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字を丁寧に書く習慣は必要なのか問題【一人ひとりにゆだねる】#560

おはようございます。

5/9 ぼくには納得解が見えてない問いに対してゆっくり考えてみたいって思うところがあります。たぶんそれは、何か自分の中で整理できてない部分を整理できたときに頭がすっきりするのを求めているんだと思います。 おこめさんです。(こうしたことを自分の中に発見しました)

この流れで、今日は「字を丁寧に書くことを指導する価値はどれほどなのか」ということについて考えてみたいと思います。


おこめさん→10年の公立中学校勤務を経て独立。公立学校を外側から支えるために、オンライン塾を設立・運営。子ども~大人までを対象としたライフビジョンコーチとしても活動。半年の育休を取得した朝活大好き2児のパパ


▼きっかけ

1泊2日の廃校キャンプの中で、このテーマに関する議論が起きたことがあって、ぼくの中でもまだ結論?が見えてない感じなので整理してみたいなと思ったのです。

そもそも小学校の段階で、字を丁寧に書く指導をされるのはほとんど当たり前の光景だと思います。

学習指導要領にもそのことの記載があるようで、字を丁寧に書けるように指導することは小学校の先生にとっては何の疑いもないことなんだと思います。

一方、小学校の先生ではない外部の人間からすると、それが果たしてマストなことなのか、それ以外に伸ばすべき力に影響はないのだろうか

という点については疑問が浮かんでいて、そういうところについて考えていきたいと思うのです。

▼字を丁寧に書く指導

小学校では主に、丁寧に書くことを習慣化することが大事になってくるのだと思います。

最初は時間をかけて丁寧に書いていた字も、徐々にそのスピードがあがってきて、丁寧な字だけど、そうでない字と同じくらい早く書けるようになるというのは理想なのだと思います。(汚い字よりは丁寧なきれいな字の方がいい という前提にたつと)

では、そもそもどうして丁寧な字の方がいい のでしょうか。
(海外では「丁寧=いい」って感覚あまりないような気がします)

理由としては

・読む側の人が読みやすい
・丁寧に書くことでその人自身の気持ちが整う(見返したときの気分も?)
・字を通して伝わる(これはちょっと違うかもしれません)

などがあるのでしょうか。

ただ、これに対してメリットを感じる人とそうでない人がいるのは確かなのかなと思います。

なんとなくぼくはここらへんの良さがあまりしっくりこなくて、結果的にさらっとした字を書くようになりました(丁寧できれいではない字)


また、必ずしも指導要領にのっているからといって、字を丁寧に書くことを正解として指導にあたるというのは違うような気もします。

例えば 誰かに手紙を書く という場面設定があって、その評価として字が丁寧であるかどうか はあっていいと思います。

で、普段雑に字を書いている子は、そのときに 丁寧にかけない自分をメタ認知できるわけです。その子がそれをどう感じ、どう修正していくのかは本人に任せていく というのも大事な指導方針の一つなのかなと思います。(もちろん、普段から丁寧に書くことがこうした本番にも大きく影響するということは認識させることは必要です)

このように一人ひとりの子どもにとって感じている必要性には差があって当然で、その必要性を高めることは大事だとは思いますが、どこまでいってもその子に委ねるというところは必要になってくるはずです。

大人になってからも丁寧に字を書く動機はたくさんあって、一人ひとりが人生のどの部分で 丁寧な字を書くことの必要性にぶつかるのかは違うと思うので、”強制的に””小学校で”というところは絶対ではないような気がします。


▼その修正にあてる時間

丁寧な字を普段からスラスラと書けるようになるための指導に必要な時間は おそらく莫大なものとなっているのでしょう。

少なくとも1年生から6年生までの6人の担任の先生方が漢字ノートなどをチェックしたり、授業の際に指導にまわったり というトータルを考えるとすさまじい労力なのだと思います。

ただ、一方でその 丁寧な字を書くことが習慣になる ということのために投資できた時間を、なにか別の能力を育てることに使えたのではないか

ということも持っておきたい視点ではあります。

字を丁寧に書くということは 相手に思いを伝える という点で大事だということだったと思いますが、それはあくまでも相手に伝える一つの手段として手紙を使ったときのことであって、手紙以外でも伝える方法は山のようにあります。

表現方法の一つとして、丁寧な字を書くはあると思うのですが、それ以外の表現方法の指導に対して割く時間があまり取られていないような気もします。


▼おわりに

ここまで書いてみて、ぼくの中で一番しっくりきたことは、子どもに選ばせる というところです。

いろんな視点を伝え、それぞれのメリットデメリットも認識させた上で、どれを選ぶかは子どもが考える

これでいいような気がします。(認識に差があることも受け入れて)

子どもであっても一人の人格者で、その意思は尊重されるべき大切なことです。

今回のような”字を丁寧に書くかどうか”については委ねてあげていいことな気がしました


今日もここまで読んでくださってありがとうございました。


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