自由至上主義という考え方【マイケル・ジョーダンのお金と時間はだれのもの?】#667
おはようございます。
8/24 昨日ははじめてのコワーキングスペース的なところで仕事をしてみました。人の目が常にある状態で仕事をしてみると、いつもよりも集中力が高かった気がします。どこまでいってもやっぱり誰かに見られているっていう感覚は集中して作業するために大事なポイントなんだなって感じました。おこめさんです。
今日は最近できていなかった、読書系の記事になります。
テーマは「自由至上主義について」です。
そういう主義があるっていうことを知らなかったぼくからしたら、この考え方のあまりにも極端に言い切るところが読んでいて爽快でした。
そしてこれに対する反論ってどういうものがあるのかなって考えたくなりました。(反論ができるから、そういう主義を国家が取り入れていないわけで)
ということで、今日はこの考え方について紹介させてください。
参考
これからの「正義」の話をしよう
おこめさん→10年の公立中学校勤務を経て独立。公立学校を外側から支えるために、オンライン塾を設立・運営。子ども~大人までを対象としたライフビジョンコーチとしても活動。半年の育休を取得した朝活大好き2児のパパ
▼自由至上主義とは
名前のとおり、自由を至上のものとして捉える考え方のことです
もう少し詳しく書くと
ー他人が同じことをする権利を尊重するかぎり、みずからが所有するものを使って、みずからが望むいかなることも行うことが許される権利を有するー
という主張をもっている考え方のことだそうです。(こういう主張を持つ人のことをリバタリアンというそう)
リバタリアンの人は近代国家が一般に制定している3つのタイプの政策や法律を否定しているといいます。
①自傷行為を行うことを保護する法律への反対
例えばシートベルトの着用義務などです。
第三者に危害が及ばないかぎり、そしてオートバイの乗り手が自分の医療費を払えるかぎり、国家には、オートバイの乗り手が自分の命と体でどんなリスクを取るかを指図する権限はない といいます。
②道徳的法律への反対
売春行為には多くの人が道徳的に反対するだろうが、成人が同意の上で売春を行うことを拒む法律は正当なものではない といいます。
③所得や富の再分配への反対
他人を助けることをある人々に要求(強要)する法律を拒みます。富めるものが貧しい者を支えることは望ましいことであるだろうが、そうした援助は政府が命じるのではなく、個人の意向に任せられるべきだと。
課税の際にその人の稼ぎのいくつかを政府が徴収するということはその人の命の時間を奪っていることにもつながる。その人の時間を奪うことができる権利は政府にはないはずである
という考え方です。
この中でもとくに長い文章で書かれていた考え方が富の再分配についての話でした。
▼マイケル・ジョーダンの金
公正な世界を実現するために、すべての人に一律に同じお金がある状態で世界がスタートしたと仮定してみます。
そういう世界にいるマイケル・ジョーダンもはじめはみんなと同じお金を持っています。
このとき、マイケル・ジョーダンが行う試合のチケットが販売されたとして
それらに興味を持った人々が5ドルのチケットを買って、その試合を見に行きました。
この試合を何度も繰り返しているうちに、マイケル・ジョーダンのもとには3100万ドルのお金が集まりました。(他のプレイヤーよりもジョーダン目当てのお客が多かったという点でより多く集まっている)
この時点で富の格差が生じてしまっていますが、
このどこで不具合があったのでしょうか。
・チケットを買った人は それに価値があると思ってお金を払っています。
・チケットを買っていない人はそれに価値を感じていないから家でテレビを見て過ごしています。
・ジョーダンは好きなバスケットをすることで報酬としてお金を受け取っています。
さらにこの格差を是正するために富の再分配が行われることを考えてみます。
ジョーダンが稼いだ3100万ドルのうちの30%を国に納めるように要求するということは、ジョーダンがプレーしていた時間の30%を国のためにしたということと同じになります。
つまりジョーダンの命の時間の30%を国が所有していることになり、
そういう権利は果たして国にあるのだろうか とリバタリアンはいいます。
またこういう考え方も紹介されていました。
あるときジョーダンが引退を表明しました。
それによってシカゴ・ブルズのファンたちの間で大切なものを失ったように感じた。
それを和らげようとシカゴ市議会が投票によりジョーダンは次のシーズンの3分の1はバスケットボールのプレーをすべしと命じることにした
と考えてみると、
こうした法律や強制が不公正であるということは誰しも理解しやすいものだと思います。
つまりジョーダンの来シーズンの3分の1をバスケットボールプレーをすることを強制することが許されないのであれば、それによって手に入れた収入の3分の1を諦めるようにジョーダンに強制できるのはどういう権利からだろうか、と
本に紹介されている反論は次の5つでした。
・課税は強制労働ほど悪くない
・貧しい人ほど金を必要とする
・ジョーダンは一人でプレーするわけではない。成功に力を貸してくれた人に借りがある
・民主主義社会の市民としてその税法の制定について、ジョーダンにも発言権がある
・ジョーダンは運がいい
ちなみに著書では、これらすべての反論に対してきれいに答えていました。
さらにこれ以外の反論でいうとどういったものがあるのでしょうか。
▼おわりに
ぼくは今回の自由至上主義という考え方
自由が大事
自律性が大事
と叫ばれる考え方を突き詰めていった先にあるものなんだなって感じました。
ここまで極端にまで突き詰めて考えてみるってことをしたことがなかったので、
「その考え方を突き詰めるとどういうことになるだろうか?」
という視点はこれからも持っていきたいなって思いました。
(決してぼくが自由至上主義に染まったってわけではありません。が、どのように反論したらいいのだろう の悩みがあるのは事実です)
また、この本では今日紹介した自由至上主義以外にもたくさんの考え方が紹介されています。
どれもそれを訴えている人々の尖った考え方がその例えとともに書かれています。
もし、自分以外の考え方、新しい角度からのものの見方を知りたいっていう方は一度読んでみてはいかがでしょうか。
今日もここまで読んでくださってありがとうございました。
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