3 反対派に対する疑問点 後編
4 連れ去りと未成年者略取誘拐罪との関係性について
共同親権関連の話題において議論にあがる不可解な点としては、未成年者略取誘拐罪との関係性がある。
この法律が問題になるケースと言えば、離婚時における子供の連れ去りをするケースであり、共同親権が議論になるきっかけとなったハーグ条約においても、国際間の子供の連れ去りが問題となった。
海外において「abduction」とまで呼ばれており、現に国際指名手配されている日本人女性や逮捕状を出された事例もある。
海外で問題になっているのなら、国内でも当然問題にするべき事実ではないかと思われるが、国内事例ではいろいろと面倒な話が展開されている。
4-1 親権者の同意がないケースにおける違法事例
始めに、いわゆる連れ去りについても誘拐罪が適用されるのでは?
という論点は前置きにも書いたが、国内事例ではどのように考えるべきかが焦点となるだろう。
検討するうえで何を参考にするのかではあるが、国内においても実子誘拐について注意喚起をする判例として、最二決平成17年12月6日刑集第59巻10号1901頁が挙げられる。
この事件は、別居中の親が子供を連れ去った話であり、誘拐罪に問われるかどうかという事件である。
まだ離婚が成立していない状態であり、親権者としてはまだ親権を残している状態において、子供を無理やり連れ去った話において、裁判所は誘拐罪の適用を認めて有罪認定したという事件である。
判決内容において、以下の様な判断をしており、引用すると
というように判断している。
強引に子供を連れ戻した行為が、「行為対応が粗暴」ということ及び「監護養育上それが現に必要とされるような特段の事情」という要件に当てはまらず、本件は誘拐罪になったと判断した。
また、本件では判断・選択の能力が備わっていない2歳の幼児であったことも踏まえつつ、略奪後の監護状況の見通しがないことも含め、「家族間における行為として社会通念上許容 され得る枠内」にないとして有罪認定をした。
この要件を基に、実子誘拐についても誘拐罪の適用があるのではないかと主張されている。
4-2 裁判所の判断を限定的に解釈する動き
もちろん、この判例に待ったをかけるのは、主に共同親権に反対する側である。
この判例はあくまで、先に挙げた二つの要件を満たしていることを前提にしているとか、特段の事情に連れ去りはふくまれるとか、「家族間における行為として社会通念上許容 され得る枠内」に入る行為だと反論してくる。
大まかな理由としては、連れ去りといわれるものについて、現代の社会慣習上片方の親が子供を連れていって面倒を見ることは容認されており、実際に連れ去る行為は違法性を帯びない行為である。
というのが、裁判所野判断を限定的に解釈する側の理論である。
実際に、連れ去りとされる事例において、違法ではないという判断を検察側もしていることから、違法性を問うことはできないという風に判断してくる人もいる。
しかし、本当にそうだと言えるのかは大きな疑問がある。
4-3 本当に誘拐罪に当たらないのか?
さて、反対論を展開している論理ではあるが、気になる点はいくつかある。
まず、判例があげている「行為対応が粗暴」ということ及び「監護養育上それが現に必要とされるような特段の事情」という点であるが、よく言われる連れ去りというのは、この点を満たしていないのではないかと。
子供を連れて行ったのは別に無理やり暴力を使っていないわけだし、別れる際にはどちらか一方が面倒を見ないといけないのだから、連れて行ったとしても特段の事情はあるのではないかと。
だったら実子誘拐ではないという反論が典型的だろう。
しかし、家に帰ったら知らない間に妻と子供がいなくなっており、何処に連れていかれたのかわからないという状態を、「行為対応が粗暴」でないというのはかなりおかしな話である。
特に、先の事例でも出てきたようなまだ判断能力もほとんどない子供の場合には、自分の子供とは言え勝手に連れて行って引き離すという行為は、対応が粗暴ではないとなぜ言えるのだろうか?
