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今年も「あと1日」「もう1日」

あっという間に一年が終わる

昨日、子どもが「もう今年も終わり?」とお店の中で自分の親に尋ねていた大人の会話も同じことがみられる。
「今年も、もう終わりですね」「1年は早いですね」などなど。
新年のあいさつをしたと思ったら、あっという間に年末のあいさつ。
1年は、短いのか、長いのか。長いのか、短いのか。
この勝負は、いったいどちらに軍配が上がるのか。

1年は、短いのか?長いのか?

書いていて、ふと思った。
1年は「短いのか?」それとも「長いのか?」
忙しい人にとっては、短いと答えると思う。
自由に使う時間が多いと、長いと答えると思う。
うん?
短いのは、なんとなく自分の経験もあるから分かる。
長いってなんだろう?
自由に使える時間と書いてみたが、なんか違う。
長い、長い、長い……。
冬の寒さに「早く春になれ」と願う。
夏の暑さに「早く秋になれ」と願う。
厳しい、辛い状況に置かれると「早く終われ」と願う。
なんだか、辛いとき、嫌なときに長く感じるものなのかもしれない。
ただ、辛いときも厳しいときも振り返ればあっという間。
そう考えると、長いと感じているときは一呼吸置いてみる。
一旦、状況を遠くから見てみる。
そうしたら、どのように感じるのだろうか?
離れてよく見てみたら、意外と短いのかもしれない。
なんだか、短いのか長いのかこんがらがってきた。

自分の気持ちによりけり

チャールズ・チャップリンが「人生は近くで見ると悲劇だが遠くから見れば喜劇である」という名言を残している。
遠くで見ているのか、近くで見ているのか。
この違いで、1年の長短が決まるのか。
自分の置かれている状況を遠くで見る感覚が持てれば、短く感じられ
自分の置かれている状況の中から見る感覚だと、長く感じられる。
この違いだとしたら、1年の長短は自分の気持ちによりけりか。
よく考えたら、「もう十年か」とあっという間に感じるが。
始まりの時は「あと十年か…」と感じる。
この感覚で考えれば、新年を迎えたときは「また1年」
年の暮れに「もう1年」となる。
長いようで、短い。短いようで長い。
時間って難しいな。

今を生きる。

1年の長短を考えていると、過去か未来にしか視点がないことに気づく。
今を見ていないように感じる。
短いと感じるときは、過去に目が向いている。
長いと感じるときは、未来に目が向いている。
今を見て生きたら、1年はどのように感じるのだろうか。
もう、1年という概念も観念も無くなってしまうのかも。
そうしたら、日付も曜日も年齢も関係なくなるのか。
「何にちですか?」「何曜日ですか?」「何歳ですか?」
「分からない。」
「分からないとは何ですか?」
「今を生きているから、分からない」
「そんなこと言われても」
「じゃあ、暖かいから4月12日。そして火曜日。私は100歳ということで」
というやりとり。
そのとき、そのときで感性に頼って曜日や年齢を決める。
そんな世界の方が、世話しなく生きないで済むのかもしれないな。

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