唐から習い(701年)大宝律令
701年大宝律令の制定
唐にならって制定された決まりです。
なので、唐に習ったと701年を(ならい)と言い換えて、
唐に習い(ならい)大宝律令と覚えましょう。
律令とは、それぞれに意味があります。
律:刑罰の決まり(刑法)
令:政治をおこなう上での様々な決まり
朝廷組織の仕組み
特徴的なものを覚えましょう。
神祇官(じんぎかん)は、神々に関する儀式・祭祀の仕事をする部署です。
天皇が日本国のトップに君臨する理由の1つに、『天皇は太陽神である天照大神の子孫であるから』というものがあります。
そんな日本では、神に関する仕事が重要だと考えられました。
太政官(だいじょうかん)は、実際に様々な政策を実行する部署であり、今の日本でいう国会議員と官僚を合体させた仕事をしていました。
そして、様々な部署に分かれています。
太政官で一番権力を持っている官職は大臣です。
1.太政大臣
2.左大臣
3.右大臣
となっています。
地方組織の仕組み
地方の組織は、国司・郡司・里長という構成になっています。
国司:朝廷から地方へ派遣される。任期は4年。
郡司:里長を束ねる地方の有力者。任期は特にない。
里長:集落(里)の代表者
平城京は、平城京を左右に分けて、
左京職と右京職が置かれ、
九州北部には、太宰府という組織が、
摂津国には摂津職という組織がそれぞれ置かれました。
税金の仕組み(奈良時代の税制でもあります。)
租・庸・調・雑徭があります。
租
租は、口分田などの収穫から3%程度をおさめるもので、主に諸国において貯蔵されました。
調
調は、絹・布・糸や各地の特産品を都におさめること。
庸
庸は、主に布を都におさめる税金です。
元々は、都に行って労役にすることを庸と言っていましたが、次第に『布とか納めれば、労役は免除ね!』という仕組みに変わりました。
雑徭
年間60日間を限度に、都で労役をする税。
これが最も過酷でした。
過酷すぎる税金
この全ての税金を納める必要があり、雑徭であれば、
労役で命を落とすような危険もありました。
やがて、奈良時代の末期になると次第に形骸化していきました。