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状況をどう捉えるか【天国と地獄の話】#821


スマートブレイン社

今年のぼくのテーマは利他の心です。

利他の心の大切さを説く話で有名なものが『三尺三寸箸』です。

昔、ある所に、地獄と極楽の見学に出掛けた男がいました。最初に、地獄へ行ってみると、そこはちょうど昼食の時間でした。食卓の両側には、罪人たちが、ずらりと並んでいます。
「地獄のことだから、きっと粗末な食事に違いない」と思ってテーブルの上を見ると、なんと、豪華な料理が山盛りにならんでいます。
それなのに、罪人たちは、皆、ガリガリにやせこけている。「おかしいぞ」と思って、よく見ると、彼らの手には非常に長い箸が握られていました。恐らく1メートル以上もある長い箸でした。
罪人たちは、その長い箸を必死に動かして、ご馳走を自分の口へ入れようとするが、とても入りません。イライラして、怒りだす者もいる。それどころか、隣の人が箸でつまんだ料理を奪おうとして、醜い争いが始まったのです。
次に、男は、極楽へ向かいました。夕食の時間らしく、極楽に往生した人たちが、食卓に仲良く座っていた。もちろん、料理は山海の珍味です。
「極楽の人は、さすがに皆、ふくよかで、肌もつややかだな」と思いながら、ふと箸に目をやると。それは地獄と同じように1メートル以上もあるのです。
「いったい、地獄と極楽は、どこが違うのだろうか?」と疑問に思いながら、夕食が始まるのをじっと見ていると、その謎が解けました。極楽の住人は、長い箸でご馳走をはさむと、
「どうぞ」と言って、自分の向こう側の人に食べさせ始めたのです。にっこりほほ笑む相手は、「ありがとうございました。今度は、お返ししますよ。あなたは、何がお好きですか」と、自分にも食べさせてくれました。男は、
「なるほど、極楽へ行っている人は心掛けが違うわい」と言って感心したという話です。

仏教辞典

状況はそれぞれまったく同じにも関わらず、

自分のことだけ、まず自分

そう考えている人は、いつまでたっても幸せになれない、満たされません

一方で、まず相手のことを思い、相手のために行動できた人は

結果として自分も満たされていきます。


このたとえは食事に関してですが、

物質的に満たされるというよりは、むしろ心が平穏になり、満たされるという側面の方が大きいのではないかなと思います。


また、利他の心というのは自己犠牲をするというわけではありません

自己犠牲してしまっている、って捉えた段階で利他の心はうまくいかなくなると思います。

これだけしてあげているのに、相手は・・

って捉える心の持ち方では、決して天国のようなみたされた心には至らないのだと思います。

確かに他の人から見たら自己犠牲のように見えても、

その人自身が何か満たされるものがあり、その人らしく歩めているのなら問題はありません。

結局はその人の捉え方次第ということですね。


そのために大切なのは心の成長、成熟です


何ができるとか、できないとかではなく

どう捉え、常に感謝に変えていけるか


今日も明元素を大切に一日を過ごします!

ここまで読んでくださってありがとうございます。

素敵な一日をお過ごしください。

#利他の心 #三尺三寸箸 #天国と地獄 #心  

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