。
 プチ行列できてたのについて、セキュリティに荷物を通す。すでに入線しているアリカンテ行きAveアベ(新幹線)の6号車へ。結構な混み具合である。
 車内はちと寒いか。隣のおねいちゃん、ショートパンツにサンダルで、ちとしんどそうであるが、飛行機みたいな毛布サービスがあるわけでも無いし。まあ、とっとと発車して到着しろってことだよ。
 定時出立。一路クエンタへ。車内電光表示によれば、次の停車駅か。約1時間である。
 スペイン人は電車の中でもケータイで電話するのが普通。友人からの電話に出る時は「ディガメ」(「もしもし」。直訳すると「わたしに言ってください」)じゃなく「ディメ」(言って)ちうのだな。ホント、どこで何しててもスペイン語の勉強になる。さすがスペインである(笑)
 前の席がこども4人連れた夫婦(なるほどカトリック)なのだが、こどもを注意したり何したりするスペイン語もいちいち興味深い。

実際、周囲の人たちのおしゃべりに耳傾けてるだけで、スペイン語の勉強になります。特に爺婆カポー。爺同士も。若者は早口で聞き取りにくい。まったく期待できないのは、もちろん「外人」と一人旅の人。ああ、わたし自身がそれでした。

 定刻11時40分にAveクエンカFZ(フェルナンド・ソベル)駅到着。ピカピカに新しい駅で、周りに何も無い。隣りのおねいちゃんも含めて何人か降りたが、自分がトイレ行って出たら消えていた。
 バス停を捜す。6つほど立ってるうち、使われてるのは1つだけで、それも「1番」しか無い。「地球の歩き方」じゃ「12番の市バス」とあったが違う。時刻表を見ると平日30分に1本、土日は1時間に1本とある。そんなには待てない。でもタクシーもいない。
 しばらく待っていたら、タクシーが来て客下ろしたので乗車を試みる。運転手「ジャモなんとか?」と言うが分からん。「スペイン語少し話す」など答えたが、我ながら頓珍漢な感じ。テレフォン?と聞かれてノーと答える。オケーと言われて、乗ってから気がついたが、「電話で迎車したのか?」と訊いてたんだ。もしもそうなら迎車じゃない自分が乗せるわけにはいかない、と。「イスパニダ広場」と告げて連れてってもらう。
 新市街ちょーっとガラ悪いかも。で、広場に隣接した教会の隣りにあるはずのインフォが無い。
 途方に暮れててもしょうがないので、旧市街に向かって歩き出す。で、川渡ったところに右手にオテルの看板があったので、それを頼りに歩いてく。日陰もなく太陽怖い。
 オテルあったが鍵かかってる。ブザー鳴らしたら、おばちゃんが出てきた。第一印象で、すっげーいいおばちゃんな感じ。ちっこい部屋でいいと言ったら、オスタルが1泊30ユーロだという。朝飯付き。超オッケー!
 部屋は屋根裏。斜め天井で、窓から川が見える。最高じゃん。とりあえずシャワー。後、フロントに降りていって、町の地図を貰う。こことここが観光客向けの飯屋で、こっちは地元民用、と丁寧に教えてくれる。クエンカ2泊3日の予定がなんとなく見えた。
 とまれ洗濯! カラッと晴れ上がった空。湿度ゼロ(感覚的に)。ここで洗わなきゃいつ洗う? というわけで、Tシャツ2枚、トランクス2枚、靴下1足を浴槽で踏み洗いし、二度すすいで絞って干す。そのうえで「1杯」目指して出立。

バル探しに歩き出して分かったのは、旧市街へ行くには、オスタルがある川沿いから急な坂道(というか山道)を延々と登る必要があるということ。クエンカ滞在中は、どこに行くにも「登山」でした。自転車で足鍛えといて良かった。

