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あなたも選べる。だけど、私も選べる

こんにちは、mayuです。書き出したらなんだかとまらなくなったので、ここに吐き出していこうと思います。


私は基本的に来るものは拒まないし去るものも追わない。

だって拒むのはなんだかもったいないし、去るのはそれは仕方ないと思うからです。でもあまりに強烈な人に出会うとフェードアウトしようとはしますし、去る人に対して、ちょっと寂しいなとは思いますが。


けれど人が来たからといって自分の生活スタイルを変えようとは思いません。だって変えたところで仕方ないと思うから。(気遣いをしないというわけでは決して無い)まぁだいたいそのせいで孤立したりするのですけれども。
けれどその中でも私と関わりを持ってくれようとする人は必ずいました。私は、その人達と関わって生きていきたい。大切にしたい。私に向けてくれた気持ちと同じくらい気持ちを返したい。そう考えている。このやり方はたくさん損もすると思う。実際私はたくさん損をした。だって集団の生活スタイルに合わせられないから。図々しいと言われたり、恥知らずだと言われたり、酷い人になると私の人格すら否定する様なことを平気でぶつけてくる人もいる。そのせいで私は体調を崩したり、集団の中で孤立したりした。

だけど、私はこのやり方を変える気は無い。まぁ多少は合わせることも必要ではあると思う。だが自分が無理をしてまで合わせる必要もないと思う。


私が私らしくあれば、それでいい。

私は他人に何か言われたとき、それを受け止めて一度は考えるようにしています。だって独りよがりになってるかもしれないから。だけど、その意見を受け入れるとは限りません。

だって相手に『意見する権利(?)』みたいなのがあるんだったら、私にだって『意見を受け入れない権利』があるはずだから。私は私の世界を、人生を、自分で彩っていきたいから。

私は他人の意見(世界?)を否定しない。

コレは、私の人生を生きる上で結構大切だと思うんです。誰だって自分の世界を否定されたく無いと思います。(理不尽なモノはキッパリ否定しますよ!)
それはそれとして認識する。私はそうすることで自分の世界と他人の世界の国境を決めています。受け入れづらいものも確かにある。だけどそれを否定したりする権利は私には無いと思う。『そういうもの』も世の中にはある、と思うだけで良いと思う。(理解する努力はしなくちゃならない。)いったん傍に置いておく、いつかふと理解できるかもしれないしそうで無いかもしれない。でもそれで良いんじゃ無いかなと思います。

私は最近よく口にするようになった言葉があります。それを紹介して終わりにしようと思います。何かあったとき口にすると少し力が湧いてきます。参考までに。

あなたも選べる。だけど、私も選べる。

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