親だったら年端もいかない子供を連れて行くのと、他人が同じような子供をかどわかしなどして、粗暴とまでいる行為を用いず連れて行ったのと何が違うのかといえば、多くの人は親であること以外は疑問を挟むことだろう。
また、「監護養育上それが現に必要とされるような特段の事情」というのもかなり怪しい。
そもそも連れ去りといったケースにおいては、子供が元住んでいた場所から連れ去られるということが考えられるが、それは子供の生活環境において、現状維持を求める側面から容認できないとも考えられる。
両親の同意によってどちらかに引き渡されることを容認した場合や、後述するDVシェルターを利用できる場合なら、確かに子供を連れて行っても正当であると考えられるが、想定されている内容はそうでない。
同意を得て子供を連れていくことは難しいというのは理解ができるが、かといって同意もないのに適法とする法的根拠は何かと思っても、特に根拠法を挙げられる人もいないのだ。
正当な法規範が存在しないのならやはり「特段の事情」に該当するというのは困難であり、この時点で判例の要件を満たしているのではないかと考えられよう。
4-4 慣習刑法の容認ではないか?
子どもの連れ去りとされる方法について、現在存在している法律に依拠しているのならまだしも、そうでないものを容認するのは何だろうか?
ひとつ考えられるのが、慣習法という手段ではないだろうか。
先程、社会慣習上許容されるという話を出したが、反対側もそれに伴って子どもを片方の親(特に母親)が連れていくのは社会慣習上容認にされているという反論を展開してくる。
確かに、民事であるのなら慣習法という手段も容認される。
法律に制定されていないのなら、過去にある慣習に従って法的にも判断されることもあり、かつては入会権といったものも慣習法と判断されていた。
しかし、誘拐という話になってくれば慣習という言葉を用いることが難しい。
なぜなら、刑法は慣習刑法を容認していないからである。
慣習刑法の禁止とは、慣習的に刑事罰を適用することを禁止する規定である。
罪刑法定主義から派生するものであり、そもそも条文に記載のない慣習法を適用すること自体が、条文で定められていないと処罰できないという原理に反するという面から導き出される。
例えば、ある地域では肉を食べてはいけないとして、破ったものには罰則を与えているというところが慣習上あったとしても、刑事罰を与えることができないことになる。
また、逆に刑法と違った内容の慣習があり、その行為を行っても罰を適用しないだとか言う慣習があったとしても、それも現代国家では容認されません。
一つ事例を挙げるとするなら、九州で起きた事件が挙げられよう。
4-4-1 「おっとい嫁じょ」と言われた強姦事件
時代は1950年代と戦後間もないころにさかのぼる。
鹿児島県のとある地方にて、まだ結婚していないとある男性がおり、近隣に住む未婚女性に2度も結婚を申し込んだものの、2回とも拒否されていた。
それに業を煮やした男性は、数人の男性と共謀してこの地域に風習である「おっとい嫁じょ」をすることを計画、実行します。
この「おっとい嫁じょ」というものですが、簡単に言えば誘拐婚であり、連れ去って言った女性と関係性を持ってしまった後、後日加害者男性の家に被害者女性側の親が結婚の申し入れをするという現代ではかなり異常な風習である。
この風習を元に彼らは結婚をせまろうとしたのですが、当然来たのは相手側の両親ではなくて警察でした。
逮捕、起訴されたのち、鹿児島地判昭和34年6月19日において加害者男性を有罪ということに。
裁判所は「おっとい嫁じょ」の慣習があるからと言って、強姦致傷罪の違法性阻却をしないと判断しており、当該慣習は違法性を帯び、かつそれを認識していたとしました。
さて、この判例を基に考えるに、慣習上そうなっているからと言って違法性を棄却できないだろう。
となれば、連れ去りに関しても何ら法律に依拠していない方法は、刑法に反する行為と言えないだろうか。
そう考えると、通常片方の親の容認なく子どもを連れて行ってしまった場合、適用される法律がない以上、実子誘拐と呼ばれるものはまさに誘拐犯として処罰されるのだ。