 何とかカテドラルまでたどり着く。ぐるり回って、「ラ・ウエジャ・デ・ロス・エレファンテス」(象の道)なるアート系小洒落店に入る。二人がけ傾きテーブル(わざと傾かせた壁に対して、逆に傾けて水平。それがお洒落?)で、セルベッサ、赤ビノ。それにケソマンチェゴ、ハモンイベリコをタパス(おつまみサイズ)で、計18.5ユーロ。高し。だがまあ旨かった。ケソ(チーズ)もハモンも。
 帰路、適当に外れてみたりもするが、高低差があり過ぎるので分かりやすい。中国人店(どの町にもある)でセルベッサロング缶(お馴染み「Mahon」)1ユーロ買って帰オスタル。ちょうど16時で、それから半時間、これ書いたりゴロったり。シエスタに入らんとしている16時半前。
 シエスタ目覚めて19時過ぎ。2時間たっぷり眠った。ベッドに大の字になり、エアコンなどつけずに、窓開けただけで。すんげー気持ちいい。この気持ちよさ味わうためにだけでも、「ここ」にいる意味がある。
 14時に洗濯して手絞りしたシャツやパンツや靴下が、5時間後にはカランカランに乾き上がっている。自分の肉体も同様に汗腺からどんどん汗が蒸発してるんだろう。起き抜けに水を十分飲む。
 パセオ(散歩)に出立。まずは「上」まで登ってみる。太陽が照りつけてなければ、さほどしんどくは無い。
 下から見上げたときには「こんなん渡れるか」とビビった「サンパブロ橋」(表題画像)をなんとか渡って、対岸のパラドール(国営高級オテル)を遠望する。嫁さんと一緒なら泊まってもいいかも。嫁さん高いとこ大好きだし。
 帰路は坂道をつるつると下っていく。タクシーを降りた公園まで行ってみる。そこらへんを歩き回ってみるが、期待していたような店…立ち飲みバル系…がまったく無い。日曜日だからかもしれない。ぐるぐる回って、ちと脇道入ったレスタウランテのメニューを見る。で、中に入る。一人だからカウンターでもいいと思ってのだが、テーブルでいいと言うので。
 まずはセルベッサ1.6、カジョス(牛モツ煮込み)があったのでそれと、野菜食わなきゃで「店のサラダ」を注文したのだが、カマレラのおねいちゃんが「多すぎるわよ」と忠告してくれる。カラマレスフリトス(イカフライ)13ユーロにサラダも付いている、というのでそれを注文。白ビノ2杯で3。で、出てきたのは、スルメイカ2杯をスライスして丸揚げにしたもの。こんなん初めて見た。それに野菜がちょこっと。「タパス」的には4人前かな(笑) とまれ食う。ライムしぼって、塩振って。味は悪くない。つか、久々に旨いイカ食った。お勘定は18.35ユーロ。

日中の気温はおそらく40度近いのですが、湿度が極端に低いので、低温サウナに入っているような気持ちの良さです。気候それ自体が「福音」というのは、旅としては最高です。逆に言えば東京も香港も含めての「モンスーンの夏」がいかに不快であるかということ。汗まみれで寝苦しい夜。かといって冷房入れればキンキン冷えて、骨まで凍って体調を崩してしまう。
真夏のスペインの殺人的な太陽光も、日陰にいれば無問題です。日差しの強い日中はシエスタでしのぎ、日が十分に傾いた19時過ぎから行動再開する。1日を2日で暮らせます。
これもしかし、仕事をしてたらできない、のんびり旅。フビラド天国スペインです。

クエンカ2日目

 7月24日 月曜日
 7時半ちょい前に下に降りてみたが、朝食まだだった。8時半から11時と遅め。
 そのへんをちょっと歩いてみる。もう明るくなっているが、清掃の人、クルマで早出する人以外、ほとんど誰もいない。そういやトレドでも7時に開いてたのは、ビサグラ新門のクルマ移動の連中相手の店オンリーだったっけ。さらに田舎のクエンカじゃ、朝は遅いのだ。
 8時半になったのでカフェへ。1ユーロ相当のトークンを使ってマシンコーヒー。それにパンを適当に食え、というシステム。パン、あまり美味しそうじゃない。適当に二つとって、カフェソロ汲んで部屋に戻る。

腹ごしらえをしつつ、次の目的地はセゴビアと決めて、交通手段を模索します。バス停、鉄道駅、長距離バスターミナルなどを歩き回った結果、Ave(新幹線)でマドリッド→セゴビアが適当と判断しました。

