人生は結局自分の見方次第で神ゲーにもなる
こんにちは。okknです。
テレワークをしていると、お菓子の消費量がヤバいっす!
ついつい手を伸ばしちゃうんですよねぇ・・・。
昨日の #自己紹介 の続きです。
では、Re:社会人編を。
とりあえず生い立ちはこれでおしまいです。
5. とりあえず動き始めちゃった(てへぺろ(・ω<))
一応、防衛大学校は公務員として働いていたとはいえ、民間企業的にはどうやら一般大学と同様に扱うという情報を仕入れた。
つまるところ、大学中退、最終学歴は高卒。
そして、就職をせずに半年ニート、2年間フリーター。
なかなかやばいやつというわけだ。
にもかかわらず、社会人経験はあると見做す人もいて、第二新卒の枠組みに入れられたりもした。
しかし、防衛大学校を知らない人は私のことを前述の通り、高卒の未経験と見ていた。
(いろいろ状況がおかしい気もするが、世間的にはそう見られていた。)
とりあえず就活を始めようと思い立ち、ネットで情報収集を行っていた。
すると、以下のサイトに出会った。
少し昔と名称が変わってしまったが、「ジェイック 営業カレッジ」というものである。
2週間の社会人として働くための講習の後に優良企業と集団面接会を行ってくれるのである。
集団面接会は書類選考を飛ばして、各社と直接5分ほど話せる機会をジェイック側が用意してくれるというものだ。
企業としても選考に進む前に書類選考だけでなく、直に選考対象に会えるとあって、なかなか好評のようだった。
なんとこの営業カレッジは無料で講習を受けられるのだ。
そこに惹かれた。
仕組みを調べるとすぐに分かったが、ジェイック側は企業から成功報酬をもらっているわけだ。
ジェイックのカレッジ生が企業に入社できた時、企業側からジェイックに対して報酬が支払われる。
よって、カレッジ生は一銭も払わずに講習を受けられる。
ということで、無料といえども怪しくないことはわかった。
そこからは申込みをして、いついつから来てくださいとメールを受けて、講習当日がやってきた。
講習会場に入ってみると10人で講習が行われるようだ。
教えてもらうことは社会人として基本的なことばかりだ。
しかし、周りを見てみるとそれができていない人ばかりのようだ。
なるほど、未経験としては確かに良い場かもしれない。
しかし、私にとってはすべてが体験済みのことだったので、柳に風とばかりに言うことをしっかりと聞いて、それなりにやることはやっていた。
先生は厳しい感じの人だったので、できていない人がいるとすぐにお説教が始まった。
やれ言葉遣いがなっていないだの、話を聞く態度がなっていないだの、ホウレンソウができていなかっただの、納期を守らないだの。
ただ、前述の通り社会人として基本的なことなので、できてもらわないと困るわけだ。
それでも、厳しくてこの講習をリタイアしてしまう人もいるらしい。
その人の人生は正直なところお察しだが・・・。
そんな感じで迎えた2週目。
1週目は基本的に座学や社会人マナーの実践的なことを中心的に学ぶ。
そして2週目はこの講習の目玉である、飛び込み営業が待っている。
1冊600円の社会人マナー本2種類を、企業に訪問して飛び込み営業を行い、売ってくるというものである。
やりづらい要素として、この社会人マナー本が薄っぺらくて、本当に600円の価値があるのか?と言いたくなるようなシロモノであることだ。
なかなかにハードルが高い。
最悪売れなくても名刺交換をしてこいよというミッション付きである。
これを2日かけて行うのだが、当然目標を自分たちで決めなければならない。
私は2日で本を2冊と名刺交換120枚を目標とした。
先生から「(販売目標が)少なくないか?」と問われたが、「これが妥当なのでは?」と居直って押し通した。
あまり強く言われなかった理由はなんとなくであるが、今までの行動から多分私が一番無難に達成して来そうだと思われていたからではないかと、あとになって回顧したものだ。
いざ飛び込み営業を行ってみると結構辛いものだと感じた。
肉体的にもそうだが、精神的にも来るものがある。
なんでこんな本を売っているのだろうかと自問自答してしまったり、企業側からは「いらない」だの「間に合ってる」だの「帰れ」だの「セールスお断り」だのと断られ続けたり。
とはいえ、食い下がる部分はしっかりと食い下がったおかげか、1日目で名刺交換枚数72枚は達成した。
訪問件数は多分120件ほどだった気がする(先生への報告対象だったのだが、途中から数えるのを止めた笑)。
これで1日目が終わった。
2日目。
朝から30件ほど訪問した時、奇跡が起きた。
なんと、元ジェイック卒業生という方が2種類のマナー本を1冊ずつ買い取ってくれたのだ。
挨拶して名乗ったときから、先方は「あぁ、お疲れ、いいよいいよ、入って入って」とものすごくフランクだと思っていたら、それはフランクになって当然だと納得してしまった。
名刺交換もして本を買っていただいて、いい出会いに少し和んでしまった。
もしかして、この飛び込み営業はこういう方と出会うことも込みで行われているのかもしれないと思った。
もちろん、熱意やそういったものを感じ取ってもらって、押しに負けて買い取ってしまう人もいるだろうが。
それからは肩の荷がおりて、淡々と名刺交換を行うだけの作業ゲーと化してしまった。
そして100件近く企業を訪問してタイムリミットまで1時間残った段階で、販売目標も名刺交換目標も達成してしまった。
ならばやることは・・・
スタバに行きましょう!