4-5 子供の養育環境について
これでもまだ反論を考えようとしてくるのだが、監護・養育環境を取り上げてくる。
判例でもそれらの計画性が何らなかったことを指摘しており、その点を強調する動きとして、連れ去った側にそういった環境が整っているのだから正当化できるのである。
この手の意見は、子供の親権者に女性がなりやすい点に繋がっている所もあり、子供の世話を主にする側だからこそ、その後も女性側に監護・養育ができると推認することができるため、連れ去りをしても環境は整えられていると判断するのだ。
しかし、これに関してもあまりに大きな疑問が付される。
なぜなら、離婚時に親権をどちらに渡すのかは、本来家庭裁判所の審判や裁判などを得てから決められるものであり、法的な手続きを得て取り決められる。
そういった部分を飛ばして、いきなり後に親権を得られるだろうという予測を理由にするのは、自力救済を認めるべきという話ではないかと。
しかも、本来裁判所等をはさんで判断される事柄を、それら機関を巻き込んで事後的に追認せよと言っているのだ。
法治国家としてはかなり挑戦的な内容だと言えるだろう。
4-6 DVシェルターという観点はあるが・・・。
もちろん、DVシェルターといった救済手段もあるため、要件を満たしたら正当な手段をもってして法の救済及び子どもを連れていくことを正当化することも可能である。
また、緊急避難といった手段も想定され、DVシェルターを利用するには時間が切迫しているような場面では、違法性阻却事由として誘拐罪に問われないこともできよう。
しかし、これらのことに該当せず、何ら法に頼らずに子供を連れていくことは、まさに自力救済というべき手法である。
法にのっとったことを法曹関係者ならなおのこと述べるべきであろうが、困ったことに反対する勢力の弁護士であればあるほど、この声を聴くことはない。
4-7 これからの共同親権のことを考えれば、ますます連れ去りは難しい
ここまで連れ去りについていろいろ書いてきたが、今後共同親権絡みの話題ではますます連れ去りをするのは難しくなるだろう。
共同親権行使を妨害するような行為をすることになり、その実現のために連れ去りが適用される場面が増えてくることが予想される。
共同親権導入前の警察・検察の動きはかなり消極的だったようだが、今後ますます下記のような事例はなくなるだろう。
もし、子供を連れ去られたとなれば、もっと積極的に警察に頼んでもいいかもしれない。
5 海外と国内のリベラルの反応が違い ジャパンリベラリズム
海外において共同親権はリベラルが主だって主張することであり、日本のようにリベラル勢力が積極的に反対する代物ではない。
日本にいたら不思議に思うかもしれないが、今一度趣旨・目的や保護する主体について考えればおのずとわかることだろう。
5-1 過去をさかのぼると、リベラルも賛同している時もあった
知っているだろうが、共同親権法案はリベラルといわれる勢力から積極的な反対を受けている。
フェミニストやそれに協力する周辺リベラル勢力が反対している声をよく見ているだろうし、実際に調べてみると確認することができるだろう。
5-1-1 ハーグ条約加盟時から反対している人たちも多く、人権団体からも明白な性差別的な主張をしてくる
ハーグ条約の段階から、法案が成立する現在まで、いくつかの反対勢力を見ることができるが、弁護士、社会学者、NPO法人、リベラル団体などその名前を確認できる。
実際のところ、もう十年以上も前からリベラル勢力の抵抗は激しく、現在でも主要なリベラル層の多くは反対勢力として合流していると言っていいだろう。
また、ハーグ条約絡みで特に驚きを隠せなかったことと言えば、日弁連の動きであろう。
元々かなり条約導入に消極的な姿勢だったのではあるが、彼らはかなりとんでもないことをかつて主張していた。
国内事例では適用しないというのは、要するに国内の人間を差別的に扱おうということに他ならない。
不公正な制度をわざわざ作ることを推奨したのが、本来人権を守るべき団体から主張されたのだが、ここまで異様なことを言い出すことがあっただろうか?
