3 止まらない特別視と具体的制度 その問題点 その2 その他の政策に関して
3-2 女性専用政策
日本においてはある意味下手な制度よりも有名だと言える性犯罪対策としては、女性専用という名前の隔離政策があげられる。
女性専用車両や女性専用アパート、ゲームセンターなどの女性専用エリアから女性専用の街までといった実現しているもの実現していないもの。いろいろなものを提言してくるわけではあるが、本来なら取り上げるまでもなく論外というべきものだろう。
(1)現代国家における分離主義の復活
端的に言えばこれらの制度はかつての人種分離政策の復活である。白人と有色人種を分離するのを性別にしただけであり、男性と女性を隔離するという方法をそのまま性犯罪において適用したいというゆがんだ欲望を提示してくる。
公共だろうが民間だろうがかまわずいろいろな面で設置するべきというわけだが、それはかつて様々な施設を人種別で分けた措置と同じである。
むろん、被差別階級に向けられた目線と同じように、男性側には性犯罪者予備軍かのような視線を浴びせていたとしても、それを問題視することもなければむしろ犯罪対策なのだから当然の措置だと当たり前のように居直るのである。
しかし、犯罪対策だからと言って許されるのかと言えばそうではなく、むしろまったくの逆である。
(2)判例を基にしているからこそ、危険な政策だと言える。
特に女性専用車両の設定は顕著に表れているものであるが、強制的に男性と女性を分離すること自体が違法だからこそ、任意協力という形でルール設計をしている。
しかしすぐわかる人にはわかるのだろうが、このルールはいかにも不自然なのだ。
男性側が乗る余地を残すということは、男性の中に痴漢が混じっていたとしてもわからない。また、たまに女性側で男性が近くにいることすら拒絶したいというようなことも挙げられるが、男性が近くにいる状況をこれでは作ってしまっている。
隔離措置としては不十分であり、なおかつこれでは何のための犯罪回避策なのか?強制にしたほうが早いだろう。となるはずなのだ。
では、何が問題なのか?となるのだが、何度も挙げている判例として「小樽市外国人入浴拒否事件」がある。
簡単に解説すれば、一定の外国人が迷惑行為をして客が寄り付かなくなってお店の経営が悪くなったので、外国人を全員入店禁止にしました。ですが、裁判になったら人格権侵害として違法と判断されました。
という話なのだが、女性専用政策というのも端的にこれと同じである。
判例の文言には「人格権」と称されているのでわかりにくいのだが、端的に言えば他の属性に対して負のレッテルを張るというのは、差別の基本中の基本に当たるほどの差別的扱いであり、更に隔離するということ自体許される行為でない。という内容を、ここでも用いているのだろう。
通常、リベラルなら絶対的なテーゼとまで言いたくなるほど持っていないと困る大原則であり、男性以外にこのようなことをやれば確実に差別と糾弾するであろう。
判例は迷惑行為対策であっても違法という判断なのだから、女性専用関連も言い逃れが不可能レベルで違法となってしまう。だから強制ではなく任意としたのだ。
しかし、ご存じの通りそんなことがあっても連中は足を止めたがらないのは言うまでもなく、任意協力であっても表示すら合法、追い出してもいいはずだろう、いやむしろ法制化するべきというほど足を止める気配がない。
この件はLGBTや障碍者など、他の属性にも影響が及んでいる話ではあるが、それらを含めて数多くの問題点をはらんでいても、たとえ海外で同様の話が拒絶されたとしても、折れるようなことは考えにくいだろう。
日本のリベラルから何かと合法とはやし立てるのではあるが、その一つの原因が性犯罪対策だからと言えないだろうか。
3-3 刑事手続・捜査における特別な制度設計や運用
性犯罪関連には捜査段階においても被害者に配慮しているために複数の特別措置が設定されている。
その多くは、性犯罪において事件発生の段階から、捜査段階、裁判における制度といったところまで、様々な部分で特別な措置を講じている。
(1)捜査段階における手段
捜査段階において、性犯罪捜査を行う際には女性捜査官を担当につけることを促進しているだけではなく、捜査内容についても被害者に配慮した方法をとるようになっている。
これは、訴えた際に二次被害を防止するためのものであり、訴えた際に更なる被害者感情を刺激しないようできる限りのことを行う政策である。
また、各都道府県においては性犯罪における相談窓口の設置されているような多数のネットワークがあり、緊急避妊薬の提供といったことも行っている。
「性犯罪・性暴力対策の強化の方針」のフォローアップ(令和4年度)
follow_r04.pdf (gender.go.jp)
性犯罪・性暴力対策の強化の方針
https://www.gender.go.jp/policy/no_violence/seibouryoku/pdf/policy_02.pdf
捜査段階においては、まず被害にあった際の女性の心理面が特に繊細になっているだろうし、肉体的にもすぐに処置しなければならない面もあるので、整えていると言っていいだろう。
フェミニスト側もこれからの政策には同調しているものであり、特に大きな争いにはなっていない。
(2)裁判段階における制度
裁判段階においても、被害者配慮をした裁判を進めていく方法がとられている。
具体的な方法としては、ビデオリング方式、遮蔽措置、被告人との隔離措置、名前の非公開といった形で導入されている(刑事訴訟法第157条の2~4などを参照)。
これらの制度は性犯罪以外でも使われることもあるが、基本的に性犯罪における裁判においてもかなり捜査に気を使われた動きを見せていると言っていいだろう。
性犯罪者と直接対面することや、傍聴人、裁判官、弁護士、検察官といった人からもなるべく見られないように配慮すること、自分のことを知られないようにするという配慮が徹底されていることで、被害者の心理負担を軽減しようとする試みである。
