TIME AND TIDE
毎日つけていた日記をつけなくなって10日経った。
1日のどこかの地点で、それまでの時間を振り返り、書き残す場面を抽出して言葉に変えるという行為がとても苦しく感じてしまうようになった。
ストレス過多ではあるかもしれないけれどそんなに悲惨な日々というわけではない現在の私が、なぜそんな状況に陥ってしまっているのか、よく分からなくて戸惑っているというのが正直なところ。
8歳のころに読んだ『アンネの日記』に感銘を受けて、つけ始めた日々の記録。
それから、日記を書くことは私の日々の決まりごとになった。所々抜け落ちている箇所もあるが、忙しくて日記の存在を忘れていた、とか読み返してみたら字が汚すぎて嫌になったのでノートを変えてみたとか、日記を書く過程においてはまったく関係のない原因で白紙となってしまった部分だ。だから、日記を書くということ自体が苦痛、というのは私の13年目となる日記歴において初めてのことで、大いに戸惑ってしまうのも無理はないと思う。
今、私が過ごしている時間は、これ以降の人生でもこれ以前の人生でも持ち得なかったような、白紙の時間である。
他人の干渉も受けず、自分の向かいたい目標に向かってただ歩みを進めて、淡々とその日のやるべきことをこなしていくという、ただ自分のみと向き合える、白紙の時間。この世に溢れている本と名のつくものすべては、白紙のページが続くなんて基本的には許されないので、私はその特例を生きていることになる。とても幸せで恵まれていて、泣けてきそうなくらい。
日記を書くという行為は、私にとってその1日を自分の手で以って完結させること、書き残すことによってその1日を意識の中から切り捨ててもよい、とすることなので、日記を書くことで白紙がどんどんと消費されていくような感覚をおぼえてしまう。それが、日記を書けないいちばんの原因なんだろうなあ、と検討はつくけれども解決策は一向に思いつかない。
この時間が終わってしまって、また忙しない日常に埋没したとき、「しばらくお休みします」と書かれたページから、白紙が続く日記帳を見て私は何を思うんだろう。流れる時間のほとりに立って、それを見つめるしか術のない私は、微かに哀切を感じて暮らしている。そのことを、その時の私も覚えているだろうか。
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