「頑張れ」が嫌いな理由
私は「頑張れ」という声がけが嫌いです。
何故ならば押し付けがましく感じるからです。
小さな頃から親に「何事も努力が大切、頑張らなければならない」と言われて育ってきたからかもしれません。
言う方はそんなに深い意味で言っているのではないのでしょう。
私自身「頑張る」ことは嫌ではありません。
何故ならば、それは自分自身が必死に主体的に取り組んだ結果そうだった事が多いからです。
私は学生時代頑張り屋とか努力家といわれていた時期がありました。
それは志望校なり夢があったので、知らず知らずのうちに頑張れていたからです。
それは誰から強要されたものではないのです。
元々「頑張れ」と誰かから言われるのは、好きではありませんでしたが、社会人になってから、特に家庭を持ってから益々嫌いになりました。
私としては、家庭、仕事に、全力投球しているのに、まだ頑張りが足りない、努力が足りない、もっとやれるだろう、と言われているように、ダメ出しされると感じてしまうからです。
かつて家庭では子供が不登校になりかけているなかで、毎日残業しなくてはならず、バタバタして余裕がない時に「頑張れ!」と言われた事がありますが、軽い殺意さえ感じてしまいました。
後で冷静に振り返るに、相手は私の背景を全て承知している訳でもなく、悪気があってのことではなかったのでしょう。
私の大変さを理解し応援しているつもりが、語彙のバリエーションがないために「頑張れ」になったのだろうとも受け取れます。
その時に私が欲していた声がけは、「お疲れ様、随分頑張っているね、帰りがだいぶ遅いみたいだけど…」という寄り添った言葉でした。
それがその時の私への最大の励ましだったかもしれません。
その言葉を私にかけた同僚は、私と同年だけど採用が私より数年遅い、しかし首長の覚えが非常にめでたく誰よりも昇格が早かった人でした。
そんな背景もあり、その人からは「頑張れ」だなんて言われたくないという気持ちが私にはありました。
職場における「頑張れ」という声がけは、自分自身の立ち位置、加えて相手の性格をみてしないと逆効果になってしまうと思います。
特に残業が多く良くも悪くも手を抜けないようなタイプに「頑張れ」とは安易に口にしない方がいいでしょう。