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バス停でも座りたい
「疲れる」
この3文字を何度頭の中に繰り返してきただろう。
のちのち説明を加え怠惰な私を知って欲しいと思うが、私は「疲れる」と感じることが日常となっていた。
思えば疲れなかった学生時代、社会人時代はなかったのではないか。
とにかくいつも疲れて、布団に転がることだけを人生の楽しみとしていた。
そんな私も、住んでいる街では移動もする。
バスや市電、公共交通機関をよく利用する。
運転免許は流れに乗って取ったが、今やただの証明書でしかない。ペーパードライバーにとっては、あってないようなものだ。
免許があっても、恥ずかしながら車を維持できるほど働かなくなってしまい、交通ルールすら忘れてしまった。覚えているのは確か右が進む、左が止まる、それくらいである。
今後も、おそらく運転することは一生ないだろうと確信している。
バスに乗る人は分かると思うのだが、2020年から国内でも流行しているコロナウイルスの影響で、最近は大抵のバス停にベンチがない。
感染対策なのだろうか、ほぼ撤去されてしまった。
「疲れる」私にとって、バス停で待つ数分も耐えられない。バスが来る数分のあいだ、他にもバスに乗るであろう人達の存在にすら疲れてしまう。
誰が私を見て、特に何か言うわけでもないのだが、狭い街では挨拶くらいしなくてはあの部屋のあの人は…とすぐ噂をするのだ。
大変くだらないが、これが県庁所在地のある市内といえども、地方の街に住む者の面倒くささである。
それゆえ、私はバスを待つ間、人に会ってしまうことすら疲れてしまうのである。
だからバスが来るギリギリまでバス停へ向かわず、布団の中でギリギリまでだらけて慌てて着替えを済ませ走るのが常だ。
昨年の秋から、格安の家賃で部屋を借りた。
周囲はほぼ老人、それと2匹の犬、誰のものでもない地域猫、という穏やかな場所で、夜になると静かすぎて物音を立てないよう気をつかうような、人里離れてもいないのに不思議な老人街に私はいる。
その街の片隅に、誰にも忘れ去られたようなさびれたバス停があった。
停留所の周りは咲くのか咲かないのか分からない、小汚い植え込みがあった。地域猫、というのだろうか、猫が我が物顔で植え込みのある道の真ん中にデーンとくつろいでいた。
これ見よがしに、いつ使ったかも分からないくたびれた木製の灰皿が傾いている。
人がバスを待っている様子は、ほとんどと言って良いほど見たことがなかった。
そんなさびれたバス停だが、先日、別のルートで目的地に向かうため時刻表を確認しようと寄ってみたところ、大変貌を遂げていた。
時刻表は小綺麗に貼り直され、どこから持ってきたのかコカコーラの文字がハゲかけたわりとまともな、赤いベンチが置いてあった。
さらに、以前見かけたはずのくたびれた灰皿も、受けの中には水がきちんと入れてあり、どこぞの街中でも見かけるような、いかにも「街角の灰皿」が置かれていた。さらに、バス停らしく「屋根」が設置され雨を凌げるようになっている。
1番驚いたのは、高さのある小洒落た竹作りの置物で、その上に「コロナ対策にご使用下さい」と丁寧にもアルコール消毒液が設置されていたことだ。
このご時世、バスに乗る前にもやはり消毒が必要なのだ。
それにしても、急に丁寧なバス停に変身、である。
私は、とにかく数分を立ったまま待つのが本当に嫌だったためそのまま椅子、椅子!!!とうきうきしながら小躍りして「コカコーラがはげたベンチ」に腰かけ新たなルートのバスを待った。
バスを待つ、その間座っていられる。
なんと素晴らしい時間だろうか。
5分もあれば、「大人のための心理ゲーム」を数ページは読める。それも、優雅に座りながら読書をし、若干の人目ははばかられるが、落ち着いておいしくタバコも吸えるのである。
幸い、その日バスを待つ人は私のほかにはいなかったため、ヘビー喫煙者の私もありがたくその灰皿を利用させてもらった。
なんと優しく、満ち足りるバス停だろうか。
「バスを待つ」、このたいして面白くもない、つまらない日常の行為がものの数ヶ月のうちにちょっとした美しい休憩所、楽できる待合所になったのである。
怠惰な私ですら、あのバス停からバスに乗る、ただそれだけのことがちょっとした楽しみになるのではないか。
小さくとも、怠惰な人生においてはこういう幸福も大切にしたいと1人でにやけたのだった。
とにもかくにも、バス停に手を加え、待つ人のことを思いやった様々を設置してくれた辺鄙な街の老人会の皆さんに拍手を送りたい。
ちなみに、今でもすぐ近所のバス停には、屋根はあるが、喫煙所もベンチもなくつまらないただのバス停のままである。
かと言って、わざわざあの素晴らしいバス停まで歩いて行くかというと、実はもう行かなくなった。
数分の早起きと徒歩で5分歩くなら、布団でギリギリ、ダッシュで2分のほうが私に合っているのかもしれない。
布団から飛び起きて走ってバスに乗り込む日々は健在である。
なんとも怠惰な人生である。