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書活№409*戦略的忍耐。
「◯◯するために努力するように頑張ります。」この文言、この人生で何度書いたことでしょう。努力とは一体なんでしょうか?
ある日、私は横浜のみなとみらいにほど近い何かの建造物をリノベーションした劇場におりました。ただ広い部屋を自由に使えるスタイルのようです。
知人が出演するというお芝居を観に行きました。演技するところをぐるりと囲うように客席の椅子が並び、舞台の半分に壁が設置されていました。あちら側とこちら側の見る芝居が少しずつ違うようです。
演者は、古い記憶なので定かではありませんが3人ほど。簡素な白い衣装、白い舞台、象徴的な壁。物語が進みますが気を抜くとよくわからないものでした。
ただ演者の人々はとても魅力的で「上手だなあ」なんて羨ましく思ったものです。それと同時にああどんなに上手でも一般的な評価には繋がらないのか…と、自分に置き換えると箸にも棒にも何にも引っかかるわけがないんだ、そんなふうに呆然としたことを覚えています。
努力ってなんだろう。
「努力してます!」と思った瞬間に努力をしていないと気づいてしまいました。何度、こんなに努力してるのにと思ったことがあるでしょう。そして知人の舞台を見た時から努力とは気づかぬものだと知ったのです。
本日読了した「ロングゲーム 今、自分にとっていちばん意味のあることをするために(ドリー・クラーク著)」に「戦略的忍耐」という言葉がありました。
努力とは他人に気づかれない、実を結ぶかさえわからない、けれど自分を信じて前に進むということを「戦略的忍耐」と表現していました。
本来の努力は自分でさえも気づかないのではないか?ならば他人が気づくわけもないのです。ここでお名前を申せませんが、ある役者さんを思い出しました。大先輩で舞台がとにかく大好きな人です。彼は命そのものを役に込めていました。目の当たりにした時に「生命」そのものだと感じ瞬きが出来ません、いやしたくありませんでした。
演技が終わり、次の場面へと転換するために彼が舞台ソデに来だ時の姿、一点を見つめまた自分の出番が来るまで力を再び蓄えようと全てのエネルギーを吸収しているように見えました。
目が離せなくなりましたが、自分も出番があるため自分に集中しようと板の上に目線を向けようとした時だったでしょうか。
「そのまま、楽しんだらええよ」
先ほどとは打って変わって、とても小さく柔らかな声で私に言ってくださいました。後にも先にも、私にとっての実がみのったのではないかと思う瞬間でした。
今私は、何に向かって進むのが時々迷子になっている気分です。自分を信じて前だけ見て進む、言葉では簡単です。しかし難しいことはもうわかっています。
著者はこんなことを言っておりました。
理由と先人の行ってきたことを見て、先人の意見を聞け。これは今私が取り組んでいるところでも繰り返し言われていることでした。
そうだ思い出した、どのシチュエーションでも自分のやる理由と先人のやってきたこと、意見を聞いてまずはマネをしろと言われてきました。
なんで忘れていたのでしょうか。おそらく、何度やってもうまくいかなくて不安だけが募ったからでしょう。しかしそれに対して私はどのくらいの期間をやってきたかといえばとても短いのです。
戦略的忍耐、今こそ私はこれが必要な時なのでしょう。
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