書活№398*何かをやりたいのに進めない人へ。
覚悟はできたか。
物事をやる上で「覚悟」というものが必要になることがあります。しかし覚悟というものは一体どうすれば出てくるのでしょうか。
44年という人生の中で、大なり小なり挑戦してきました。その挑戦は振り返るといつでも中途半端な気がしてなりません。しかしそれは運がなかったのだということにしてあまり振り向きませんでした。
例えば、20代。私は舞台に立っていました。舞台に立つまでの間の稽古期間はとても楽しくそして観にきてくださるお客さまのためにと懸命に努力をしている、ふりをしていました。
そう、今は思うのです。「努力している」と自分で思った瞬間にそれは単なるまやかしなのではないか…ということ。
結果を出す人とそうでない人の違いは、自分に酔っていないか?と問いたとき私は後者なので明らかに酔い潰れていたのだと、嫌ですが認めざるを得ません。
なぜ酔っていたのかというのは何かを覆い被せて見ないふりをしていたのではないか?そう私には覚悟が足りなかったのです。
環境を変えたか?変えられませんでした、いつでも逃げ道を作りましたし、安定をどこかで求めていました。
安定は私の薬。そしてそれが母の教えでもありました。水物のような商売をはじめる時の私にかけてもらった言葉は、お金を稼ぎ続けなさいということ。お金は仕事をすればある程度は稼げます。
ある程度稼いだお金で、実家で暮らし趣味のように楽しんでいたのではないか。そう、私は覚悟なんてこれっぽっちもしていなかったのです。
だから何もかもが中途半端に終わりました。中途半端に終わったものに目を背けるように30代を過ごしました。ここに育児が加わりますが、ここで初めて私を本気にさせてくれた人物が現れます。
我が子です。
この子はすぐに死への道を選択するではないですか!なんてことをしてくれるんだとがむしゃらにその子を追っていくうちに周りが見えなくなって気がつくと自分さえもなくなっていました。何かを間違えていたのでしょう。それはいまだにわかりませんが、やり方を間違えていることだけは分かり始めました。
そして私自身、周りが見えぬままでいるうちに我が子は、生きることを学び自分のための人生を着実に確実に歩んでいました。もうすでに私の手から離れて自分の世界を作っていたのです。
時々帰ってくるので、それを迎えます。そのほかはこの子を物理的に守るために日銭を稼ぐだけ。
日銭を稼いでいる時に私の中では事件が起こります。パートナーが病に倒れました。今は復帰して仕事に戻ってはいますが、以前のように働けないと呟いています。
しかし現実をどうしても受け入れられない私は、ここでも目を背けてしまいました。本当にこれでいいのか?いいわけがありません。
私は守るべきものがある。
そうだ、ふりだろうがなんだろうがもうどうでもいい。たとえふりでも見えたもん勝ちではないか。ああ、そうだもうごちゃごちゃ言ってる前にやらなければならない、時間がないではないか!
覚悟がどうのとか、そんなの後から考えろ。努力をしてるとかそんなの言ってる前に進め、私。
こんなことを言ってもやはり怖いものは怖いのです。ここから先は行ったことがないからです。私は少年漫画の主人公のような破天荒さも強引さもなく、小さなトンカチでトントントントンと橋を確認し続ける性格のようです。
渡れない。でも渡らなければ守れない。
今バンジージャンプのカウントダウンをされてるのにも関わらず全く動けない人のように足がすくんでいます。喉がカラカラ、手足の先が冷たく頭も働きません。
でもこの背中を押すのも飛び出すのも結局自分です。そんなことはわかってます!誰かの言葉じゃない、私だ。押せ!進め!失敗したって何したって挽回できるから…
いけいけいけいけいけいけいけいけ、呪文のように今日も私は繰り返します。何かをやりたいけれど進めない人へ、こういう時も大事ですよ、ね?