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子宮移植論争とジャパンフェミニスト ~パイプカットからの回収はやすぎんだろ~

今年になってからすぐのことだが、上記の記事内容を覚えているだろうか?

ちょうどお正月だというのに、またしてもくだらない男女論で多くの時間を消費させられたパイプカット論争だ。

だいぶ・・・・・な夫婦のエッセイ漫画が発端なのだが、あの漫画は実に様々な問題点を掘り起こされ、余計な問題と余計な連中を産み出すこととなった。

論争の中で、この問題を収束させるために、旦那および擁護する連中からは「同意」というものを用いて「この問題は外野が口出しするものではない」と声高に主張していた。

もちろん、そんなもので終わるわけもなく、複数の問題点と同時に「同意」すらも都合よく引っ込めたり、前面に出したりするという狡さを別の事例をもって指摘させてもらったが、たった2か月程度たつか経たないかで、これほど分かりやすい「同意の引っ込め方」を見せてもらえた物なので、本当に感謝している。

その話にあがったのが、タイトルにも出てきた「子宮移転」の話である。

そして、フェミニストたちはこれに一斉に反対したというわけである。

フラグを回収するにはあまりにも早すぎた。

そして、君たちは健忘症のレベルが高すぎるようだから、もう忘れているのだろう。

1 当事者の同意はどこ行った?

さて、年始の話に戻るが、フェミ連中はパイプカットの話においてしきりに「同意」という声を上げてきた。

旦那のほうがnote(ここではあえて取り上げてあげない)にて、しっかりとした同意のもと執り行ったとしたことを根拠に、「当事者が同意しているからいいだろ」とほざいていたフェミニストの方々などたくさんいましたね。

でも、今回あれだけパイプカットで同意同意とわめいていた人、子宮移植でも同意って言っている人、ほぼほぼ見かけないんですよね…。

それどころかいつも通りのダブスタも出す人もいるわけで。

だから、私と同じようにこんな感じに思っている人もできているんですよね。

もちろん、子宮移植は当事者の同意のものと行われるのであり、強制はできない。

なら、他人の意思に関しては、まずは「当事者の同意」が注視されるはずだがそうはなっていない。

しかし、これは事前に分かっていたことだ。

前作にて、性同一障害の判例の件などで指摘したように、身体に対する重大な侵害に対しての手術要件を強要するのは「同意」の面で問題があるというものだったが、「同意」を問題にする声よりもはるかに手術要件撤廃に反対する声ばかりだったのを指摘させてもらった。

「同意」というのは、実に都合のいい場面でしか彼女たちにとって利用価値はない。

同じようなシチュエーションがあっても、「同意」という面を見るか見ないかはすでに結果が出ていたことであり、都合が悪くなれば平気で「同意」という概念を引っ込めてしまうところを見ても、なにも驚くことはない。

検討するまでもない約束された反応でしかないのだ。

2 なぜ、パイプカットの時には考えてやれなかった?

まあ、もちろん同意に関して、しっかりとした意思表示でないという意見もわからなくはない。

他人に同意を強要されることや、なんらかの圧力にて不本意ながら同意するということもあろう。

だが、パイプカットの時に、今回反対論を展開している人たちの中で、誰がそんなことを気にしただろうか?

漫画を少し読んだ際、漫画の内容に説明不足もしくは敢えて書いていないのかと思う重要な点(パイプカットのリスクなど)や、ご都合主義的な漫画の展開など、漫画だけを見た際には「本当に旦那の同意は真意なのか?」と思うような面も見られた。

また、不可逆的な面をのぞかせるものだからこそ、「断ると家族仲が悪くならないだろうか」「周囲からの圧力をかけられないだろうか」「騙されてはいないだろうか(特に、術後の再建手術の成功確率などに関して、漫画上は書いていなかったからなおのこと)」と考える余地も出てくる。

当時、私自身も同様の疑義を抱いた部分もあったし、もっと踏み込んで指摘しようとした人物もいたわけだ。

だが、その疑問に対して同意があったからいいというだけで、疑念を挟もうとする声はほとんどなく、旦那からの同意を大義名分として「お前の意見は間違っている」と一蹴するとか、いい大人の判断だからとか、旦那が弱いからとかいろいろな理由をつけては考えなかったのではないだろうか?

しかし、本件も大人同士の同意が大前提なのであり、同意があった場合ならなぜパイプカットと同じにならないのか?

当然思う疑問であろう。

にも拘らず、同じではない。

だからこそ「この件で同意の強制だの圧力だの考えられるのなら、パイプカットの時にもほんの1ミリでもいいから考えてやれなかったのか?」と言わざるをえない。

3 女性(特有)の医療に対する特異性を我々はもっと認識すべき

子宮移植におけるフェミニストの反応は、事前に予測できていたとはいえまあ分かりやすいほど「同意」を引っ込めたというわけです。

まるで臓器移植そのものが同意なきものであるかのごとく騒ぐため、「現在の移植手術を前提から覆すつもりなのか?」と思うほどに。

予測できていた論理的整合性と一貫性のなさであり、一つの様式美としてみるべき対象とまで言えるだろう。

今回、なぜこんな動きになったのかと言えば、もう何度も指摘していることだが、「主に女性に対して身体的な負担や義務が発生する場合、忌避する傾向があること」だと言える。

ピル、子宮頸がんワクチン、緊急避妊薬・・・もう何度取り上げ、何度似たような話題で無駄な争いを続けてきただろうか?

今回も同じだというだけだ。

医療関連については、いい加減このことを念頭に置かなければ、何処に行っても同じような反応を繰り返すだけだと認識したほうがいい。

本件に冷静な意見を出すお医者さんが何人いてもなおやまないのは、ジャパンフェミニストなどの責任や負担を回避する気質に大きな問題がある。

これがわからなければ、フェミニストいやそれ以外の人々が今回のような反応をする理由をつかむことすらできない。


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