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「子どもの宿題だから親が関与すべきでない」論で失ってしまう機会とは【親子の情の交換】#666
おはようございます。
8/23 自宅での作業が長くなればなるほど、そこにメリハリをつけることの難しさを感じています。今日はお試しでコワーキングスペースなる場所に行ってみようと思います。 未知の体験、今からワクワクしています。おこめさんです。
今朝とある記事を読んでいました。
この記事を読むまでは
そりゃ、親の宿題じゃないから手伝うことは駄目だろう
って思ってました。
論語パパがそこに反論する余地なんてないんじゃないかってくらいに思ってました。
でも読んでいくと、
そうでもないのかもって思える部分があって、
今日はそのことを紹介したいと思います。
おこめさん→10年の公立中学校勤務を経て独立。公立学校を外側から支えるために、オンライン塾を設立・運営。子ども~大人までを対象としたライフビジョンコーチとしても活動。半年の育休を取得した朝活大好き2児のパパ
▼子どもの宿題を親が面倒みる
絶対に面倒をみないといけない!!
ってわけではないのですが、
親心として困っている子どもを助けてやりたいって気持ちになって
子どもの宿題を手伝ってやる流れはよくあることだと思います。
ぼくは、そこで
「そうしてしまうことによって、子どもの自主性や計画性、失敗から学ぶ視点、自分の興味を中心に進める学習機会などいろんなことを奪ってしまうことにつながる」
って思っちゃうタイプです。
だから、子どもの宿題や勉強は基本的に手伝ったりはしてきませんでした。
(習慣づくりのための声かけはしていました)
で、基本的にはそういうスタンスでこれからもいきたいな とは思うのですが、今回の記事で書かれていた反論はちょっと違う角度からのものでした。
それは 「子どもの宿題を親が手伝う機会を通して、親子の間で情の交換が行われている」というものでした。
つまり親が子どものもがきに対して興味を示し、共感しながら宿題に対してフォローしてやる(情が子どもへ) 子どもはそれをしてもらいながら親に対して感謝の気持ちや親に対しての敬意、ともに困難を乗り越えてくれた経験などを通して情を抱きます。
このようにして、親子の間で情の交換ができる機会というのは子どもが小学生くらいのときだけです。
もちろん、子どもとの情のやりとりはこの方法以外にもたくさんありますが、子どもにとっての大きな悩みごとの夏休みの宿題について、親が関与してくれるってことに対して感じる情というのは大きいものがあるのだと思います。
そして親子で共有した宿題という大きな壁を一緒に乗り越える経験は、そのあとの親子関係にもいい影響を与えてくれるんでしょう。
このような視点は自分にはなかったもので、今絶賛夏休みの宿題のラストスパートに入っている息子のことについて、もっと興味関心をもって少し声掛けを増やしていきたいなって思った次第です。
何事もこうあるべきの視点から少し離れて
「本当にそうか?」
と疑ってみる思考は大切になってきますね。
今日もここまで読んでくださってありがとうございました。