11 神話の果てに 「例外を原則に 原則を例外に」
肥大化し続ける性犯罪対策はいったい何を目指しているのか?我々に何をさせようとしているのか?
いきつく先を見定めようと実に様々な現象を見ていき、すべてをまとめて判断するのなら
「性犯罪において原則を例外にし、例外を原則にする。」
ということをやりたいとしか言えないのである。
(1)例外だからこそすべてを奪うこともできる
ここまで見てきたものは皆わかってはいるだろうが、法律でも倫理的な面でも我々が知っている守るべき原理原則たちがどれだけ犠牲になり、そしてこれからもそうなることがわかっているだろう。
「疑わしきは被告人の利益に」、「適正手続」、「プラバシー権」、「立証責任」、「二重処罰の禁止」、「私刑の禁止」、「身体刑の絶対的禁止」、「居住・移転の自由」、「職業選択の自由」、「デマに対する対応」、「表現の自由」、「差別の禁止」、「社会復帰の道」etc
本来ならしっかりと適用を受けるべき物事でも、性犯罪であるのならすべてそれらを奪うべきことであり、場合によっては罪の軽重どころから処罰されていないものですらそれらを奪おうとする。
まともな思考をしていれば狂気の沙汰というべき事象ではあるが、これらを本気で行おうとしているわけだ。
性犯罪であるのなら人権の適用はない。差別や迫害すらするし、そのための治安が悪くなろうが他人の権利が侵害されようが構うことはない。
それを覆そうといくら正論を交えたとしても、論よりも感情、大衆の狂気こそが場を支配する。もはや覆しようがないほどになってしまえばどうしようもなく、ただただ崖へと突き進んでいくのである。
(2)一度できてしまったら難しく、またこの狂気を説明するのも難しい
(イ)できたものをひっくり返すことは難しい
出来てしまってからは覆すのも難しいし、取り戻しようのない損害が出ても誰も抵抗できない。
「正しくありたい」「犯罪者を許したくない」「犯罪者が野放しになってしまう」などという一見正しさを持っていながらも、その実は欺瞞にまみれたものが大きな妨げになってしまったとき、我々はこれらを覆すことは容易ではない。
作ってしまったことを撤回するにも一定の手続きは必要なのは言うまでもなく、なくすにしても抵抗勢力が邪魔となる。
元々声が大きい人たちであったからこそ、性犯罪に対する制度が出来あがったわけで、撤回するとなればその大きい声がまた産まれだすのが目に見えている。
撤回するにも相当長い年月を有するだろうし、説得自体も難しい。
(ロ)しかも、一つ一つのつながりを説明することも難しい
しかも、一つ一つつながりがあるかのように説明することも簡単にはできない。
ここまで見てきた読者の方はもうわかるかもしれないが、一つ一つの事象が理由になっているとはいえ、これを簡単に説明するのは難しいということだ。
具体的な事例がなぜこうなっているのか、根本的な部分が間違っていると説明しても本当に各事例と話が繋がっているのかどうか、別の理由があるのではないか?などといったものを一つ一つ紐解いていくには、かなりの時間を要する行為であり、また理解するのも一筋縄ではいかない。
一般の人たちを説得するし、理解させるにしてはあまりに広大で時間がかかることだ。そんな分かりにくいものを一般の人は好まないし、また理解させることも難しい。
故に知らない人や関心がない人から見れば、何か変な人間がおかしなことを言っているように映ってしまうだろう。特に性犯罪の厳罰化は正しい行いであるとされているからこそ、より狂気に見えるだろう。
そうまでなればもはや覆すことは困難もしくは詰みである。
そうならないためにも、一つでも多くの制度を認めないようにしていかなければならない。
(3)性犯罪者に対する代替措置はないのか?
ここまで書いても、ではお前たちはどうしたいのか?という声も聞こえてくるのではないだろうか。
あれもダメこれもダメだと言い募るだけなら誰にだってできる。だが、批判だけではいけないというのだろうが、別に代替手段がないわけではない。
そちらの手段でも一定の効果を確認することができ、提示することは可能だ。ただし、それを受け入れる厳罰派はほとんどいないだけである。
イ.認知行動療法という治療手段
性犯罪の再犯対策として効果があるものとしては、認知行動療法というものがある。
認知行動療法とは、認知に働きかけて気持ちを楽にする精神療法(心理療法)の一種であり、特定の考えに関してさまざまな思考方法や考え方、頭に浮かぶこと、思考と現実とのずれを認識して、徐々に修正していくという手法である。
性犯罪において認知行動療法というのは効果を確認することができ、通常よりも半分あたりまで再犯率を減らすことに成功している。
こうした治療法については、カナダの連邦検察局の研究グループが大規模なメタ分析を発表している。それによると、によると、昔行われていた心理学プログラムは全く役に立たないとしたうえで、最新の認知行動療法プログラムに参加した性犯罪者の再犯率は17.4%から9.9%に下がっていると報告している。
参考
Hanson RK, Gordon A, et al. (2002). "First report of the collaborative outcome data project on the effectiveness of psychological treatment for sex offenders." Sex Abuse. 14(2):169-94.
これだけの効果があるのなら、ぜひ実施すべきという世論が上がってもいいのでしょうが、この手法は他の手段に比べてあまりに目立たないどころか、次のような話にもつながってくる。
ロ.性犯罪者に対して受け入れる手段を行っているところもあるのだが・・・。
認知行動療法以外にも別のアプローチにて性犯罪者支援及び再犯率の低下に効果を確認している方法がある。
「支援と責任の輪」と呼ばれるものなのだが、これは従来の分離措置や監視システムとは真逆の対策であり、むしろ性犯罪者と積極的にかかわることで、再犯率を下げるという効果を期待させるものだ。
>ナイ牧師がチャーリー・テイラーのために考えたプランは、何から何までがその正反対だった。それは後に「CoSA (Circles of Support and Accountability:支援と責任の輪)」という運動に発展した。今や性犯罪前科者の再犯率を下げる目的で世界中で使われているモデルだ。
この件についても効果を感じられることが述べられているのだが、いかんせんまだ数が足りないケースもある。やはり、性犯罪者というものに対する目線の厳しさがそうさせる面も強いのだろう。
>なぜそんな選択をするのか、地域の理解はなかなか得られなかった。今はデータも証拠もある。しかし、それでも牧師のような選択をする人はそれほど多くはない。ミネソタ更生局の研究者もCoSAの一番の限界はボランティアが十分確保できないことだと言っているが、そういう面は否めないだろう。
認知行動療法に関してもこの方法に関しても、本来ならもっと支援の拡充をするべきではないかという声も挙げられそうではあるが、個人レベルでも国レベルでもこの声を積極的に取り上げようという声はほとんどない。犯罪対策として効果があるのだから、多くの人はこれを望むはずなのにだ。
これは単に認知されていないというわけではないだろう。はっきりと言ってしまえば、こんな生ぬるい手段をするよりも、刑事罰及び刑罰の終了後も性犯罪者に対しては厳罰を求めているからだ。
厳罰を実現しない方法はたとえ知っていたとしても、積極的に広めたくないのである。