7番目の町はオビエド。スペイン北部のアストゥリアス州の州都です。ムスリムがイベリア半島のほぼ全域を支配していた8世紀にカトリックの「最後の砦」的な小王国として踏ん張り、それがやがてレコンキスタへと発展していきました。マドリッドのホテルマン、ゴンサロ君の出身地でもあります。
レオン→オビエド
手持ちのユーロが乏しくなったので、月曜になったところで、銀行へ行って、円を両替することに。ところが、これがけっこうなめんどくささでした。
「各国の紙幣解説」みたいなファイルがあって、それの「日本円」の説明を見ながら、一万円札を確認してる様子でした。スカシがどうとか、ホログラムがどうとか、真贋チェックのポイントが書いてるのでしょう。こうした手間を考えれば「円はダメ」銀行の事情も納得できました。
朝方の気温は16度で、けっこうな寒さです。この先さらに北上することを考え合わせて、服装を変えることにしました。トレド以来、裸足サンダルで通していた足をしっかり洗って、長ズボン+靴下+ウォーキングシューズに換装。シャツは長袖に。
レオンからオビエドまでの1時間半ちょいのバス旅はまさしく「国境越え」でした。
オビエド
案内のおねいさんに時刻表をもらい、ALSAの券売機でチケットを取りました。その前に勝手がわからず困ってたドイツ人のおばちゃんをヘルプ。最後に自分の住所の郵便番号を入れないとチケットが出てこないというのは、外国人にとっては初見殺しですね。要は適当な数字を決まった桁数だけ入れれば、デタラメでもチケットが出てくるのですが。
スペインのバルで「生ビール」を頼む時は、cervezaセルベッサ「ビール」ではなく、「ウナ カーニャ ポルファボール」(カーニャ一つ下さい)というのが一般的です。いや、本当はマドリッド限定なのかもしれない。cañaカーニャは「茎」という意味で、転じて茎のような形状の細長いグラスを指します。でも、マドリッドでもどこでも200ccくらいの普通のガラスカップに、ぷしゅーと注いだのをを出してくれます。時には「カーニャ ペケーニャ? グランデ?」(カーニャ小? 大?)と聞き返され、「グランデ」と言うと大きめのカップで出てきます。小洒落た細長いグラスで出てきたのは、オビエドのこのバルが初体験でした。
また、今まで旅してきた町のバルの多くでは、カーニャでもビノ(ワイン)でも、酒1杯にタパスが一つ付いてた。煮込みとかクロケタ(コロッケ)とか。オビエドじゃ無し。やはり「違う国」だったのかも?
シードラというのはフランスで言うシードル。リンゴで作った発泡酒です。ワインと比べりゃ度数も低いし、安いお酒です。このシードラのボトルを右手で持って、目一杯高く掲げ、左手のグラスに一直線に注ぐのが、オビエドのレスタウランテの「伝統芸」。「名人」なら一滴もこぼさずに注ぐのでしょうが、カマレラのおねいちゃんだと三分の一弱がグラスから外れて床に注がれる。それを写真に撮らせたりして、雰囲気を盛り上げ、店の売上も上がるというシステムですね。すばらしい。
半可通が思い込みで適当なことを書いているので、信用しないでくださいね。「決戦前に豪華版」というのは、どうもフランスの「カスレ」と混同していたようです。
でもまあ、豆は世界共通の貧乏人もとえ庶民飯で、それに肉が入れば「ご馳走」です。家でもちょくちょく作ります。garbanzoガルバンソ「ヒヨコマメ」が、お気にです。
この日は、正直、食いすぎたんで、オテルに戻って、三共胃腸薬を飲んで寝ました。