情報を自分から取りに行くこととはどういうことなのか
仕事の場で「情報は自分から取りに行かないといけないよ」と言われることがあります。
「だって俺そんな話聞いてないもん」みたいな事ばかり言っている人たちに向けての言葉だったりします。
これを単に「情報は待っていても得られないよ」の裏返しで、受け身の姿勢を正す狙いで使われているだけだと考えているとしたらそれは間違いなのではないかと考えています。
情報を採りに行く
記事のタイトルが「情報を取りに〜」なのに、見出しのタイトルが「情報を採りに行く」なのはわざとです。
情報を自分から取りに行こうと思ったら、次に考えるのは、「じゃぁどんな情報があるんだろう?」となるのではないでしょうか。
そんな「得られる情報カタログ」みたいなものは普通ないです。
「じゃぁどんな情報があるかわからないじゃん!」「どんな情報があるかもわからないのに、情報を取りに行くなんて無理無理」ここまで読んでいただいた方はそう思われる方もいらっしゃるでしょう。
「得られる情報カタログ」が必要なのだとしたらそれは情報を取りに行っている姿勢なんでしょうか。結局のところ与えてもらえることを期待しているので受け身の姿勢と変わりません。
山に山菜を採りに行ったことはあるでしょうか。採りに行く前は山にどんなものがあるかわかりませんよね。山に行ったらたくさんの山菜があるのと同時に食べるには適さないものもたくさんあります。
山に山菜を採りに行って食べられる山菜を取捨選択する作業が必要ですよね。情報を取りに行くというのは、まさにこのことを指しています。
山の山菜を情報に置き換えると、情報を取りに行って必要な情報を取捨選択するということなのです。
見出しで「採る」と表現している理由はまさにこのことを言いたかったからになります。
あなたは自走できますか
「そんな深い意味があるのなら、そう説明してくれればいいのに。」
確かにそうですね。でも伝えている側からしたら察して欲しいというのが本音だと思いますが、言われた当人は試されているように感じて気分を悪くする方もいるでしょう。
「あなたは自走できますか?」
と質問されたら、できなくても自分を大きく見せたい人や評価されたい人は「はい」と答えますよね。「いや、まず信じてみようよ」そう考える人もいるでしょう。
相手の立場になって考えてみてください。それをどうやったら信じられるでしょうか。
実際に自走している人なら信じてもらえます。自走してない人は信じてもらえません。
自分で求められることを理解して、情報を取りに行ける人は、自走できる人です。すなわち、情報を取りに行ける人というのは「山のような情報のなかから、自発的に有効な情報を取捨選択できる人」ということですね。
考えてみてください。あなたは自走できる人と自走できない人、どちらに仕事を頼みたいですか。