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狩猟民族より農耕民族が強かった訳【人類史のおもしろい話】

おはようございます。”おこめさん”です。


今更ながら世界史(人類史)にはまっています。


その中で、ぼくの中にあった素朴な疑問

「どうして、狩猟民族の方が力は強そうなのに、農耕民族に敗れていったんだろう」

に対するいくつかの答えを発見したので、ここで共有します
(需要があるかはわかりませんが)


でも、考えたら不思議じゃないですか?

毎日生きるか死ぬかの環境で戦っている戦士よりも、農耕民族たちの方が強いって…

農耕民族の方がのんびり暮らしていて、ちょっと弱そうじゃないですか。


ということで今日は「狩猟民族より農耕民族が強かった訳」編です
(今日のは学校では教わらないシリーズではないですね。これは世界史?ぼくの趣味回です)


参考文献

銃・病原菌・鉄

(タイトルからしていかつい。だけどベストセラー本みたいです。おすすめ)

おこめさん→教員10年の末、独立した2児のパパ。オンライン塾 おはこやを運営中。

3つの理由

狩猟民族より農耕民族が強かった理由として、

・人数の違い
・役割の多様性の違い
・交流の有無

の3つがあると書かれています。

順を追って見ていきます。


人数の違い

そもそも狩猟民族と農耕民族の違いとして

前者は弓矢や網などをつかって生き物を捕まえてその日暮らしをする
後者は食料を自分でつくって食べる 

となります。


狩猟民族は毎日、必要な分だけ食料をとりそれらを食べて暮らします(保存できる食品も限られていた)

そして、その地でとれる食料がなくなると、移動する を繰り返すことで全体として食料を維持する形をとりました。


農耕民族では、農耕に適した土地が限られているという点も合わさって、人口が集中しやすくなっていきます。

また、農耕が安定することによって、より多くの人を養うということが可能となり、狩猟民族のように全体で移動することが必要でなくなったことで、多くの人口を抱えた 集落が生まれるようになったといいます。

さらに定住することで、出産の間隔も短くなり、より人口が増えていきます。(狩猟民族ではどうしても安心して出産できる時期が限られている)


役割の多様性

狩猟民族では、ほとんどすべての人が一日のほとんどの時間を食料維持のために活動しています。それらは狩りに出かける、採集する、調理する、などです。(男女の役割、母親と子ども、首長と戦士くらいの役割の違いはありました。)


農耕民族は、一部の人が農耕をし、そこで得た食料を備蓄することで、生産活動に従事しなくてもいい人を養うことが可能となりました。(備蓄が可能となるための条件の一つにも定住があります)

生産活動に従事しなくてもいい人たちというのは、王族や官僚、職業軍人、僧侶、金属加工職人、書記などの人たちのことです。

こうした人達が自らが生産活動に従事する必要がなくなったことで、一日の大部分を専門的な活動に使うことができるようになったといいます。

こうして政治的な機構が発達し、ますます人口が増え、その中にとくに戦いに特化した軍人や、それらの装備を整える職人の存在が農耕社会の強さをより確固たるものにしていきました。(継続的な侵略も可能とした)


交流の有無

最後に交流です。

狩猟民族にも交流はあったのですが、地域によって狩猟方法などの生活に必要な技術の差はほとんど生まれず、どこかで発達した技術を継承し発達させていくというところまでは至らなかったといいます。

それに対して農耕民族では

気候や土地に適しているという条件は必要とはいえ、別の地域で見つかった新しい農耕手法や新しい食材の獲得により、食料の種類が増え栄養面でも充実していきます。

また、その地域特有の鉱物を交易によって得ることで、自分の地での発明だけに頼ることなく、農耕民族全体でその情報を共有し前進していくことが可能となりました。

さらに交流を繰り返すことで、病気が広がることにもつながり、その病気に対する免疫を獲得するということも起きました。

農耕民族間ではすでに獲得できている免疫も、狩猟民族にはまだない、ということが起き、結果として両者の衝突があった場合、狩猟民族に病気が伝染し破滅においやるということも起きてきました。


3つの要因をあわせると

例えば

100人の狩猟民族の部族に対して1万の鎧や剣などを持った職業軍人たちが馬に乗って、病気とともに押し寄せてくる

ということになり、圧倒的な差によって農耕民族の勝利が各地で起きていったのです。


おわりに

交流するという農耕民族の強みは現代のぼくたちにも大いに関係する部分だと思います。
(とくに独立したぼくにはとっても響きます)

何かをはじめるときに、何も持っていない人が自分流であぁでもない、こうでもないとすることは全体を見た時に大きなロスになっているということになります。

交流をすることで、すでに解決法がわかっているところに躓かなくてもよくなるし、その分前に進み自分にしか解決できない未知の問題にぶつかる方が全体にとってのプラスになります。

これらを支えるコミュニケーション力は、やっぱりいつまでも大切になるんだろうなと感じました。



今日も読んでくださってありがとうございました。


ブログ こめたか

オンライン塾 おはこや


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