生臭と坊主・4

 二人は民宿みぎわに向かうべく道路に出た。
 漁協事務所の入り口を左手に──進めなかった。入り口の右側には細い注連縄がされた石があり、神聖な物だと解る。しかし奉られている石は奇妙な形をしており、その天辺は目を閉ざした爬虫類か魚のような顔が2つある。その首の辺りに注連縄がされているが、顔があるなら四肢──がない。蛸のような太い触手か鰭が石を包んでいるようにも見える。
「神様のようだ。祈っている人が沢山いる」
石の周囲の残留思念を見た慶一が囁く。
「道祖神?夫婦石?」
「いや。戎様って言ってる。これは大漁を祈願しているね。人の服装は江戸時代から最近まで揃ってる」
「しかし、戎様にしちゃ奇妙だな」
「まあ戎様ってのは日本神話の蛭子でもあり奇形の神様だけど3歳児か胎盤のような姿だから、この像はおかしい」
「蛭子って確かそれが理由で島流しにされた」
「その通り。育児放棄された子さ」
似たような境遇の親友と黙ってしまった。
「写真を撮って大丈夫かい?」
豊は無理矢理に話題を切り替えた。
「うん。撮っても心霊写真にはならないよ」
「じゃあ、早速」
海神の石に一礼してからそれと、その周囲を撮影した。
「じゃあ、行くかい?」
「行こう」

***

 漁協事務所を離れると、住宅は早速疎らになりだした。住宅を隔てるのは空き地どころか山の麓であり、初夏の草がぼうぼうとしている。
 民宿みぎわは空き地らしい場所を2つ過ぎた山手にあった。民宿の建物は3階建ての古い鉄筋コンクリートであり、左手の駐車場には軽トラックと古い漁船、荷台に篭が付いたカブが停め置かれている。しかし駐車場の手入れを怠ればすぐに麓の茂みに飲み込まれそうだ。
 古い引き戸を引けば電子音のチャイムが鳴り、カウンターの奥から女将が現れた。二人は支度されていたスリッパに履き替える。
「いらっしゃいませ、佐藤様。今日から2泊ですね」
「そうです」
「宿帳を」
慶一は宿帳に個人情報を手早く書き付ければ、部屋の鍵はすぐに手渡された。
「お部屋は3階の海側、松です。お食事は19時、お部屋にお持ちします。内風呂と露天風呂は夜は24時、朝は6時から入れます。どちらも貸し切りですが、他にお客様がいないのでごゆっくりどうぞ」
「はい」
「後、エレベーターがないので、荷物は」
「大丈夫です。運べます」
「ではごゆっくりなさってください」
「じゃあお世話になります」
頭を軽く下げた豊が無表情だと気付く。どうやら女将が相当苦手なタイプのようだ。

 この宿は民宿と言うよりも場末のホテルと言うべきであり、床の絨毯からは場末の匂いが放たれている。客室の木のドアも時代によって痩せていた。
 部屋は10畳、奥は海が見えるサンルームとなり、畳の間のテレビに近い卓袱台にはメニュー帳、フリーWi-Fiの説明チラシが揃えられている。茶の道具が入った櫃と古いポットは卓袱台の傍らにある。サンルームにはカフェテーブルと椅子、ガラス製の無駄に大きく重い灰皿──場末宿のお約束ッッッ!──、小さな冷蔵庫がある。冷蔵庫の上にはコップや栓抜き、そして飲み物メニューが置かれているが、
「600円、高っ!」
慶一は缶ビールの値段に驚愕した。
「言ったろ。離島価格だって」
豊は既に敷かれた布団に寝そべりながら、スマホとフリーWi-Fiを繋げながら言い、
「酒、買ってきてよかった」
「だろ?ほら、Wi-Fi繋げろ。ここの電波は死んでるから」
ぐうたらと説明チラシを渡してくれた。
 ちなみとなるが、この部屋には他にも押し入れ、浴衣類が入ったタンス、洗面所、トイレもある。
 フリーWi-Fiを繋げた次は冷蔵庫に酒や飲料水を入れねばならない。
「じゃあ、俺はちょっと県警に連絡するついでに露天風呂見てくる」
と、その間に豊は部屋を出た。調査の仕事を持ってきた愛洲県警に現地到着を報告するのだ。
 慶一はサンルームから海を見下ろした。道にはガードレールはなく、弛く低い崖下には少しばかりテトラポットが敷き詰められている。そして街灯はない。つまり、アベックで星を見ながら歩けば、
『凄い星、綺麗』
『君の方が綺麗どわあああああああ』
と足を滑らせて海に落ちるのはとても簡単だ。
 豊が部屋に戻ってきた。
「風呂入ろうぜ。温泉じゃないけどいい風呂だよ。灰皿もある」
「マジか。禁煙してる人には辛い場所だな」
「そうだな」

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