その後、1時間ほど暇を潰して講習会場へと帰っていった。
目標を達成できれば、無駄なところに力をかけても仕方ないと、悪く言えば諦めてしまったわけだ。
でも営業職って、1件でも多く受注を勝ち取ることが仕事だよな。
あれ?なんで俺って営業をやりたかったんだっけ?
6. okkn、迷走します
少し疑問にも感じたが、営業職をとりあえず目指そうと思った。
とにかく正社員になりたいのだ。
営業職は誰でもなれそうだし。
(注:当時の思考です。今は一ミリもそんなことは思っておらず、営業職の方には尊敬と感謝の念しかありません。改めて記事にするのも面白そうですね、営業さんリスペクト記事。)
履歴書はとにかく当たり障りのない感じで、自分の活かせる部分を長所とした。
営業職とは関係のない部分で自己PR文を書いた。
絞り出して書いた感が否めない文章が出来上がった気がしなくもないが、アドバイザーさんからもOKをもらったので、問題無しとして集団面接に臨んだ。
そこからが第二の地獄の始まりだった。
最初の集団面接は22社くらいの企業が来られて、1日の間にすべての企業と5分程度会話をする。
挨拶、礼、自己紹介に始まり、自己PRや頑張ったことや趣味やらの基本的な事項を企業側に答えていく。
そして5分が過ぎていく、ということを20回程度繰り返す。
なかなかに大変なものがあった。
それでも次の面接につなげるために必死だった。
なんとか集団面接を終えて、結果発表まで待っている間はドキドキだった。
1週間後くらいに結果をいただいた。
結果的に3社の企業から面接に来てほしいと言われた。
少ないかなと思ったが、これくらいが平均的なものらしい。
良くて5・6社、悪ければ0社。
因みに、同期の中に0社はいた。
0社だった場合は、他の就活媒体から自分で就活を行うか、続けて後の日程の講習を受けている人たちに混じって集団面接をするか、になる。
留年している人のようで嫌だなと感じた。
それからは面接に来てほしいと言われた3社の企業研究を行ったり、面接練習を行ったりして時間を過ごした。
3社1次面接を受け、結局1社も2次面接に進むことはできなかった。
沈んだ気持ちになったが、ここで挫けてはいられないと思い直した。
留年している人のようになってしまったが、後の日程の講習を受けている人たちに混じって集団面接を受けた。
が、今度は1社も受からなかった。
それでもへこたれずに次の集団面接に臨んだ。。。
それから半年が過ぎた。
もうやめようかなと何度も思った。
半年の間に集団面接で会った企業数は200社近く。
面接に行った企業は50社近く。
(個人で就活媒体を利用して面接を受けたものも含む。)
そのすべての企業にお祈りされた。
もう、真っ白に燃え尽きる寸前まで追い詰められていた。
7. 灯台下暗し
卒業シーズンに差しかかった頃、高校時代の友人が飲みに誘ってくれた。
友人は旧帝大の一つの大学院生で、修士1年目ももう終わりだ。
今は論文の執筆に忙しいらしい。
そんな感じでお互いの近況報告をしていたが、私の話を聞くと励ましてくれた。
ふと、3件目のバーでその友人は何かを思いついたように語りだした。
友人「先輩がさ、最初は商社関連のところが向いてると思って就活してたんだけど、でもなんか違うなと思ったらしくてさ。IT関連の企業を受けたんだって。そしたら面白いように受かりだしたんだってさ。多分IT系のほうが向いてたんだと思うだよね。
okknはさ、なんで営業職ばっかり受けてるの?俺は絶対お前にはIT系が似合ってると思うんだけどな。昔からパソコンとか好きだったじゃん?なんでそういうところ受けないの?」
天啓を聞いたようだった。
そうだ。
なぜ、営業職にこだわっていたのか。
就活を成功させるという目的は、別に営業職でしか達成できないわけじゃないんだ。
それを聞いた瞬間、一気に酔いが冷めた。
翌日、すべての覚悟を決めた。
IT系をとりあえず向こう半年は受けまくる。
それでダメならまた誰かに相談しようと思った。
そうと決まればまずは業界調査だ。
