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10.8.2020 8月
カラオケに行ってバーへとハシゴして、それから、世界が一変してからずっと行ってなかったクラブへ行った。土曜日の夜。
友人がゆったりとしたソファ席のある二階で語っている間にひとりで一階のDJブースの、スピーカーの真ん前で踊ってきた。
緊急事態宣言が今月末まで延長になってクラブの営業時間も短くなってるし、観光客もいないせいかガラガラで、ぎゅうぎゅうも怖いから逆に良さそうではあるけどそこそこ人がいて盛り上がってる方が楽しい雰囲気になる場所だからやっぱりさみしい気もした。
でも心臓に響く音と視界の横で流れるVJが心地良くって、やっぱり好きだわと酔いました。
眠くなって外へ出て、全然おなかは減ってなかったけど友人につき合って食べた深夜のクイジャップユアン(ベトナムうどん)もおしかった。
そこまでセットで久しぶり。
予想通り日記は書けなくて、日曜日は書こうと思ってたけど気分が乗らなくてやめた。
どこにも行かずに家でのんびりして、Twitterの海に流れる色んな記事を読んだ。
数日前は広島。昨日は長崎。毎年8月になると戦争の、特に原爆の記事が増えて、私の生まれる前の、けれど在った戦争の話を写真を目にする。
数字を見せられてもどれだけ多いのか感覚が追い付かないほどの数の人たちがどんな思いで亡くなったのか、生き残ったけれど心身に傷を負った人たちがどんな思いで生きてきたのか想像もできない。
けれど思いが綴られた文字を読むことはできて、こうして遺していくべきだなと思う。
同時に、私は大人になるまでずっと「日本は戦争の被害者である」という一面しか知らずに生きてきたけれど、今の子どもたちはどうなのだろう。と思ったりもする。
私はどう子どもたちに伝えていこうかなとか。
そんなふうに思いながら、ガメさんのブログ記事を読んだ。
ときどき、日本語は、こわい言葉だな、と考えることがあります。
— James F. (@gamayauber01) August 9, 2020
日本語を共有しながら人間性を保つことは可能なのだろうか?
日本語こそが「天然全体主義」と呼んできたものの正体なのではないか。https://t.co/KeNHldRMsC
うちの子たちは日本語が読めないから、戦争のことを知りたいと思えば英語の本を読まないといけなくて、そうしたらきっと私とは全然違う知識を持つのかも。
学校でも習うのかな。
私もそれを読んでみたり、感想を聞いたり、話し合うことができるタイ語と英語力が欲しいな… (勉強しろ〜)
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