本筋と関係ない話、まとまりのない話

人それぞれ好きな部類の言葉と嫌いな部類の言葉があるように思う。最近、自分が聞いていてもやもやする言葉を挙げると

スキルを身につける、時短、効率化、競争力を高める、世界に渡り合う、日本の力を取り戻す、

自己啓発本によく載っているというか、数多の自己啓発本のゴールが上に挙げたような言葉であろうと思う。

自分自身、自己啓発本を買い漁って、未来の立派な自分、こんなもんじゃない自分のために生きようとしていた時期があった。僕個人の自己啓発本を読み漁ったうえでの感想は、「自己啓発本を読んだくらい人は変わらない」ということが分かったというだけだった。(語弊があるといけないので補足しておくと自己啓発本を読んでグンと成長する人も少なからずいるということは間違いない)

前に「宝探し」という記事にも書いたが、自分の糧になるものは、苦労して、苦労してやっとのこさ見つけ出せるようなものじゃないといけないのかなと思っている。反対に、大事なことが「大きく」、「アンダーラインを引いて」書いてあるような本はあんまりおもしろくはない。ただ1分かけていた作業が30秒で済むようになる程度の効果しか生み出さないだろう。

最近「分かりやすすぎる」ものが多いのでは?と思うことが多い。特に顕著なのは連続ドラマで、伏線を張るにしても「ここが伏線です!」「ここに注目してください!」というシーンがやたらに出てくる。

もう少しこちら側に委ねてくれても良いのになあと思う。自分の世代ではないし、ちゃんと見たこともないが、「高校教師」というドラマのラストシーンで先生役と生徒役(名前までは把握していないが…)がその後どうなったのか?ということで大論争になったという話を聞いたことがある。

巷で話題になったブレイディみかこさんの「ぼくはイエローでホワイトでちょっとブルー」という本にこういう表現があった。

「マルチカルチュアルな社会で生きることは、ときとしてクラゲがぷかぷか浮いている海を泳ぐことに似ている」

この表現は、多様な文化が混在している社会(特にアメリカなりイギリスなり)を念頭に置いたものなのだと思うが、自分が生きていく時の感覚にすごく似ている。

常に、何かを踏まないように、暴発させないように、そろそろと歩みを進めているような感覚で、それは他人に対してだけではなくて、自分に対してもそんな感覚で生きている気がする。

全然まとまらず、何が言いたいのかわからない文章になってしまった。「高校教師」というドラマの話を少し出したが、そのドラマの挿入歌、森田童子の「僕たちの失敗」がすごく好きで、池田エライザがカバーしているバージョンもすごく好きだという結びで今日は終わりに。

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