御堂筋事件と女性専用車両の件を書いた後の雑感
新年に入ってから、どうも書いている記事があまりうまく進んでいないこともあったり、ちょっと体調不良などが続いていたため、記事の更新が遅れている環境にあり、何か書かないといけないかなと焦ってはいたが、色々と考えていると、また何やら御堂筋事件に関して情報が出ているようだ。
記事を書いてから時間もたっているし、ちょっと自分の身に起こったことなどここいらで、御堂筋事件の記事を書いた後の反応なぜや感想でもざっくりとまとめようと思う。
1 結局は誰も情報を探ってきてはくれなかった。
わかりきっていたことだが、情報提供を求めてみたものの、記事を書いて半年近くたっても反証となりそうな客観的情報なんてものはなかった。
反論を試みることも何人かいたが、ほぼ全部が何らかの揚げ足取りを取るようなことや、都合のいい推論や箸にも棒にも引っかからないような感情的な話ぐらいしかなく、情報提示を求めても提出する者はほぼ皆無だった。
仮に何か情報を出してきたとしても、既存の伝聞記事がせいぜいであり、反証として挙げるにはあまりに弱いものばかりで退屈であった。
ひどいレベルになれば、そもそも記事の前提が最初に主張した側(きっかけであるといい始めた側)が碌な資料提供もないままに発表したことによる反証であるのだが、その段階ですら理解していないかもしくはわざと理解していないと思われる人も多く見られた。
noteにて反論記事をあげている者もそうだったが、基本的にはきっかけがあったとした側がきわめて曖昧模糊な主張や定義の仕方をしており、資料も何もないような状況であったにもかかわらず、状況を無視して何か反論できそうなところを集中的に攻撃しようとしているようだが、全体を読んだわけでもなく、肝心の証拠提示をしてこないし、証拠をきっかけがあった側に求めることもしなかった。
反証側である者は、本来なら相手の主張をあいまいにしてしまえば反証する必要はないのだが、悪魔の証明でも求めに来ていたようにも見受けられ、積極的な立証というようなものは少なかった。
折角、事実検証を進めていきたいと思っていたりもしたのに、こういったものばかりでは興ざめしてしまう面もあった。もっと検討してほしいのなら、もっとちゃんとした証拠や根拠が欲しかった。
また、たかが30年ほどの時間しか空いてないものであっても、まるで歴史学のような検証をしなくてはならない面もあった。御堂筋事件の情報発信が盛んになったのがつい最近だったということもあり、なぜ今まで情報が出てこなかったのだろうか?内容も他人からのまた聞きではないかというような内容を見ていると、一次史料や二次史料といった面も意識させられた。
通常は、事件から時間がたっておらず、事件の当事者が直接見たことをすぐに記したといったようなことが一次史料になってくるものであり、こういったものをまず第一に重要視する。だが、検証記事などを見ればわかるが、誰かから聞いたものや特定サイトに記載された記事といったような、二次・三次レベルのものを重要視するし、一次レベルに関してはそもそも探す気もなかったのではないかと思われた。
当時の資料はなく、時代がたってから出てきたものというのは歴史学ではよく史実としては怪しいと思われる事情の一つではあるが、そういったところがこの事件でも見れたというのは、個人的にはとても感慨深いとも感じた。
もちろん、史料はそこから検証が必要なのだが、それに関しても碌なのがなかったりするのはいうまでもない。
2 否定されてもなお信じ続けたのはなぜだろう?
様々な資料を基に考えられることを記述してきたわけではあるが、それでもなおきっかけであると信じようとするものも多かった。
それらのものがなぜ信じるのだろうか?ということを観察してみたりもした。そこから見えたのは、同じ痴漢対策という面が共通していることから、きっかけになっているのではないか?どこかの誰かがそういったのだから、ちゃんと調べて記事にしたのだろう。といった非常にふわりとした個人の感情や感想だったといえる。
確かに、共通する部分があるのなら何か関連があるのだろうというのは理解できないわけでもない。しかし、関連性がありそうだからといって必ずしも本当に関係しているわけでもない。
簡単なことなのだが、自分たちが痴漢対策で何かやっていたとしても、別の団体が特に自分たちの行動と関係なく動いて実現した行為があったとしたら、関係ないと思うのは当然だと思います。
自分たちとかかわりがないからです。
何か関係があるのなら、どうかかわったからなのかとか検証が必要なのでしょう。どういった事情があるからか、何か連携をとったのだろうか、証拠はあるのだろうか。といったことを具体的に詰めていくわけですが、やっぱりここでも、事実検証が非常にふわっとしているものでした。
月並みですが目の前の情報を精査するというのは、時間のない時代に生きている多くの人には面倒なことであり、難しかったのでしょう。そこに自分の信じたい情報や正当性があれば、あまり考えずについついのってしまったのではないでしょうか。
これらのこともあってか、現代でも情報なんて碌なものがないにもかかわらず、御堂筋事件がきっかけであるという情報が垂れ流されている。前に比べればマシになったと思われるが、一度流れた情報に対する事実検証や情報の誤りを是正することがいかに難しいことなのかを実感させられるわけである。
3 記事を書いた後の怪しい動き
記事を書いた後に、どうも怪しい動きを複数見ることができている。
先ほど書いたnoteにて反論記事を書いてきたものも、急に出てきた新規のアカウントであり、突然私のようなさして大きくもなく、フォロワーもそれほどいないアカウントに、あれだけの長文を書いてくるようなことは今までなかったといっていい。(しかも妙に論文の引用などにも詳しいようだった。)
千田教授の周辺にいるようなアカウントからも、ツイッター以外から急に絡まれたりとどうもおかしいなあと思うことがあったが、最大の怪しいことといえば、千田教授からの突然のブロック解除だったと思う。
この記事を書き終える時点では、私は確かにツイッター上でブロックされていた。ちょうど昨年の8月が終わるころだろうか?何故か、千田教授のアカウントのブロックが解除されていたのを確認することができた。一応下記のツイートの後にブロックされたと記憶している。
ブロックされてから解除される以前には、下のような形でスクショを取ってやらなくてはならなかったわけでしたが。
今はスクショでとったのですが、こんな感じで見れるようになっています。
そもそも解除する理由は何だったのだろう?別に変な人物だったり攻撃的なアカウントだと思うのなら、解除する理由はないように思われるのだし、仮に間違いを指摘するためにあえて反論できるのならやってみればいいだろう。ただ、この記事を書いている現在までに千田教授本人とわかるものから反論はない。
千田教授は、時に訴訟を起こしていることもあるくらい反撃をしてくる気質も有しているほど積極的ながらも、何も言ってこないというのは千田教授自身も誤りをどこかで認めているのだろうと考える。ブロックを解いたのは、こちらの様子を窺うようにしているためではないかと思われる。
その他にも、同様に千田教授が過去に出した論文を批判しているアカウントからの証言もあった。
今まで、起こらなかったことがこれほどまでに見受けられるというのも、どうも本人自身が強く動いていたか、その周辺に協力者が何らかの形で動いていたのではないだろうかと考えられる。
だが、これらの行動は逆に私自身が調べた内容がより真実に近いということを示してくれているものと確信している。
とりあえず、記事を出してから今まであったことをちょっくらまとめてみたわけであるが、なかなか人生では体験できない経験だったと思う。この経験は今後にも生きるだろう。
あと思うことがあるとするなら、多くの人々が変な情報に惑わされず、しっかりとした情報をもとに判断できるようになってほしいし、そういった情報発信ができればよいなとは思っている。
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