TWICE アメリカツアーに行って初対面果たしました!
大変お久しぶりです。
この度、2/15〜2/28の2週間でアメリカ(LAとNY)に行ってまいりました。
このような状況下でしたが、TWICEのアメリカツアーに参加するためです。
どんなに言葉を尽くしても、特別な言い回しをしても、今回私が体験した全てを表現することはできませんが、せっかくの機会だし、最近Facebook更新してないし、フライト中かなり暇だし、思い出のカケラをここに残すべく書き始めました。
確実に長くなります。前提から書くので。笑
自己表現の限界に対する挑戦と思って頑張って書きます。
よろしければ、お暇なときにどうぞ。笑
最近、私に会っていない方はそもそも私がONCE(TWICEファン)であることすら知らないかもしれません。
とても簡潔に書くと、2019年終わり?2020年初め?の虹プロきっかけでハマりました。
それならNiziUじゃないの?って感じですが、ちゃんと理由があります。
その時期というのは、私にとって、そして全世界の人にとって、鬱々とした時間だったと思います。今は今でまたそうなっていますが…
コロナが始まった当初、人とのつながりが薄くなって、悲しいニュースも相次ぎました。
個人的には、2019年11月はこれまでいた旅行業界とは全く別の、介護業界で働き始めたタイミングでした。
旅行というのは、基本的にワクワクするもので「平和産業」と言われるように、世界が平和だからこそ成り立つ、いわば人生においてはトッピングのようなものです。
一方で、介護業界というのは、医療と同じく、今の、そしてこれからの日本には絶対に必要不可欠なものです。
つまり、どんな状況であっても絶対に体制を守り、サービスを止めることは許されないため、大変なこともたくさんあります。
私の入った部署は、経営企画に関わるところで、直接誰かに介護をするものではありませんでしたが、職員の人数が少なかろうと、休みが取れなかろうとサービスを止めてはいけない、その上で良いサービスを提供しなければならないというプレッシャーは十分に感じられました。
旅行会社に勤めていたとき、年に一度は休みを取り、海外を含め、行きたいところに行っていた私にとっては、1泊2日の旅行すらとても難しいという職員の方々の話を聞いて、「安易に自分の話ができない」と思ったことを覚えています。
仕事内容自体も、経営に直接関わる部門ということもあって、今までのどんな仕事よりも難しいものでした。それまで不遜にも、自分は仕事ができると思っていた私は入社早々に打ち砕かれました。
年上のお兄さんばかりの中に、何もわからない、しかも給料だけはそこそこの小娘がやってきて、きっと元々いたメンバーも「なんだコイツ?」って思ったはずでした。
介護業界の知識も、経営の知識もない私が、MBAホルダーやほぼそれに匹敵するような知識の持ち主たちと一緒に働くということは、本当に苦しいもので、自分の存在価値を見失うには十分でした。
そして、介護の仕事について3ヶ月ほど経ったとき、コロナは始まりました。
エッセンシャルワーカーを除く職員が全て在宅勤務に切り替えとなり、直接介護をしない私も在宅になりました。
それにより、今までのように実家で仕事をすることも難しくなったため、程なくして横浜で一人暮らしを始めました。
しかし、それによって、仕事上も苦しい時間が続く中で、辛いときに周囲の人とも話せず、しまいにはタメ口で喋れなくなるくらいになり、「あー今の自分は、本当にこの世界の中で一人ぼっちで、今連絡が取れなくなっても、仮に倒れたとしても発見されるのは早くても数日後だ…」と思うようになっていました。
このままだと本当にやばいと思って、実家に帰ったとき、何の気なしに妹が私に勧めたのが虹プロでした。
若い子たちが夢に向かって頑張ってること、もうとにかくプラスエネルギーが欲しかったこと、そして10年前にどハマりしたKpopの曲をカバーしていることですぐに熱中しました。
そのときにカバーされていた曲の一つが、TWICEの『Precious Love』でした。
元々私が応援していた子が歌ってて、「なんて可愛いんだ!!」と感激してたのですが、これを機に本家も聴いてみようと思ったのが最初です。
私は10年前にKpopにハマって以来、今どんな曲が流行ってるかということはうっすらでしたがずっとチェックはしてたので、TWICEの存在はもちろん、有名曲くらいは分かりました。
そして、過去にメンバーのうち一人が平成から令和に変わるときに「令和おめでとう」という投稿をして炎上したことも、ネットニュース程度ですが知ってはいました。
YouTubeで見た本家の『Precious Love』は、まだデビューしたばかりのTWICEが一生懸命に歌って踊っているものでした。
虹プロに出てきた、すっかりお姉さんになったTWICEもここから始まったんだなと、そのときは虹プロの子たち目線で見ていました。
