生臭と坊主・21
化け物達が親友を餌食にしようと迫っている。最後の夢の始まりとして豊はそれを見ている。
(俺にはもう何も出来ない。生きていたとしても、何も、何一つ)
子供の啜り泣く声が絶望の風景に忍び込んできた。
(子供?どこだ?)
探そうと考えると同時に場面は現世から砂浜に変わった。
昼下がりの、長い砂浜。泣き声がする方へと砂を踏み締めて歩く。
浜の真ん中にあるのは赤黒いものであった。両手に乗るほどの大きさのそれには血管が浮き、管状の物が天辺にあり、子供の泣き声としゃくり上げに合わせて動いている。
(蛭子)
豊はその正体を、胎盤の姿をした神であると見抜いた。
蛭子が異形ゆえ(おかしい)に親に捨てられたように、人よりも聡い(おかしい)豊もまた中学の時に捨てられた。
あの日、学校から帰宅した時。自分の部屋以外に家財はなく、『死ね』と書かれたメモだけが床に置かれていた。両親は手に負えぬ(おかしい)息子を捨て、蒸発したのだ。
人より勉強が出来たら駄目なの?
おかしい子でいたら駄目なの?
世の中がおかしいって思ったら駄目なの?
おかしいことをおかしいって言うのは駄目なの?
おかしいってだけで何が悪いの?
僕は生まれたら駄目なの?
走馬灯が中学校の屋上の場面に変わった。
「お前も変、俺も変」
高く晴れる空の下で、ハーフモヒカンの慶一が豊に微笑む。
「お袋にはそれが理解出来ないだけであって、変でもいいって俺は今、本当にそう思ってる」
そして誇らしく笑う。慶一の不思議な力を自分が肯定したように、自分もまたその頭脳を慶一に肯定されている。
「お前に会えて、本当によかった」
慶一は屈託のない笑顔で手を差し出し、金髪だった豊も生まれて初めて心から笑い、その手を握り返す。
豊はおぞましい物体の姿の側に膝を着き、おぞましい──ものではなく、異形の神に──異形?神?困ってるだけだろ!──泣きじゃくる子供に手を差し出した。
(おいで、戎)
蛭子──戎が驚き、自分を見上げているのが解る。手の代わりの臍帯がおずおずと豊の掌に近付こうとするが、躊躇う。
(そりゃ家族に棄てられたもん、赤の他人だって怖いよな)
豊は思い切って胎盤の体を両手で掬い上げた。ぬるりと生暖かい感触と同時に驚愕が伝わるが、恐怖まではしていないと理解出来た。
(よし、俺の肩に乗りな)
そのぬるりとした体を右の肩に乗せ、落ちぬように左手で支えてやった。
立ち上がって海を見る。水平線しか見えない、穏やかな海を。時に嵐と共に暴れ、水面下に謎と未知を秘めた海を。
(お前、こんな広い海から一人で来たのか。凄いな)
感心したつもりが幼子の一人旅を労っていた。戎から恐れが消えていくのが感じられる。
(そうだ。このまま遊びに行こう。行きたい所はあるかい?)
返事の言葉を感じた。
(西宮、西宮か。じゃあ、行ってみるか)
返事の代わりに肩の戎は胎盤の体で飛び上がった。戎は味方を得て無邪気に喜び、
(めっちゃ解るよ!)
それを骨身に沁みて理解する豊も朗々と笑う。
一歩を踏み出して、豊はこの現実から閃く。
(そうだ。俺はもう死んでるんだ。どうやって西宮に行こう。ケイみたいにお不動さんがついてたら何とかなったかもしれないのに)
落胆する。
目の前の空間から人の姿が転がり出た。その人物は古代中国風の甲冑に身を包み、髷で髪を纏めあげていた。
(まさか、お不動さん?)
(我を呼んだのは戎か?)
豊と彼の問いは同時であったが、彼の正体は問うたまでもなく正解だと理解した。本来の不動明王は人の好い顔をしていると慶一曰くであったが、正にその通りである。
(豊、主が呼んだか。戎、主も)
戎は胎盤の体でぽよんぽよんと跳ね、
(ようやく会えたな)
微笑んだ不動明王は胎盤の体を丁寧に撫でる。
戎は心に響く言葉か、声なき声で大まかに言う。力を貸してくれ、この男の真心に応えたい。
(応えるったって、俺死んでるし)
もう一度大まかな言葉を聞く。親友が対峙している化け物達、クトゥルフ──大いなる異郷の神、邪神──の分霊を退けたい。
(あいつらを?出来るのか?)
戎は頷くが──力が足りない。力があれば皆を呼べる。その力さえあれば、そう付け加えた。
(問題ない。力を貸そうぞ)
不動明王が戎にもう一度触れ、胎盤の体は真夏の太陽のように輝いた。
(おおい)
(戎やあ)
光の隙間から声が次々と上がり、それらは人の形になりながら戎に集まってきた。山幸彦、事代主、少名比古那。生前に戎について調べた通り彼らは全て戎に習合した神々でもあるのだが、彼らの他にも戎の相棒の大黒天、戎としても祀られた毘沙門天、七福神──神々のオンパレード!──も集う。
最後の夢は光で満たされていく。豊の体も光と喜びに包まれ、その形も、その喜びも光に溶けていく。
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