「趣味は読書です。」になるまで
記憶をたどると、物心ついたころから本を読んでいたような気がします。
姉や妹はテレビゲームが好きでよくやっていましたが、私は勝ち負けがあったり、スピードが速いのが嫌だったりで、ゲームがあまり好きではありませんでした。今でもそうなのですが、画面酔い(ゲーム酔い)するのも一因かと思います。なので姉妹とは一緒にゲームをせず、一人本を読んでいました。そのため幼いころから変な子扱いをされていました。(私の知る限り、3姉妹の真ん中は変人と言われがちです。笑)
これを読書と言っていいのか果たして謎ですが、小学生になる前は家にあった本をよく眺めていました。記憶にあるのは『二十四の瞳』。そんなにいっぱい誰かに見られてるってどんな状況やろう、、、と幼心に思っていたので、内容はもちろん読めていなかったのですが。
小学生に入り、図書室を知りました。小学1年生の私は戦争にすごく興味があって、戦争児童文学を一人で読み漁っていました。(内容はほとんど覚えていないので、絵を見るのが中心だったんだと思います。)平和の子の像の佐々木貞子さんのホームページにのっている折り鶴の歌をアカペラで歌えるようになって、一人で泣いていたこともありました。(我ながらだいぶ変わった子ですね。笑)戦争について書いた作文が学級通信に乗って、嬉しかった記憶もあります。
2年生からは『イワンのばか』『あぁ無情』『ジキルとハイド』などをこれも内容は理解できていなかったと思うのですが、字を追って読んでいました。
6年生の時に図書室の本を全部読むという密かな夢を抱きながら毎日図書室で借りた本を読む私に、母が読書ノートをつけることを勧めてくれました。読んだ日にち、本の題名、作者、出版社、一言感想、を書くだけの大学ノートで、今も使っています。
中学生のころは部活に明け暮れていたので、あまり本を読んでいなかったのですが、当時流行っていた携帯小説『恋空』などを授業中に机の下で読んで密かに泣いているという、思い出すだけでも恥ずかしい子でした。
高校ではバイトとダンスとお洒落に忙しかったので(笑)、夏休みだけ図書館に行ってまとめて本を読む、という具合でした。大学に入って初めて電車通学になり、移動時間に読書をするようになりました。
こんな風に私の中で読書は特別なものではなく、時間があればするもの、ゲームやドラマの変わり、といったところです。ちょっと気分を変えたいな、現実逃避したいな、というときにも読んでいました。娯楽です。
高校生くらいから、本を読んでいることを、褒めてもらえることが増えました。そういえば、私の周りには読書をしている人がほとんどいなかったのです。そして本がある生活というのは全ての人にとって普通ではないことを知ったのでした。「趣味は読書です。」というフレーズが無難だと認知してはいたのですが、四六時中読んでいる本の虫のような人ならともかく、そんな取り立てて言うほどのことかな?と思っていたのです。
大学受験や就職活動の中で、「日常の中に本がある」ということは私のアイデンティティとして言ってもいいんだな、と気付いた時から、
「趣味は読書です。」
と言えるようになったのでした。ただ、難しい専門書や学術書、新書もあまり読まず、本当に自分が読んでいて楽しいと思える小説やエッセイが中心だったのでちょっとうしろめたい気持ちも最初はあったのですが・・・。
夫と出会ってから私の「読書」はだいぶ変わりました。小さいころから、ただ純粋に楽しい読書が好きだったことを、知識を得るために大人になってから読書を始めた夫に「うらやましい!」と言ってもらった今は自身を持って
「趣味は読書です。」
と言えるようになりました。夫と出会って、自分と読書について考える機会が増えたので、意外と自分でも気づいてなかった読書へのこだわりなどもあったりするのですが、長くなったので、それはまた今度書きたいと思います。