 オスタルまでの帰路、果物店でトマト2つとリンゴ1つを買う。52セントを50にまけてくれた。いい人だ。朝8時から15時まで開いてるバルも発見。
 フロントに例のおばちゃんがいたので、明日の朝8時半にタクシーを呼んでもらうようお願いする。明日の早い時間にセゴビアに着くにはそれがベストチョイスだとの判断。
 再出立して坂を登って旧市街へ。カテドラルを観る。すばらしい。もちろん、トレドに比べれば落ちるが、比較しちゃいけない。博物館も。こちらもなかなか見応えあった。エル・グレコ1枚程度はどうでもいいくらいに。音声ガイド付き通しチケットが12.8ユーロ。
 後、さらに上まで登り、ペドロ教会へ。
 バス通り沿いにつるつる降りていったら、本来下るべき道の先を下っちまった。とまれ、迷いはしない。トレド迷路と比べれば百倍分かりやすい町。おかげで新市街の概要も分かった。
 朝、気になってたバルに入る。地元爺婆+頑固おやじ店主という、アウェー感マックスの店。だが動じない。赤羽者だから(笑)
 メニュー見たけど、それがあるのか無いのか分からんし。カウンターの前に現に出ている料理があるので、直接指差し注文。煮込みがあったので「カジョス?」と聞くと「ノ、オべハ」と。牛じゃなくて羊だ、と言ってんだろうなあ、とそれを注文。旨いじゃん! で、も一つ煮込みで「ケエスエソ?」(これ何?)と聞いたらほにゃららと答えられて、分からんがともかく注文。硬い肉を煮込んだもので「ラボデトロ」(牛テール煮込み)じゃないかと思う。これも旨かった。セルベッサお代わり。
 自分に取っちゃ「コミダ」(昼食)なので、もっとあれこれ飲み食いしたいところだが、大半が瓶ビールの小瓶(多分、それが一番安い)しか頼んでない爺婆の中じゃ、ちと無理。で、「ラクゥエンタポルファボール」(お勘定)。何とわずか3ユーロだった。
 現金で払う。そもそも壁に「カード使えん」と書いた紙が貼ってあるし。出掛けに「エスタバビエン」(旨かった)と言ったら、「グラシアス」とぶっきら棒に返した親父の顔がちょっと緩んだと思ったのは、気のせい? 屋号は「Las Hoces」。

このバルは気に入ったんで、夜にも再訪してみます。

 新市街を散策。不動産屋店頭で貸し物件、売り物件の値段を見たり。スーパーで安赤ビノ1.09と安ケソ2の計3.09ユーロ。
 19時半になったところで「Las Hoces」覗くが閉まってる。いったん帰オステルして、リュックを置いて、空身で再出立。公園まで一周。坂沿いにテラス席を展開してる一群の店があるが、いまいち旨そうじゃない。
 善後策を考えつつ帰路に入ったら、「Las Hoces」開いてた。「オラ」と入る。先客の爺一人。出来合いタパスの真ん前に陣取る。もう勝ったも同然。硬い煮込みはトロじゃなくてコルデーロだって。すなわち子羊。三番目の煮込み、これは知ってる。血を固めた…モル何とか。旨し。続いてエンサラーダルサ(ポテサラ)、ピクルスと注文し、白ビノ3杯。
 客は自分のほか爺3人、爺婆カポー1組。完全地元。で、何言ってんのか今ひとつ聞き取れない。訛ってんのか爺だからか。同じスペイン語なわけだが、チャキチャキのマドリッド弁と違うんだな。
 30分ちょいで出る。勘定は3.6ユーロ。1.2が3つ。昼より安い。そっか、セルベッサとタパスだと1.5で、ビノとタパスは1.2なんだ。素晴らしい店である。赤羽に来てくんないかな。
 帰オスタルして20時半前。シャワーを浴びて、赤ビノのボトルを開ける。悪くない。これで1.09ユーロ(150円)なら上等すぎる。貧乏グルメにとっちゃ、スペインはこの世の天国ですがね。

ひたすら物価の安さに感動しています。まあ、これは当たり前といえば当たり前。観光客向けと地元客向けじゃ相場が違います。
「地元民」にしても、例えば東京で飯を食うんでも、港区赤羽橋のカフェバーと北区赤羽の立ち飲み屋じゃ10倍お値段が違う、と(笑)
スペインの田舎で、地元民ご用達の店にも積極的に入っていけるのは、多少なりともスペイン語が話せるから。やってて良かったスペイン語、と心底思った1日でした。

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