ただ、せっかく見たんだから、これをきっかけに、ちゃんと知ってみようと調べていく中で出会ったのが『Feel Special』という曲でした。
先述の炎上騒動のほか、メンバーの熱愛発覚や不安障害、人気ゆえのアンチやストーカー。
さまざまな困難の中で、「ONCEがいるから何者でもない自分は、もう一度特別な存在になれる」と歌う曲です。
TWICEは、その挨拶にもあるように「一人一人が、100万人に一人(One in a million)の特別な存在」ということが、モチーフになっています。
虹プロでも餅ゴリによって語られていた通り、「一人一人が生まれながらにして特別な存在だ」ということを歌い続けてきたのが彼女たちでした。
『Feel Special』の歌詞は、介護業界での仕事で、完全に自分の存在価値を見失っていた自分には、心に突き刺さるものでした。
ただ、元々ネガティブ大優勝な私は、当時その程度では全く持ち直せておらず、「そりゃ、そんだけ人気があればね」なんて、TWICEに対しても斜に構えていました。
そんなとき、私を見るに見かねて、ずっと私を励まし続けてくれた職場の先輩にかけられた言葉がこちら。
"奥ちゃんは頭も切れるし、機転が効く、センスも申し分ないと思います。
何より、謙虚さやこういったことに悩むというのは誠実さの現れです。
めんどくさい奴ら、めんどくさい状況が周りにあるだけです。
奥ちゃんの価値は何も毀損されませんし、唯一無二の大切な存在ですよ。"
なにこれ、あなたJ.Y.Parkなの?って感じですよね笑笑
この言葉で、『Feel Special』で歌われてることを自分に重ねてもいいんだという許可というか、承認というかをもらえた気がしました。
そして、中学生のときにSomebodyという単語は「誰か」という意味だけでなく、「一角の人物(特別な人)」という意味もあるんだよと習って、自意識過剰にも「あ、自分のことじゃん」なんて思ったことを思い出しました。笑
そして、自分ももう一度Somebodyになれる。そう思うことができました。
そして、自分の作る会社の名前をONCE、TWICEにつながる「THRICE」としました。
それからは、辛いとき、怒りそうになったとき、悲しいとき、どうしようもなく寂しくなったとき、いつもTWICEの曲を聴いて、自分を無理矢理にでもポジティブにしようと心がけてきました。
ただ、2020年6月にONCEになってから、アメリカでコンサートに初めて入るまでの1年8ヶ月。
新型コロナウイルスが猛威を振るい、国境は閉ざされ、私はTWICEと同じ国に滞在していることすらありませんでした。
ひたすら動画で見るだけの日々に、「本当に彼女たちはこの世界に存在してるのか?」「もはや壮大なドッキリなんじゃないか?」という思いまで持ち始める始末でした。笑
そんな私にとっては、今回のアメリカ行きは、もう人生を(そして多額の費用を)かけた大イベントでした。
しかも、オミクロン株蔓延による水際対策の強化により、2週間アメリカに滞在した後に出国しても再入国後の隔離が当初2週間もあるような状況。
いくら自分で会社をしているとはいえ、たくさんの協力をいただく必要がありました。
子供の頃の遠足前にしてたように、あと何週間、あと何日、あと何時間と指折り数えて待つ中で、"絶対に出国前のPCR検査で陽性になってはいけない"と過度のプレッシャーを自分にかけてしまい、食欲はなくなり、生理は止まり、不眠にもなりました。
そして、出発前日に緊張して受けたPCR検査は無事に陰性。
仕事でもプライベートでもいろんな方に気にかけていただき、温かい言葉で送り出していただき、そうして迎えた運命の日。
ジャニオタ直伝のボードも持って準備万端で迎えたコンサートは、今でも信じられない、夢のような奇跡の連続でした。
あんまり言葉にすると、減っちゃうような気がするから、とにかく簡潔に。
まずは、TWICE実在したんだ!ってこと。笑
そして、どんなにポジティブに毎日過ごしてても、30歳が一区切りなんだと、どこかで思い続けてた自分に世界の美しさを教えてくれた感謝の気持ち。
こんなに美しい人たちが実在して、美しい曲があって、ファンの最高の声援があって、美しい交流があって。
まだもう少し、この人たちのいるここで生きてみてもいいなって思えるほどに、この世界はとても美しいと思わせてくれてありがとうございます。
他にも、アメリカ滞在中には、いろんな人と会って話して、いろんな物事を見て聞いてきました。
そんな中でやっと少しまとまった気がするのは、自分を大切にするための言葉。
Stop thinking, like a fool!
Force me to be positive!
Live my own life!
Love myself!
そして最後に!
辛かったことを書いた部分が、全部過去形なのは、すべてTWICEのおかげということ。