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AED論争、まだやらないとだめですか?

正直何度目の話をしているのかと思うのだが、まだAED論争で炎上する話が出てきている。

基本的な結論は「あまりに女性の性的価値を高めすぎたから、いざという時にまでその影響が出ている。」というものであり、冤罪や私刑というものは、其の高まりすぎた価値を警戒しているために出ている反応に過ぎない。

性犯罪の範囲やセクハラの定義の拡大、余計な配慮を求める姿勢、男性に対する嫌悪やヘイトなどなど。

法や周囲の行動、倫理規範などにより、女性の体に安易に触れにくくなったからこそ、不安や懸念を抱いている根本的な原因である。

現代ではなおのことその警戒感を強める結果がよぎるため、余計に警戒心を高くしている。

相手(男性)が不安に思う心理とその原因になること という、根本的な問題を理解できなければ無理だろう。

にも拘らず、いまだに「AEDを利用しないなんておかしい」「緊急時にすら動けないなんて、最初からやりもしないくせに文句だけ言っているのだ」「死ぬかもしれない場面までこのようなことを言うのはおかしく、普通の人はAEDを利用くれるひとばかりだ。」

というのは、もう頭がお花畑といってもいいくらいだろう。

どうしてもわからないというのであれば、普段の生活の中でも「あれをしてはいけない」「これをすべきでない」といろいろと禁止事項や非難されやすい雰囲気を作った際の状況を思い出してみるといい。

どのような行為をしていいのか、逆にどのようなことまでならいいのか、判断にしくくなるような経験はないだろうか?

経験がない、うまく理解できない人もいるだろうが、上記のことを考えてもらう際、わかりやすい例として秦に燕の国の使者が来る話を幾度となくしてきたが、ついにまともに理解できるAED使用を進める人はいなかった。

(ちなみに、燕の使者の話は、荊軻が裏切り者の樊於期の首を携えて秦王政への謁見に臨んだ際、暗殺未遂を企てた時、宮殿の官僚たちの武器所持及び、近衛兵が許可なく殿上に登ることは秦の「法」によって厳しく禁止されていたので、直接助けに行けなかったというもの。 ちょうどAEDの話と同じように、厳しい規範によっていざという場面で動けなくなる話に類似している。)

AEDも同様であり、規範や雰囲気でがんじがらめになり、動きにくくなっていると考えられるだろうし、それが当てはまっているからこその反応だと理解できないだろうか?

と思ってはいたが、色々な説明をしてみても、相手方はAEDで訴訟リスクはデマなどと必死になって安全を主張しているものなどが多く、本当に目を見るべきところには目を向けてもらえなかった。

ネットに限らないが、本当に考えるべきところを見ないで、極端な所や加熱しやすいところに視点が向けられすぎてしまうのは、本当に議論や相互理解に向いていないと考える。

こちらも何度もデータに出しているが、実際にAEDを避ける傾向がデータでもあるのだから、もっとしっかりとした分析や対策をすべきであるが、もはや望むべくもないだろう。

https://www.philips.co.jp/a-w/about/news/archive/standard/about/blogs/healthcare/20180915-blog-aed-and-privacy.html
https://www.philips.co.jp/a-w/about/news/archive/standard/about/blogs/healthcare/20180915-blog-aed-and-privacy.html

アメリカでは、とっくに無駄な配慮をせずに男性と同じように処置をせよと指導しているが、この国の女性の身体に対する扱いを見なければ、このような提言はまず伝わらないだろう。

昔書いた記事の時からいろいろな事情がまた積み重なってはいるが、基本的な原因や改善すべき点はほぼほぼ変わらない。

そして、見るべきところを「正しく」見ないため、ずっと無駄な争いを続けており、これからも続いていくだろう。

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