捜査段階から裁判段階まで、徹底的な配慮の元に性犯罪に対する刑事手続きは進めている。
3-4 性犯罪における法改正及び立証責任の転換
(1)近年の法改正における変更点
近年において、日本においても法改正が行われることとなり、旧強姦罪規定は不同意性交罪と改められ、従来よりも処罰範囲を拡大し、犯罪に該当する範囲もより明確に明記されることとなった。
暴行・脅迫要件だけでは狭いとしてより広い範囲も規定に入れることによって処罰範囲を拡張。また、女性だけではなく男性にも適用があるようにされたものである。
その他にも、5年の有期懲化(情状酌量がない限り、執行猶予がつかない)非親告罪化といったような改正があり、3年ごとに見直しをするようなことにもなっている。
近年の法改正はかなり踏み込んだ改正になってはいるものの、「同意」ということに関してその立証についてはかなり曖昧であり、実効性の懸念がされているだけではなく、次のようなことも懸念されている。
(2)立証責任の転換という一大論点
制度そのものの変革がここ数年で進んでいるのではあるが、それと同時に何度も改正時に議論として取り上げられているのが「立証責任の転換」である。特に同意において被告人とされたものに同意があることの立証責任を負わせようとする、立証責任の転換を組み込ませよういう明らかに愚挙と呼ぶべき制度を求めている。
もちろん、現代の刑事原則を考えれば危険な行為という他ない。従来犯罪があったことを証明するのは、あったと主張している側であり、その責任者である検察側が証拠をそろえなくてはならない。
「疑わしきは被告人の利益に」刑事原則の基本中の基本的な原則ではあるが、性犯罪においては例外にしてほしいというわけである。
もちろん、立証することが被告人に求められるという前提で始めたら、ないことを証明することは非常に難しい。「悪魔の証明」と呼ばれるものではあるのだが、これは刑事原則に真っ向から反するものである。
悪魔の証明とは【意味や使い方を事例でわかりやすく理解】ー「ない」ことの証明は容易ではない | GLOBIS 知見録
立証責任というのは裁判上特定の事実や法的効果が発生することを「あったと主張する側」が証明するものであり、主張された側が立証責任を負うものではない。
立証ができなければ、裁判上は「ない」と判断される。これが大原則となっている。
特に刑事事件においては刑事罰を国家に独占させており、そのために捜査権限を与えて一般人よりもより証拠の確保や操作能力があるようにしているのは、ひとえにそれだけ証明という作業は難しい行為であるとともに、刑罰権行使のための立証する能力を与えているからである。
それだけ大きな権力差があるのだからこそ、国家こそが証明の責任を負うものであり、「疑わしきは被告人の利益に」という法格言なのだ。
そこを転換しろというのは、国家が好きな時に他人を犯罪者にできるようにと言っているに等しい。
日本においては現在「不同意」とはなっているものの、まだ立証責任の転換までは及んでいないところを見るに、理性は保てているのだろう。
3-5 薬物や手術による去勢に関して
一部では薬物は外科手術による去勢を主張されることがある。
単純な発想として、性欲を何らかの形で亡くしてしまうようなことをすれば再犯することもできまい。というものではあるが、たびたび主張はされどそこまで法制化するというようなことはまではない。
そもそも、憲法的には身体刑の絶対的な禁止というものが「残虐な刑罰の禁止」(憲法第三十六条)から導き出されており、法制度化しようとしたところで排斥されてしまうのだ。
性犯罪者個人が任意的にやるのであればまあこちらも関知する気はないが、強制となれば論外である。強制的な身体刑は先進国であるのならまずありえないというべきだろう。
強制的な制度設計をしている国は世界を見てもほとんどない。
イスラム国家であるインドネシアでそういった法案が通ってはいるが、通常と考えるには数が少ない。
また、薬物投与で性犯罪を抑止できるかどうかというものについても、必ずしも効果を発揮しているわけでもないというものであるから、そもそも論として効果を期待できないだろう。
3-6 日本版DBSについて
現在、日本でも導入が検討されている法案があるのだが、日本版のDBSが導入検討されている。既に海外では同様の包含がいくつか導入されており、日本でも同じようなことをしようというのだ。
このままだと導入は間違いなく起こるだろうが、この制度は性犯罪前歴者が、教員など一定の職業につけないようにする制度である。
教員についてはすでに先駆けて実施しているのではあるが、この制度もミーガン法などと同様に、プライバシー権や職業選択の自由、そもそも性犯罪だけに適用する理由(再犯率はすでに根拠がない)がないということもあるため、問題点は大きい。
警備員のように犯罪歴があると付けない職業はあるが、特定の犯罪をしたからという理由で職業制限をつけるというのはほぼ見受けられない。
更にこの問題には、とんでもないような主張もされている。それは不起訴の人間であっても対象にしろという話なのだ。
はっきりと言えばこんなものは論外である。不起訴と言っても示談のケースもあれば、嫌疑不十分で犯罪立証ができないケースもある。そもそも犯罪として立証できないケースまで監視しろと言っているのだ。
これはつまり、容疑にかけられてしまったらペナルティーを受けるべきと言っているに等しい行為であり、疑わしきは罰せよと自白してると同じである。正気を疑って当然のことだろう。
造ろうとしている人たちの中には法を軽んじようと躍起になっている人たちが豊富な点も、より警戒心が増す結果になっている。
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