というほどである。
5-1-2 国内リベラル政党にもかつては賛同していた人がいたが・・・
政党間では、リベラル政党といわれる共産党・社民党が反対、立憲民主党も最終的には賛成に回ったとはいえ、修正案を出す対応をしており、かなり抵抗が強い。
しかし、過去には共産党など共同親権に賛同していた経緯がある。
共産党は2010年頃にはしっかりと賛成していることが明記されており、枝野氏もかつては共同親権に熱心だった。
しかし、その後なぜか急に心変わりをして反対に回っている。
「これは一体どういうことだろう?」と思うわけだが、その答えを明示されていない。
もちろん、最初からリベラル側として反対の意思表示をしていたものもいたのも事実ではあるが、共産党などそもそも最初から迎合することはなかっただろう。
それが仲間内だからなのか、それとも仲間の理論に共感したのか知らないが、このように変わっていったのである。
もちろん、リベラルでもずっと共同親権を導入しようという声はあるが、その声はあまりに少ない。
5-2 保守がとってかわらざるをえなかった
本来リベラルがやるべきところを、上記のように抵抗する勢力が数多くいたこともあって、リベラルでは力不足と言わざるをえなかった。
それゆえ、日本国内では保守派の勢力がリベラルにとってかわったという経緯がある。
日本の保守も当初はそこまで反応していなかったのだが、海外からの圧力に加え、北朝鮮の経ち問題にも影響が出てくる懸念も考えられたので、国内でも取り上げざるを得なかったのだ。
過去に調べたものでも、親権など親子関係で活動してくれている主だった保守系の議員を探ることができ、例えば下記のサイトに出ている名前を取り上げてみると
馳浩氏、保岡興治氏、泉健太氏、松浪健太氏、真山勇一氏といった来歴や政策、所属政党などを見ると保守と思われるものがいくらかいる。もちろん、リベラル側の人物も見受けられるが(公明党系などでリベラル系の主張をしている人も何名かいる)、そもそも保守系の議員が目立つ。
弁護士の方でも北村晴男先生やバシャ馬弁護士モリト先生といったこれもまた保守的な方面の人物が積極的に動いていた。
最終的には自民党が主だって共同親権法案を可決したわけだが、自民党が普段リベラルが批判している政党だというのを加味すれば、いかにリベラルが抵抗してきたかわかるだろう。
この件のあまりの惨状は、ハーグ条約や共同親権問題に詳しいと思われるリベラルの方からも、保守派の方が行動してくれいている旨を書くほどであり、この記事を過去に取り上げたことを今でも鮮明に覚えている。
保守派がいなければ、今でも日本は共同親権はなかっただろう。
5-3 海外では、日本のような話がそもそも見つからない
海外ではどのような反応をしているのかといえば、そもそもリベラルに限らずDVを中心に反対するという動きすら発見することが難しい。
色々な情報を探って入るのだが、海外でも一部フェミニストが反対していたという情報は見かけたものの、そもそも反対している話すら出てこない。
既に共同親権が成立していることもあれば、欧州を中心に共同親権導入を日本に求めてきた経緯を考えると、そもそも反対するという行為自体が出てきにくい。
また、ハーグ条約の場面で実子誘拐が問題になったケースでも、既に記述したが拉致という言葉を使って明確に日本を批判する海外の声は多かった。
無論、共同親権における一方的な連れ去りは、誘拐罪に該当する行為であり刑事罰として処罰される案件のため、人権侵害というカテゴリーに入らざるをえない。
リベラル勢力から反対する声を探せというのがそもそも難しい。
私も海外の話をできる限り調べてみたが、海外ではリベラルが反対しているとは考えにくいと思うのと同時に、いくら調べてもほぼほぼリベラルが反対するという意見を見かけないのだ。
そして、反対派ですらも海外リベラルが共同親権反対をしている意見を見つけていないのか、海外の反対意見を根拠に主張もできていない。
あったとしても、オーストラリアは共同親権見直しに舵を切っているといった胡散臭い情報ばかりであり、碌な情報はない。
つい最近ですら、日本に共同親権を導入するように要望しているほどだ。
嘘をついてでも、他国にどれだけ要望されても、こんな流れを作ってくるのは日本ぐらいでしかまず見ないのだ。
そして、これらを含めて日本のリベラリズムに対して言おう。
まさにジャパンリベラリズムというべき事象ではないかと
それくらい、日本の共同親権議論は他国と比べて異質である。