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幸福度調査とその反論に対する反応
男性差別の主張をしている際に、男性に対する差別がある事を主張する手段の一つとして、幸福度調査というものがある。
幸福度調査というのは、いくつか調べ方はあるようだが、主観的な幸福度を数値化して判断するというのが主流になっている。
データをいくつか紹介するが
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幸福度調査に関するデータをいくらか見ていても、日本は男女の幸福度の差が女性のほうが幸福であるという点で、一貫して高い。その傾向は年数を重ねても、ほとんど変化していない。しかも、幸福度調査に関しては、調査によって質問事項は違うにも関わらず、どのような調査でも特殊なレベルで差が出る傾向がある。
これが、男性のほうが不幸なのではないか?女性差別が根強く存在しているのという言説はどこかおかしいのではないか?というような反論の一つとして利用されるのだ。
もちろん、それに対していくつか反論が出てくる。今回はその反論に関して取り上げ、更にその反論を試みることとしよう。
1 主観的であるという反論について
そもそも、幸福というはその人がどう感じるのかというのは、個人個人で違うのであり、一定の客観的な指標というものにはなじまないのではないか?というのが典型的な論理だ。
主観的なものに左右されるのであれば、どうしてもそのときの気分や状況によって簡単に変化してしまうものだから、精度として良くないのではないか?と。
だが、主観だからと言って本当に全て排斥できるのか?と言われるのも疑問である。。
そもそも、統計と言っても主観的な部分と客観的な部分というのは混ざり合っているものである。主観というのを分けるのは難しい側面もあるだろうし、主観が混ざっているからと言って、それが再現できないとか全て間違っているというのもおかしいのではないか?
また、一定の年数以上を調査した結果、同じようなデータが何年も数値上で現れているとなると、それは立派な客観的な傾向を示しているものとも考えられる。更に、なぜそうなるのかという新しい疑問への端緒にもなるだろう。
もちろん、主観的なものであっても、実際のアンケートなどでは通常通り利用されており、主観だからと言って客観性が排斥されているわけではない。
さまざまなツールを駆使しても、数値化できない要求は残る。例えば「痛さ」「使いやすさ」「分かりやすさ」といった、五感や感覚的認識に基づく評価項目である。これらの項目については、試作品を実際に使ってもらった上で、例えば5段階評価のアンケートを実施するとよい。十分な母数を確保していれば、アンケート結果も客観的根拠として使える。
また、解答方法を工夫することによっても、主観的な面でぶれるようなことをある程度は防ぐことが出来るらしい。
主観的だからと言う理由で、全てを切って捨てるということも出来ない。
2 このような幸せは認めないという反論
幸福度調査における結果について、現在の日本の状況を見てこれは真の幸福ではない、偽りの幸福である。と言ったような意見をぶつける人もいる。
このような意見の内容としては、日本では未だに女性の就業がうまくいっていないことを指摘する。管理職や役員の比率が男女比で偏っていることや、賃金格差、出産から復帰までの補助など。まだまだ不自由な状況があるのだからこそ、女性は縛られている状況である。
この状況下で、幸せを感じることはおかしい話であり、女性は幸せだと思わされている何らかの事情があるのではないか?本当に幸せになるには、女性がもっと働いて輝ける社会が必要である。だから、今の状況は間違っている。
というものである。
ただ、はっきりと言って申し訳ないのだが、これはその考えを持っている人の願望に過ぎない。
他人が何をどのように幸せを感じるのかというのは、人それぞれである事は既に述べた。幸福追求に関しては、一人一人がどのような幸福を探し、何に幸福を感じるのは自由なのだ。
多数の選択肢の中から、自分が望むものを選び、自分が選択してその中から自分のやりたいことを選ぶ。それが多様な価値観を認める上での前提であるだろうし、またその自由も保障されているものではないだろうか?