IT系企業にも営業やらコンサルやら色々と職域があることはわかったが、やはりエンジニアとして手を動かしたかった。
そのエンジニアの中には大きく分けて2つあることがわかった。
インフラ系と開発系だ。
どちらかといえば開発系に行きたいという思いがあったが、色々調べているうちに一つの事実に気づいた。
これからの時代はクラウドが来る、と。
クラウドが来るということでいろいろと得られた情報から妄想を始めた。
アプリをクラウドに載せる。
それはきっと開発の人でもできるようになっていくのだろう、と思う。
でも、クラウドは詳しく調べれば調べるほど、よくわからない単語でいっぱいだった。
ルート、ゾーニング、DNS、SSL、DHCP、NAT、スイッチ、デフォルトゲートウェイ、仮想化。
解説サイトを読んでもよくわからない。
ということは逆に考えれば、これがわかる開発系の人というのは重宝されるのでは?
そう考えた時、とりあえずインフラ系でいろいろなことを学んでから開発系の人になろうと決心した。
インフラ系の企業でどういうところが良いか下調べしていたが、地元ではあまりいい企業はなさそうだった。
仕方がないので、東京に行くことにした。
気が重いが、親に話さないといけない。
今まではことあるごとに「やめなさい」だの「その営業の会社は大丈夫なの?」だの「B2Cはあんたには向いてない」だのと言われてきたから、また反対されると思っていた。
しかし、親に話すと、一言「いいよ」、と。
今思えばある意味当然だと思える話だが、親は子供が変な会社には行って欲しくないとの思いで言っていただけだったのだ。
だが、子供が覚悟をもって東京に行くと決めたのだから、それは親として反対しようがない、と思っていたのだろう。
今までバイトで貯めていた貯金をすべて下ろしてきて、東京のインフラ会社をあたってみた。
就活サイト経由でいくつか書類選考に応募したところ、3社から面接に来てほしいと回答があった。
地元から東京までは離れていたために、一番難航したのは面接の日程調整だった。
東京に行ったら、できれば一度に3社とも受けて帰って来たい。
そして、なるべく宿や新幹線は使わずに夜行バスを利用する。
貯金は10万ちょっとしかないので、できる限り節約しなければ!
ちょうど4月から始めて1ヶ月経った時、驚くべきことに3社とも内定をいただいた。
それから更に2ヶ月後、6月も終わり、梅雨が明けそうな頃。
7社のインフラ系の企業を受けて、7社とも受かっていた。
驚きで何も言えなかったが、ようやく報われたと思った。
だが、これが向いていたのだし、これが自分にとって正しい道だったのだなと思えた。
そもそも業界調査や企業研究の段階で熱の入り方が違っていたわけで。。。
やっぱり好きだったんだなって、改めて思い直した。
その後、そのうちの1社、社長と一番気があった会社に入社した。
少し給料は安かったが、背に腹は変えられないと思った。
その会社に入ってからはメキメキと成長していった。
最初に新入社員研修が2ヶ月間あり、その期間の中でCCNAを取得しなければならないのだが、私は40日かけて972点(1問間違い)で合格した。
派遣先に出向すると、VMWareとAWSを使う現場で、やりたいことができてしめしめと思ったものだ。
それからというもの5年の間に二度ほど転職を繰り返し、現在に至る、と。
(このあたりの話はまた別枠で。)
友人の一言がなかったら、正直なところこうはなっていなかったと思う。
でも、それも含めて人生なのかなと思った。
■終わりに
超絶長い駄自己紹介文を最後まで読んでくださった方、誠にありがとうございます。
少しでも私の人生がお伝えできていれば嬉しいなと思います。
私は常々自己紹介はなぜ短くまとまっていなければならないのかと、疑問に思っておりました。
ならいっそ、こういう場で、文章として真逆に、「自分が何者」であるかを「長ったらしく」紹介してやろうと思い筆を執った次第でございます。
実はまだ、まとめ編と趣味編を執筆予定だったりします(笑)。
自分のことに共感してくれる人は一人でも多いほうがいい気がするので。。。