【地域おこし協力隊サポーターズ鹿児島 メンバー紹介:蔵元恵佑】
『地域おこし協力隊サポーターズ鹿児島』(以下:サポーターズ)について知ってもらうにあたり、メンバーや活動紹介を毎月行っています。地域おこし協力隊(以下:協力隊)の皆さんへメンバーの想いを届けることで、顔が見えるようになり、少しでも相談しやすい体制ができたらと思います。
第3弾の記事はこちら。
今回の『株式会社オコソコ』代表取締役・蔵元恵佑さん(南九州市地域おこし協力隊OB)の想い(第1〜4章)について紹介していきます。
手触り感のある仕事を鹿児島で
蔵元:僕が頴娃(えい)町の地域おこし協力隊になった理由は2つあります。1点目は高校の同級生のチャコ(南九州市地域おこし協力隊OB:前迫昇吾さん)から頴娃を紹介してもらったことです。
彼は僕より先に2016年の夏から頴娃町の地域おこし協力隊として着任してミッションにあたっていましたし、高校の同級生だったこともあり、頴娃へ気軽に足を運ぶことができました。
2点目ですが、僕は以前『株式会社ニトリ』にて会社員として勤務していました。大手の会社だったので商品数がたくさんあり、知識レベルでお話はできたのですが、実体験で伝えられるかというと、そうではありませんでした。
そう認識した時に「お客様に対して嘘をついている感覚で仕事をしているのでは?」と思うようになってしまって…。
お客様に商品の魅力を伝えることに対して限界を感じていたこともあり「もっと手触り感のある仕事をしたい」「それを鹿児島を舞台にできるようになりたい」と思うようになりました。
蔵元:会社を退職後は2017年2月より頴娃町の協力隊として着任しました。勤務形態としては、市役所に所属するのではなく、『NPO法人頴娃おこそ会』(以下:おこそ会)が受け入れる形でミッションを進めていく形でした。
そこで観光コーディネーターとして、3年間で観光ガイドや空き家再生を軸に事業を少しずつ作っていきました。
協力隊になったのはチャコの存在もですが、おこそ会の皆さんの背中を通して頴娃で一緒に根付きながら生活する未来が見えたことが大きかったです。この地に根付きながら、言葉にしたことを実行に移せる人たちが近くにいたことは大きな支えになりました。
着任当時は空き家再生を進めている段階で事務所となる拠点がない状況だったので、その点は大変でした。それでも、おこそ会の皆さんが長年地道な努力で積み重ねてきた信頼があったからこそ、僕らは動きやすい土壌の中でミッションを進めることができたかと思います。
目先ではなく、長い目で見ること
蔵元:ありがたいことに市や受け入れ先のおこそ会の理解もあったので、あとは僕が「ちゃんと結果を残す」ことかなと思いミッションにあたっていました。
協力隊の最初の仕事は観光バスツアーでやってきたおじいちゃん・おばあちゃん達に番所鼻公園・釜蓋神社・大野岳公園ガイドをすることでした。それは今でも忘れられません。
そこから少しずつ、ガイドやSUP等のアクティビティに関する資格取得や研修受講を経ながら観光事業を展開していきました。その後、空き家再生事業で改装や資金調達を進め、宿泊事業も始めたんです。それが2018年6月からでした。
旅人同士や僕らが交流できるようにゲストハウスとして運営を始めました。宿泊した方がSUPを利用して頴娃の魅力を体感したり、地元の人と仲良くなって何度も足を運んでくれたりすることもあったので手応えを感じ、協力隊の卒業後の仕込みも色々進めてきました。しかし、予想もしなかった事態が起きてしまいます。
蔵元:それは新型コロナウィルスの蔓延でした。ちょうど僕の協力隊卒業の時期が2020年1月で、その頃から世の中の様々な動きも変わってきました。協力隊任期中に立ち上げた『株式会社オコソコ』が3期目を迎えようとしていて「今年こそ!」と思っていたので、とても大きな壁にぶつかった感覚でした。
