初めて炭酸を美味しいと思った話
小学四年生くらいの頃、学校で一緒に遊んだら案外仲良くなれた子がいて、もっと早く仲良くなれてたらもっと遊べたのにね、なんて話した何気ない会話を今でも覚えている。
夏休み前にたくさん遊ぼう、宿題も一緒にやろう、と約束をして、その通りに何度も学校のグラウンドやその子の家に遊びに行った。互いの家は2〜3kmくらい離れていたけれど、その頃は真っ昼間の日陰のない暑い道でも自転車があれば楽勝だった。
その子の家は山の方にあって、家に着くまでにある急な坂道を自転車で登るのは本当に大変だったけれど、家にお邪魔してその子やその子のお母さんが「暑かったでしょ」といって冷たい麦茶やジュースを水色のグラデーションのかかった綺麗なグラスに注いでくれる。その一杯をごくりと飲む一口目が最高に好きだった。
その頃、私はあまり炭酸が得意ではなかった。舌がピリピリして痛いし、苦しくなるし、鼻がツンとする。それに、骨が溶けるとか、そういう話を聞くと少し怖く感じて、そこまでして飲まなくていいかな、くらいの気持ちだったと思う。いつものようにその子の家に着いて、自転車の鍵をしっかり握りしめてチャイムを鳴らした。これもあまり得意ではなくて何度か通ってもこの瞬間だけは心臓がドキドキと音を立てていた。今思えば、単純に自転車を爆速で走らせていたからかもしれない。
パタパタとその子の足音がして扉がひらけば、その子は入り込んだ熱気に顔を少し歪めた。そして「あっついね、部屋涼しいから先に宿題やっちゃおう」的なことを言っていたと思う。
なんやかんやでその子の部屋にリュックを置いて、勉強道具を出している間にその子が飲み物を持ってきてくれた。いつも通り水色のグラスと、その子の青色のグラス。色が違うだけのグラスに今日は珍しく透明な飲み物が並々注がれていた。
いつもは麦茶やほうじ茶、ジュースならオレンジジュースやぶどうジュースでぱっと色や匂いで分かるのに、遠くから見るだけじゃ何も分からなかった。でもグラスには水滴が付いていて、そんなに冷たいのであれば水だって美味しいだろう。その子が一口飲んで宿題を取りに行ったのをみて、その背中に「いただきます」と一声かけてから飲んでみることにした。
勢いよくグラスを傾けてごくりと一口。
瞬間口の中がビリビリして、シュワシュワと音が鳴る。多分驚きで目を見開いていたと思う。何が起こったのか分からずに呆然としたけれど、幸いにも勉強道具を準備していたその子に気が付かれることはなかった。
後から爽やかな香りと甘さがスッと通っていって、鼻がツンとした。よくグラスの中を見れば、シュワシュワ音を立てて、小さな泡がぷかぷか浮かんでいるではないか。
その時初めて、これが炭酸である、と気がついた。
よく考えれば、その子が机にグラスを置いた時からシュワシュワ音を立てていたような気もするし、ただの冷たい水を飲んだだけにしては、やけに美味しそうに飲むなとは思った。けれど、暑い中自転車を走らせてきた自分には冷たい飲み物であるというだけで最高だった。だから、そこまで気が回らなかったのだ。
今まで炭酸をほぼ飲んだことのない自分に湧き上がってきた気持ちは、ピリッとした痛みや鼻がツンとすることへの嫌悪感や恐怖心だけでなく、『わくわく』なんていう心が弾むようなものであった。
家では怖くてほんの一口しか飲めなかったのに、今自分はごくんと飲み込めるほど飲んだのだ。できなかったことができるようになる感覚にドキドキして、高揚した。もう一度味わいたくて、今度は先ほどよりも少し、ちみっと飲んでみる。確かにピリピリするし、ツンとくる。でも、なんだか美味しい。
その頃にはもう嫌悪感は消えていて、ちょっぴりの『こわい』と『わくわく』、それから謎の大きな『達成感』が自分の感情を占めていた。今でもあの高揚は忘れられない。それほど自分には衝撃だったのだろうか。
勉強道具を持って机を挟んで向こうに座ったその子にちょっぴりの『こわい』を隠して、恰も炭酸くらいたくさん飲んだことありますけど?みたいな顔をして聞いてみたのだ。
「この炭酸美味しいね。これ、なんて名前?」
そうしたらその子は鉛筆を顎に当てて少し上をみた。
「うーん、多分、三ツ矢サイダー」