むしろ、女性が就業してないといけないだとか、賃金格差がある状況は差別であり、女性の幸福は偽りではないか?女性がもっと働かないといけない。という意見をそのまま採用しても、それはそれで画一的であるし、とうの女性側がそれで幸福を感じるかどうかどうかはわからない。
幸福度調査だって、別に女性が自由に就業できて、色々な補助がないといけないだ!なんというものを求めてはいない。単に幸福かどうかを一定の質問にて、計ろうとしているだけである。最初から前提にもしていないことを勝手に付け加えては、多様な生き方にケチを付けているだけなのだ。
他人がそう思わなければならない理由もなければ、他人の幸福を決める権利はあなた方にはない。GGIといった偏った指標を用いて、日本では女性が差別されているのだから不幸。数字が是正されていないのに、幸福を感じるのは間違っている。という偏見によって、そう思い込んでいるに過ぎないのだ。
3 適応的選好とその矛盾
先ほど、日本の幸福について偽りではないだろうか?と言うことを少し述べたのだが、その意見を補完するための仮説として、適応的選好というものがある。
一方で、女性の幸福度が高いからといって、女性が差別されていないとは限らない。女性は差別的な社会によって「適応的選好」を形成してきて、いろいろなものを無意識または意識的に諦めてきたから幸福度が高くなっているだけかもしれないからだ。
じつは、このように満足度や幸福度だけをみて人々の暮らしぶりを判断することの危険性については、倫理学などにおいて専門的な議論が積み重ねられてきました。以下では、そうした議論で用いられる「適応的選好形成」という考え方を紹介したいと思います
不幸な部分があったとしても、幸せな部分を探すことや諦める。その上で、いい部分を探すことによってそれに喜びを感じ、幸福が産まれるという自己啓発関係にも出てきそうな意見だ。
これも、女性差別があるから不幸という偏見の亜種なのだろう。とりあえず差別されているのに、幸福を感じるのはおかしいという矛盾を説明したかった。そのための方便の一つとしての仮説ではないか?と推察される。
この仮説を検証するのはそれほど難しい話ではない。幸福度に関して、日本と同等か、それ以上に女性が差別されているだろう国や、男女差が近い国などの違いを探れば、ある程度は推察できるからだ。
というわけで、先ほどのデータをもう一度見ながら確認するとしよう。
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(1)ジェンダーギャップ指数において、日本に近い国を見てみる。
とりあえず、幸福度調査で男性優位の状況でありながら、ジェンダーギャップ指数が低い国でも見ていこう。参考として、2021年度のジェンダーギャップ指数を参考にしつつ、比較することとする。
例えば韓国(102位)においては、先の表では幸福度の差がだんだんと男性優位になっている傾向になってはいるが、ジェンダーギャップ指数は日本と大差はない。
ロシア(81位)、キルギス(108位)、ハンガリー(99位)といった国々も、ジェンダーギャップ指数は低い国だが、韓国と同様に男性の方が幸福度優位になっている。チリ(70位)あたりも、少し順位は離れるが、幸福度の男女差は男性優位である面がかなり強い。
特に、キルギスは近年まで誘拐婚が合法化されていた国である。現代でも慣習として残っていると言うことではあり、慣習上とはいえ、このような形で結婚した場合には、離婚などで離れることは大変困難だという。
さて、人権侵害として論を待たない内容ではあると思うが、適応的選好とやらがしめす論理でこれはどう説明するつもりなのだろうか?
(2)戦争における影響
しかし、ジェンダーギャップ指数が日本よりも低い傾向にある国には、日本並みかそれに近いレベルで、女性側が超過している傾向も見受けられる。時期によっては、イラク(154位)やイラン(150位)、シリア(152位)といったようなGGIが日本よりも低い国があることから、似たような状況はないだろうか?とも考えられる。
だが、これらの国でも他に考えられることがある。それは戦争の影響だ。
アラブ方面は戦争や紛争がよく起こっている地域でもあり、男性が生死をかけた現場に行かされ、男性にも不幸が降りかかりやすい状況があることだ。
イラク戦争は2003年、2010年から2012年頃にはアラブの春といった内乱の時期であり、複数の国家で国内が荒れていた時期である。
戦争などになれば、もちろん仕事もままならないだろう。職を失い、家族を養うことも難しくなる。生きていくために兵士になるにしても、命をかけなくてはならない。そんな状況では、男性も十分に幸福感を感じることはないだろう。
そういった影響もある程度減ってきたのか、2017年にはヨルダン、イランなどといった国々では、男女差がほとんどなくなって来ており、日本のような一貫した傾向にはない。イラクだって2005年にはあれだけ大きな差があったにもかかわらず、かなり差は縮小している。
もっとも、日本のように戦争もなく平和で、治安も安定している国家において、同様の傾向を見いだすことは困難である。
※ちなみに、ヨルダン(131位)やレバノン(132位)、トルコ(133位)のように男性優位かほとんど変わらない国もあるので、GGIが低い=女性優位という形には必ずしもならない。
(3)ジェンダーギャップ指数が高い国であっても
また、ジェンダーギャップ指数が高い国であっても、国内事情によっては幸福度調査が日本のような数値を示すものもあるようだ。
イギリス(23位)やオーストラリア(50位)、オーストリア(21位)付近がかなり近い動きはしている。また、特にフィンランドが近い傾向にはあるが、北欧3国も日本に近い傾向はある。
日本ほど露骨な傾向にはないにしても、ジェンダーギャップ上位国とこれらの国との違いについて、何か語れているような形跡はない。
考えようによっては、女性の社会進出が進んでいようがいなかろうが、同じような傾向を観察できる国には、何か別の要因が考えられるのではないか?
だが、それらを検討しているようなことを見ないのである。(もちろん、検討しても女性差別をされている国という前提が崩れるかもしれないから、やらないのだろうが。)
自説を強化するためには、一つ一つ反証になり得そうな部分は潰していくのが、研究というもののはずだが・・・。
これだけ見るだけでも、適応的選好で説明がつくのなら、なぜそれとは違った結果がいくつも現れるのだろうか?という説明に疑問符がつくようなことが多いだろう。日本と同じようになるような裏付けが出てほしいものだが、調べてみてもなかなか見受けられない。
もっと言えば、この仮説はジェンダー以外の事象について、真面目に検討をする気があるのかも疑問である。
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