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藤岡陽子『金の角持つ子どもたち』

第一章 もう一度、ヨーイドン

第二章 自分史上最高の夏

第三章 金の角持つ子どもたち


『金の角持つ子どもたち』は、サッカーをやめ、最難関中学を受験することに決めた戸田俊介を中心に描かれた物語。第一章は俊介の母親の菜月、第二章は俊介自身、第三章は塾講師の加地の視点で語られています。

この物語の魅力に感じたのは、各章それぞれで、視点となる人物の抱えるしんどさが語られているところ。すごい人間味がある。

誰しも他人からみたその人とは違う自分を持っていると思うんです。昔からわがままを言わず、ひたむきに頑張る俊介には、妹に感じている負い目があり、俊介を支えるお母さんにも、自分が中卒だということに負い目がある。塾のスーパー講師の加地先生にも自分の弟に対する負い目がある。その負い目を抱えて、みんなそれぞれ自分の場所でがんばっている。そして、その負い目がその人たちを強く優しくしている。

この頃よく思うのですが、底抜けに優しい人や明るい人、すごく素敵な人って、その人からは想像しにくいような辛い経験を抱えている人が多いなぁと。その経験があったからこそ、その人が素敵なんだなぁと思います。

第一章では、親の都合で高校を中退させられ、中卒で働くことになった俊介の母親菜月が、夢を見つけた俊介を全力で応援する中で、自分ももう一度夢を持ちます。俊介を塾に通わせることをよく思っていない義母に、息子が頑張る姿に感動している、と伝えられる母親菜月さんはとってもかっこいい。

第二章では、俊介がどうして中学受験をすることにしたのかの理由が明かされます。俊介は悪くないんやで…って切なくなるような妹に対する負い目が理由なんですが、まじめな俊介を思うと、子どもの小さな心でずっと思い詰めてきたんやろうなぁと胸が痛くなります。でもその負い目を原動力に、自分を変えたいと頑張り、最初は受験に反対していたお父さんの心も動かした俊介の姿がすがすがしいです。

第三章では、加地先生が塾の先生になった理由が明かされます。加地先生は自身の弟に対する負い目から、勉強の大切さを感じています。それは勉強の中身ではありません。考え抜くことや、論理的に考えること、情報を処理すること、勉強をする中で身に着けられる力が社会で生きていく中で必要な力だということです。だから加地先生は、合否よりも良い受験だったかどうかを大事にしている。不合格でも良い受験はある、失うものがない中学受験は受験するだけでも価値がある。正直私は、今までの人生で中学受験に対して必要ないんじゃないかって思っていたところがあって、でもこのお話を読んで偏見だったなって感じました。

そしてこのお話の題名にもなっている「金の角」というのは、加地先生が見える脳みそを限界まで使い考え抜いた子どもの頭に生えている角のことだそうです。その人の努力を「頑張っている」っていう月並みな表現ではなく、「金の角」という可視化(加地先生には)できるもので表現する藤岡さんのセンス、素敵です。


一つ前に読んだ森絵都さんの『みかづき』、今回の『金の角持つ子どもたち』、2冊とも塾に関する物語で、たまたまなんですが続けて読んでよかったです。塾といえば賢い子が行くイメージなんですけど、本当は学力保障としての塾もやりたい。子どもに力をつけてほしい。『みかづき』の大島悟朗の教育観と『金の角持つ子どもたち』の加地先生の教育観は似ているんですよね。そして『みかづき』では語られない子どもやその親の視点が、俊介や菜月を通して語られる。どちらも登場人物を通して私の塾観を変えてくれた素晴らしい物語でした。


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