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春原さんのうた
★★★★☆ 3.9点
なぜ人間はただ存在しているだけでは悲哀を背負って見えるのか。その問いは、なぜ無表情の人間は哀しそうに見えるのか、そしてとても愛おしいのかと同じだ。無表情には、喜びや悲しみや怒りや笑いといった記述に束ねられる前の、その人間の固有性がある。無表情だけに、その人間のどのようにも記述尽くされ得ない固有性がある。そしてそれは、安らかな寝顔と死顔もまた同じである。無表情と寝顔と死顔には、喜怒哀楽がない。ただその人間の存在の固有性があるだけだ。
無表情から解かれ、沙知が涙を見せる時、雪が鼻歌を歌う時、私たちは心の底から安心する。なぜなら、存在はただそれだけを晒している時、私たちを不安にさせ怯えさせるからだ。あらゆる人間の固有性は、無表情で何もせずただそこにいることによってのみあらわになる。だからそれはまるで幽霊のように不気味なのだ。そしてそれが悲哀の正体だ。我々の存在の核心は、それそのものは喜怒哀楽を欠いたまったくの無表情な幽霊なのである。