旅という趣味を棚卸しする
旅が好きだ。「アイスでボドゲな旅人」と書くくらいだから、旅は主要な趣味だ。いろんな世界を見て、感覚が刺激されるのがたまらない。
最近では、タマザラシという旅のパートナーができた。一度行った場所でも、「タマザラシに見せられてよかった」と感じることもある。恋人に思い出の場所を見せるのってこういう感覚なのかもしれない。知らんけど。
今回は、そんな旅について徒然なるままに綴っていく。
旅とは無縁の幼少期
実は、幼少期、というか実家暮らしだった頃は旅とは無縁だった。両親があまりどこかに行きたがるタイプではなかったからだ。
もちろん、夏休みや冬休みはある。だが、大抵はド田舎の祖母の家に行って終わりだ。そこから出かけるといってもほぼスーパーか墓参りだったのを覚えている。
休みが始まったらすぐに田舎に移動し、戻ってくるのは休みが終わる頃だったから、友達と遊ぶ時間もなかった。正直、田舎に幽閉されている感覚に近い。
当時の自分はなんとも思わなかったが、今の自分がアポトキシンとかで子供にされて同じ状況に置かれたら耐えきれないと思う。
大学時代の名古屋旅から旅が加速する
初めて自分の意志で旅に行ったのは大学の時だ。大学2年の時、バイトでお金を貯めて名古屋に行った。
何もかもが新鮮だったのを覚えている。自分が初めて飛行機に乗ったのは修学旅行の時。学校行事だから搭乗手続きも学校行事ver.のはずだし、言われた通りにやっていればよかった。
だから、空港に着いたとて何をしたらいいか全く知らなかった。
チケットを取ったときにQRコードをもらったから、とりあえず「QRコードをかざせそうな機械」に近寄って搭乗手続き。手続きを終えたら、機械が「荷物を預けろ」というからとりあえず手荷物の列を探して並ぶ……みたいなことをやっていた。
名古屋に着いたら、地図を見てホテルを探す。もちろん地図は見慣れているが、周りの景色が見たことのない感じだったので、「あぁ旅に来たのか」と感じた。
主要な観光地を巡り、名物を食べまくるベタベタの旅行ではあったが、この名古屋旅を機に一気にどこかに行くのが好きになった。
これ以来、長期休み以外にも旅に出るようになった。北海道にいるくせに土日を利用して日光に行ったりするようになったのだ。事後報告でよく友人に怒られたのはいい思い出である。
見知った土地でも知らない土地でも
自分は見知った土地でも、知らない土地でもそこに面白い何かがあれば訪れる。
元は、「一度行った場所には訪れない」派だった。「人生は短いから次の刺激を求めた方がいいだろう」「一度行った場所はどう足掻いたって知らない土地より刺激が薄くなる」。そう考えていた時代もあった。
だが、1つの土地を1回の旅ごときで味わい尽くすことなんてできない。だから、一度行った場所には「次に行きたい場所」が必ず残ることになる。
見知った土地には強烈で鮮烈な刺激があることが多い。一方で、一度行った場所には「噛めば噛むほど」な感じの魅力がある。
両者を訪れる時の心持ちはそれぞれ違うが、それでもどちらも訪れるし、来訪が楽しみなのだ。
死なない程度に冒険したい
もちろん今後も旅はしたい。死なない程度に冒険をしたいと考えている。
自分は新しいものに出会う感覚を求めている。刺激を求めていると言い換えてもいいだろう。旅を始めた理由も「刺激があったから」だった。
だが、自分は刺激を求めてエスカレートしがちだ。幸い、それで命の危機に瀕したり、罪を犯したりしてしまったことはない。
しかし、高校時代の自分が「無茶やって早死にするな」と警告しているし、当時の担任にも「好奇心で覚醒剤に出を出すな」との送る言葉をいただいた。きっと自分は加減を知らないのだ。
死なない程度に刺激を追い求め、死ぬときに「これだけいろんな世界を見れたらまぁ納得するわな」と思えるよう、今日も自分は旅をする。