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【micorai column①】 らい君、またね。

2019年12月
腎不全によりクリスマス・イヴから急に食欲をなくし、それまで引いたことのない鼻風邪を引き、あまり動かなくなりました。


年齢と共に目も見えなくなり、ほぼ全盲となったライ君。        今までの記憶と感覚で間取りを理解し問題なく生活していましたが、クリスマスを境に、いつもとは違うフラフラとした徘徊が始まりました。

腎不全の影響による脱水症状と共に痴呆とが進んできた様子でした。  

腎不全は知らぬ間にゆっくりと進行し、気がついた時にはすでに末期。
もう年だから、、、という気持ちもあり、その前兆を見逃してしまった。。。

お医者さんと相談し、水分の点滴による延命治療を考えました。     でも、2歳の時に尿結石を患い、膀胱の限界からカテーテル治療をしたライ君にとって、病院はとてもとてもストレスのかかる場所。

かなり体力が落ちてきているはずなのに、病院では力を振り絞って不満の声をあげていました。

この様子では、点滴もご飯も無理だし、難しい状態にあるから、、、、とお医者さんからも自宅療養を進められました。私も同感でした。やはり、お家で、ミコもいるところで最期を迎えよう、って。

自宅に連れて帰り、ほっとしたのか、少し元気なそぶりで歩いていましたが、すぐに落ち着く場所を見つけて丸まりました。

強制的な餌付けもライ君が嫌がらない程度にあげることにしました。スポイトで水を口に運び、たった数滴舌を出して舐めてくれるだけで、本当にうれしかった。

刻々と迫る最後の時に、年を越せないかな、と覚悟していましたが、頑張って、なんとか意識があるうちに年を越してくれました。  

今まで寝室は別にしていましたが、この時には一緒に寝ました。

夜中に足を縺れさせながら体力を振り絞って、暗がりや、物陰、何かの下に行こうとするのは死期を知る猫の本能でしょうか。

そこに行っちゃいけないよ

と何度も何度も抱きかかえて胸の上で寝かせました。  

ふと、気がつくとお姉ちゃん猫ミコに寄り添われていました。
小さい頃からずっと一緒にいるお姉ちゃん。
クリスマスに、ライ君の体調が悪くなり始めた時は、それほど寒くもないのに一日中、寄り添ってライ君の体を舐めていました。


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その後、年が超え、体調の悪化と病院によるストレスから気が立ち、お姉ちゃんを近寄らせませんでした。


数滴の水と液体の食べ物を口元に運び、なんとか過ごして数日。

1月2日の深夜、様子を見るとミコが寄り添ってました。

その姿を見て、、あ、これは最期かな、、と直感的に感じました。

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明け方6時には体温が低下し、水を飲む舌も出せなくなりました。

下がる体温を撫でて温めました。

9時頃、私の腕の中で、一度。

近くに来た妻に向けて一度。

声はなく口だけで鳴きました。

そして、私の右手人差し指に感じる心臓の鼓動が静かにゆっくりと消え去って行きました。

数日苦しかったとは思うけれど、最後は大きな発作もなく、ただただ静かにその時を迎えたことができたて幸いでした。  




私が社会に出て4年目の時にミコと一緒に迎えたライ君は、毎朝ベットで大きなグルグル音と共に私の顔に頭突きをし、ベッドから出た足や手に、少し湿った尖った鼻先を押し付けました。

2歳の尿結石の時は本当に心配した。夜中に緊急病院に何度も連れていった。それからずーっと医療食。

食べたくても、あげたくてもあげられないおやつ類。ずっと同じカリカリ。

酔っ払って帰って夜中に食べる私のカップラーメンや、マックのポテトやクッキーが食べたくて食べたくて膝の上でどんなに待ってももらえず、我慢できず何度も手を出しては怒られ。

最後は、もう食べていいんだ、とチュールを一生懸命舌を出して食べた。  

こんなことならもっと早くに色々食べさせてあげればよかったね。

ほんとうにごめんね。  

風邪も引かず、悪さもせず、いつも私の胸の上で寝てくれた。
最後は私も連休で、出張もなく、毎日一緒に過ごし、看取らせてくれました。
私のこの15年は君あってのことです。本当です。ありがとう。  

直接、間接的にもライを可愛がってくれた皆様、本当にありがとうございました。
目の前のライは、まだお腹が動いて息をしているように感じます。


Lazola Eterno‐永遠絆‐ micorai
ラソラエテルノ

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