それでも試行錯誤を繰り返しながら変化してきました。例えば、ゲストハウスは元々不特定多数が泊まれるようにしていましたが、それを一棟貸しに変更することにしたんです。
頴娃に足を運んでくださった旅人同士で交流してほしい気持ちはあったのですが、考え方を変えて、色々な人と交流の空間は『だしとお茶の店 潮や、』で、自分の部屋のようにゆっくりしてもらう空間を『ふたつや、』で、と考えています。
結局、「自分がやるしかない」ということはシンプルだったので、その中で「一人で抱えずにどう色々な人を巻き込んでいけるか?」「どんな人を巻き込んでいくか?」を考えていきました。
大事なのはずっと目先のことではなく、長い目で見ることだと思っていたので、そこを地域の人たちや外の人たちに助けてもらったからこそ今があると思っています。
自分の考え=正しい、ではない
蔵元:協力隊時代の一番の学びは「自分の思っていること・考えていること=正しい」ではないと思うようになったことだと思います。
実は、それで僕自身が失敗したことがあるんです。地域の皆さんとある取り組みをしようとした時に「それは持続的にできるんですか?」と言ってしまったことがあって…。
その時に色々な人から信頼を失ってしまった時期がありました。「なぜだろう?」と考えていた時に、おこそ会の先輩たちから「サービス事業性の脳と社会性の脳はそれぞれ違うから頭の切り替えをしないとね」とアドバイスをいただきました。
その時に僕は一緒に動いてくれる皆さんに対して「こうしたらいいのでは?」と評論家のように言葉を発していたことに気づいたんです。
蔵元:大事なのは「なぜそのようになっているのか?」の背景を考えることなんです。その「なぜ?」には誰かの決断や意思があって今の状況があるわけで、自分の思考理論や外で見た風景・仕組み・文化をむやみやたらに地域に変換すべきではないと思っています。
まずはその「なぜ?」に耳を傾け、寄り添い一緒に考えていくこと。それが大事なんです。僕はそれをせずに自分が正しいと思ったことを先にぶつけてしまったので、失敗してしまったと反省しました。だからこそ、今のようなスタンスで色々な方や地域と向き合いながら仕事の臨めるようになったんだと思います。
日常に悩みの種はある
蔵元:サポーターズは代表の吉村さんに声かけをしていただきメンバーとなりました。吉村さんは自治体は違えど、協力隊の同期でもあり、以前から何度か一緒にお仕事をさせていただいている心から信頼する方です。
なので、想いがあってサポーターズを運営されていることに対して「何か力になりたい」と思い、関わらせてもらうことになりました。僕は協力隊時代から事業を行っているので、制度の活かし方のノウハウや相談等は特にお力になれるかなと思っています。
何より僕は飲食店や宿泊施設を運営していて誰かを迎える場所があるから、気軽に遊びにくるくらいのスタンスで頴娃へ来ていただけたら嬉しいです。もっとフランクな感じでいい、もはや相談に来なくてもいいかなって。
蔵元:悩みの種って日常の中にあると思うんです。「不安なんです」と相談を目的にしてしまうと、かしこまってしまい敷居が高くなってしまいます。
それなら「SUPしに遊びに来たら?」だったり「潮や、で一緒にご飯食べようよ」とか。ただ単にコミュニケーションとりに来てもらえたらなって。もしかしたら、その先に「実は…で悩んでいて…」といった相談に繋がるかもしれない。
だから、もっと言い訳をたくさんしていいから、結果、それで話を聞けたらという感覚でいます。むしろ、自然体で何も頭の中で整理されていない状態の中にヒントがあったりするのかなと考えています。
それは協力隊関係なく会社員だろうと個人事業主だろうと、そうじゃないかなと。そういうことに時間を使っていくほうが人生も社会も地域も良くなると思っています。そのために、言い訳できる場所をたくさん作っておきたいです。
(終わり)