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ぼくはINTERNET HUMANさ きっと透けてしまう

INTERNET無間地獄やってる?

ぼくはやってる。インターネットに生きてる。

そう表現するとなにか特別な気分になっていたのも今は昔。
価値観をアップデートしなきゃね。
インターネットと現実は陸続きになってしまった!
うんちを覚えた赤ちゃんからうんちを忘れそうな老人までインターネットを触る現代。こんなにもたくさんのひとが文字や映像をたくさんのひとに見られてしまう時代があっただろうか?いや無い。

インターネットは変質した。
「インターネットに○○が無くなった」
「インターネットに☓☓が現れた」という事実はたくさん挙げられるが、そもそも「黎明のインターネットは目的のための手段でしかなかったが、今日ではインターネットとは環境でしかなく目的が失われた」という点がすべての変質の根底であると考えた。
けれど同時に、目的を持ってインターネットを手段にする人間も存在するじゃないですか。ビジネスだったり欲求の解消だったり。
そういう人間に踊らされるのは癪だなと思っています。当然、なんの影響もない自発的なダンスなんてありえないんですが、せめて踊る曲くらいは自分で選びたいというのが僕がインターネットをするにあたって思うことです。

特に対立構造を作って怒りを煽ってバトルをさせようとする話題は意図的に遠くから眺めるようにしています。具体的に言えば男vs女の話題とか、古くは任天堂vsソニーとかのゲハ戦争、円盤の売り上げ数で覇権を争うアニオタとかもそうだったし、その系譜を継ぐ生配信の同時接続者数を比べるやつとかソシャゲの売り上げランキングなどなど。

Twitterで発生する殴り合いなんかは双方向のコミュニケーションをしているはずが建設的な合意を生むことはなく、ただただ闘争。議論の体をなさない人格攻撃や揚げ足取りをする様はまさしく無間地獄。

それらをわざわざ見に行く行為を「インターネットどぶさらい」と評してバズってるツイートをみかけました。どぶさらいをするのは健康に良くないらしいですよ?

うーん、そう言われると「お前、なに傍観者ぶってんだ?お前の身体からもドブが湧き出てるし立ってる足元もドブに浸かってるぞ」という気持ちになりましたね。インターネットという環境に身をおいてるのならすでに汚泥にまみれてるはずだ。
いいえ先輩、インターネットと現実は地続きと言ったのですから、人間社会に身をおいてる貴方も私も全員ドブまみれだろうが!という。

なにを清楚ぶっておるのか。
嘘か真か、Twitterは常に喧嘩が発生するから若者からはドン引きされているよという話があり、Twitterというかインターネットというか現代社会には、もはや闘争しかないらしい。

どこで間違えた?その質問には答えられない。
わからないものは答えられない。

よくあるじゃないですか。間違ってるのは世界のほうか、自分のほうか。
別にあんまり世界が間違ってると思ったことないんだよなぁ。
となると消去法で自分が間違ってるってことになるんですけど?

仮に自分が間違ってるとして、じゃあどうするかっていうと自己啓発セミナーを装ったネットワークビジネスに誘われたりするじゃないですか。自己啓発本100冊読めって言われたりするじゃないですか。

話は変わるけど小説vs自己啓発本のバトルはお互いの本に対する目的が違うからそもそも戦いにならないはずなんだけど、お互い見下してるところがあって結構好きな対戦カードの一つですね。

そういう自己実現や自分を変えたら世界が変わるみたいなやつにコミットすると社会に適合した人間になれるんだろうなと思います。
それがどこか空虚に見えてしまうのは”僕ら側”の悪い価値観なのかも知れないなとよく思ったりもするわけです。悪いインターネットの人たちはそういう真面目に社会に適合しようと努力したり、社交性を身に着けて上っ面を着飾って共同体で仲良くするやつをバカにするでしょ。

そこにのっかってもあんまり未来見えないのもあるからまずは従順に自己啓発本を読みまくったのが10年くらい前の僕でした。
読んだ感想としては「ベストセラーで何百万冊も売れてるのに、自己が啓発されず成功もしない人が大半なんだからこんな本に実利があるとは思えない……」でした。
書いてるハウツーとかも「なるほど完璧な作戦っスねーッ 不可能だという点に目をつぶればよぉ~」って頭の中の東方仗助が喋りだす。ただ大勢の社会人がどういう社会幻想?社会に必要とされる理想的な人物を描いてるのかというフィクションは知れたので、そういう演技?体裁整えようとするポーズは取れるようになったのでそういう価値はあると思うんです。

ということで自己啓発本は僕を正してはくれなかった。
そもそもやっぱり前提がおかしいんだよな。

僕は間違ってない!!!

間違ってるのは、世界の方だ!!!!

そもそも、世界から(社会から)「お前は私にどんな貢献をする?いくらの価値を創造する?」と要請されることがおかしいことに気づかなきゃならない。
だって目的があって人間が存在するわけじゃないんだから。
意味のある人間なんて存在しないはずだったんだから。
なのに社会は価値を作った。社会に貢献することが善であると敷いた。

その結果、社会が人間から実態のない価値を捻出させて搾取する構図ができあがっている。

ああ!非常に不愉快な気持ちになってきたな。
なぜ搾取されるとわかってて価値を高めなければならない?
生産物を献上しなければ社会に存在を赦されないのはなぜだ?
ただ存在したいと願うだけなのにみかじめ料のごとき請求が押し寄せてくる。それに否を突きつければこちらが反社会的な人間だと言われてしまうだろう。

はいはい、わかりましたよ!俺は小さな一人の人間だ。大きな力には勝てないよ。反抗的な態度をとってしまい申し訳ございません。きちんと価値を捻出し支払わせていただきます。はい。ですから社会の片隅に僕の居場所を用意していただけませんでしょうか。これからも周りの皆様のご迷惑にならないよう精一杯頑張らせていただきます。それが市民の幸福なのですから。

ふぅ、これで丸く収まったな!よく考えたらなにが間違ってるとかこだわるほうがどうかしてたわ。ぐだぐだ言ってても周りの人に感謝して僕を育ててくれた環境に恩返しをしていくほうが正しい行いに決まってる。みんな価値を作ってくれてるから僕は美味しい飯を買えるし快適な部屋に住める。電気も水道もガスもライフラインが滞り無いのだってみんなが仕事して作ってくれた素晴らしい価値だ。娯楽も溢れてて消化しきれないよ!みんな面白い作品をたくさん作ってて最高だ!みんな良い価値を生産しているようだね!!パクパクパク!!!
社会って素晴らしい。それだけは間違いなく断言できるな!!

それとは別に?

さっき捻くれたバカが言ってたけど価値のあるものは社会に搾取されるらしい。
そこで天才的なボクはコペルニクス的転回ってやつで閃いてしまったなあ?!
「価値がないものは奪われない。だから価値がない行動こそ誰にも奪われない唯一の聖域なんじゃないですか?」
それだ!!歌は誰にも奪われないっていうしな。俺も社会という牢獄から逃げ出そうぜ!!うおおおおおおおおおおおおおおおおお

じゃあ教えてくれよ。この仕組みの深さを破壊する方法を……

破壊とか物騒だからやめとけって市街地で人がたくさん死んでんで!というカボチャ頭がハチャメチャにダンスする作品がこないだまで映画館でやってた気がするのにもうアマゾンプライムなど各種配信サイトで見れちまうの早くねえか?と思ったけど、とにかくオススメですって言おうとしてでも3部作の1話だから別にいますぐ見なくてもいい気がするな。

インターネットとの付き合い方ってなんだ?

あんまりのめり込み過ぎると盲目になるからほどほどにネ。


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