【小説】いつも傍に居てくれる君へ4
「昨日の手紙、どうだったの?」
挨拶もなく開口一番問われる。
朝一番のやり取りがこれか、と苦笑を浮かべる雫と、いつになく前のめりな楓。
珍しい光景でもあるので、雫はあえて「おはよう」と前置きを入れるのを忘れない。
「……おはよう。
で、昨日で決着はついたの?」
「んー……まぁ、そんな感じ?
実にくだらなくて、本当に無駄な時間を過ごしてきたよ」
「……何それ意味わかんない」
「その方が良いんじゃないかな。
少なくとも僕に青春が来るのは随分先になりそうだ。
それより今日の英語って楓が当てられるんじゃないの?」
「佐藤の授業?
私を当てる勇気があれば褒めてあげる」
楓の自信過剰に聞こえるが、実を言うと英語を担当するかの佐藤教諭とは一戦交えているのだ。
教師の立場と帰国子女を武器に、たかだか高校一年生の楓に挑んだ佐藤教諭はあっさり敗北の味を知ることになる。
というのも、教科書の内容だけでなく、日常会話にまで手を出してきたのが悪かった。
言葉とは時代によって変わっていくもので、教師生活の長い彼の知る『会話』はとくの昔に時代遅れ。
進学校であるこの学校では外国人講師も常駐しており、審判役に任命されたメアリ先生が「昔はそんな言い回しもあったらしいね」と口を滑らせてしまったのだ。
しかも英語の発音まで錆びついていることまで発覚し、何ともいたたまれない空気が流れたのは記憶に新しい。
実際、英会話がこなせるならわざわざ外国人講師の出る幕などないのだから、佐藤教諭の自信は一体どこから来ていたのか、雫は不思議でならなかった。
カバンから荷物を取り出して机に放り込みながら、話題が逸れてほっとする雫。
確か一限目は数学だったはず。
人間関係を読み解くのが得意な雫には難解極まりない授業だった。
過去何度も受けた恋愛相談。
しかしその相手がどれもこれもすぐ傍に居る相手だというのだから、その人気の高さに雫は嫉妬してしまいそうだ。
別に見た目が特別劣っているわけでもないのに、雫にはとんと話が来ないのは、やはり楓と並んでいるからだろうか。
そう、楓の方が群を抜いて整っているだけなのだから。
ともあれ、雫が相談されている間にも、楓は他の誰かからの告白が訪れる。
そうなると雫に言えることは、結局いつでも「良いから早く行け」くらいのものしかない。
まだ彼女の好みや趣味を聞かれるのならわかるのだが、計画の相談なんてされても知ったことじゃない。
そんな恋愛相談も、十人目を迎える頃にはさすがに面倒になってくる。
いっそのこと無視してやっても良いのだが、残念なことに雫は人間関係を大事にするタイプだった。
「皇に言いたいことがあるんだ」
「うん、それは手紙にも書かれていたね」
いつもと同じく、今回も面倒な流れになりそうな雰囲気を感じ取る。
雫も時間の価値は理解しているので、毎回相手が諦めるまで問答を続ける性格を差し置き、今回こそは適当なタイミングで切り上げようと心に決めていた。
「東雲といつも一緒に居るだろう?」
「おおむね? 学校では?」
「君らは付き合っているのか?」
余りにも突拍子もないことを言われ、頭が真っ白になる雫。
今まで色々と問われた中でも、ダントツでおかしな質問だと言えた。
けれど確かにベッタリと言われても否定はできない……そんなことを考えつつ「僕と楓が?」と一呼吸入れ、それから大げさに肩をすくめて続けた。
「そんなわけないじゃないか。
関係性を聞かれれば難しいけれど、どちらかというと保護者枠だと思うけれど」
「そう、か……安心したよ」
「何を言っているのかな?」
「いやぁ、恥ずかしいことに、君らの仲に入っていける気がしなくてね」
驚きの波も引いて頭が回り始めた雫は、見当違いも甚だしい内容に呆れてしまう。
ただ、状況証拠だけを取り出すなら、楓は何度誘われようとも誰の誘いも受けていない。
雫に至っては誰からの誘いもないし、誰かに告白する予定もない。
第三者から見ればそういう選択肢も出てくるかもしれない……?
と驚愕の新事実に驚いていた。
「だからまずは確認を取っておかないとおっかなくってさ……」
「だとすれば答えはNOだ。
何も気にせず、是非とも好きにしてほしい」
「そうか、教えてくれてありがとう!」
「どういたしまして」
ドッと疲れを感じた雫は、『なぜ今日に限って放課後ではなく昼休憩だったのだろう』と嘆く。
ただでさえ大した成績でもないのに、残っている午後の授業がきちんと聞けるか不安でしかなかった。
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「………………なんの用かな?」
思わず釣りあがった眉をひくひく動かしながら雫が問う。
相手はいつも通りの楓……ではなく、昨日の昼休憩に相談と称して雫を呼び出した男子。
岩城 陽介と名乗った彼は一年五組の生徒……颯爽と去っていった昨日を思うと、あまりにも早い顔合わせだった。
「いや、一緒にご飯でもって思って」
隣の一組であれば、体育やらの合同授業も存在するが、五組ともなれば距離からして接点はない。
特に雫は高校に上がるときに親の転勤で引っ越しして来た経緯もあって中学時代の友達は居ない。
また、五組には楓の中学の同級生は居たものの、友達付き合いの少ない彼女は陽介の情報など耳に入るはずもなく、ただの初対面でしかない。
「……他人のクラスにまで来て何言ってんの?」
「え、本気なんだけど……ダメかな?」
「そもそもこの人ダレ?」
伏目がちながら、ピリリと警戒心を持って呟く楓。
ただ一度だけ……それも呼び出されて確認されただけの相手なので、雫も全く同じ思いだった。
「あれ、さっき自己紹介したんだけどなぁ?」
「違う、そこじゃない。
ちょっとこっちに来なさい」
雫は楓に「少し待ってて」と一言入れて、きょとんとしたままの陽介を連れ出した。
短めに終わったはずの厄介ごとが、日を跨いで訪れるとは思ってもみなかった雫は、脱力の溜息と共に移動した。