自分の事③中学受験失敗と担任の先生~超一流の三流人生
たった一年間しか活躍しなかった少年野球をやりながら、N高への思いから
付属のN中を受験する事に。
もう自分ではこの気持ちが止められなくて親に頼み込んで中学受験用の塾に入れてもらいました。
たった10ヶ月で仕上げる為に本当に頑張りました。
その間も監督のシゴキを有難く頂戴しながら、精神修行の為に週一で少林寺拳法を習わせて貰い受験戦争を。
その頃には身体も引き締まり大嫌いだった運動会でも6年生になった頃には徒競走一位。
秋の大運動会ではリレーのアンカーもつとめる様に。
6年生の担任の先生がまた強烈な人だった。
若い女の先生で大学までバスケットをやっていたバリバリの体育会系。
「お前達。兎に角目立て。」
「良くも悪くも目立て!!」と良く言われたんです。
「卒業後10年してお前達に会った時、誰だっけ?って思わせるな。」
「お前達にとってはたった一人の担任でも、私にとっては45分の1なんだ。」
これは強烈でしたねw
ケンカが起こるとクラスのルールで、その他の生徒全員で手を繋いでリングを作る。
授業中だろうが給食中だろうが。
「お前達がケンカしたって人殺しまではしない。だけど転んで打ち所が悪かったら簡単に死ぬ。」
だからそうならないようにリングを作るんだと。
実際に授業中「ケンカだ!!」ってなってバタバタと机をどかして手を繋いでリングを作った事かもあるけど、先生が
「さぁ!やれ!!」って言っても恥ずかしくて出来ないんですね笑
今思うと先生の勝ち…
そんな毎日が新鮮だった6年生時代。
受験シーズンに。
結局勉強は全く追いつけず不合格。
先生に報告した時に担任は
「何をするのも一つ前にどれだけ死ぬ気になれるか」
「もしお前がプロ選手になりたいんだったらその直前、大学ならその時に。高校ならその時。中学からプロには入れないだろ?」
「甲子園に行きたいなら、どこの学校に行くかよりどれだけお前が死ぬ気になって希望の学校に入学するかだろ?!」
って言われて頭を切り替えられましたね。
先生は決して
「お前ならできる」とか
「クヨクヨするな」とか言わなかった。
先生に出逢えて本当に良かったです。
お前達!!
今では考えられないその言葉
いつも魔法にかけられた様でした。
その先生との思い出を一つ。
当時先生と全員が交換日記をしていました。
火木土用と月水金用のノートを用意し、交互に先生に提出。
バレンタインの日の日記
私の書いた内容
バレンタインなんてなければいいのに
こんな不公平なものはない
民主主義に反してる!!
みたいな事を書いた時の先生の返事
だったらお前が努力して貰える様になれ。
どちらかと言うと民主主義に則ってるんじゃないか?
先生が100%正しいのです