便利さを知る代償
こんにちは。okknです。
久々です。
生きています。
毎日書く気力は戻りません。
やはり、たまに思ったことを書く程度が私には限界なのだと思います。
今日は、最近思ったこについて書いていきます。
最近、私はiPhone12 miniを手に入れました。
昔から私はコンパクトなスマホが好きで、最近の傾向である「スマホの大型化」は歓迎していない人です。
私が許容できるコンパクトなスマホとは、幅が67mm程度、縦が140mm程度、厚さが8mm程度くらいです。
そのため、今まではiPhoneSE(初代)を所持していました。
しかし、流石に画面サイズが小さすぎると思っていました。
老眼ではないので、小さい文字が読めないとかそういった話ではなく、1番気になっていたことは「WEBページが5.5インチ以上のスマホをメインターゲットにしていることが多く、WEBページが閲覧しづらくなっていた」ことです。
そして、ここに来て発表されたiPhone12 miniです。
まさに欲しい物のドンピシャでした。
幅が64.2mm、縦が131.5mm、厚さが7.4mm。
そしてディスプレイは5.4インチのOLED。
最強です。
即ポチリです。
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そんなこんなで自分の中では「いいなこれ、丁度いいな、使いやすいな、サクサクだな、ゲームもいい感じだな」などと(5Gは正直まだどうでもいい)感激の★5つ評価をしていたのですが、気になる評価コメントを見つけました。
> 思っていたよりもベゼルが厚い。
私は、ベゼルレスになればなるほど嬉しいですが、究極のベゼルレスでないと嫌だと言うわけではありません。
iPhone12 miniのベゼルが全く無いとは当然言えませんが、私からすれば十分細いと思っています。
ましてや厚いとは思っていません。
これは結局のところ個人の感覚になってしまうので、難しいところではあると思います。
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話の軸を少し過去に戻しましょう。
2008年にiPhone 3Gが日本に到来したときはこんな感じでした。
当時は、当然のことながらガラケーでも、iPhoneでもベゼルが細いやら厚いやら、ましてやベゼルレスなんて話はこれっぽっちもなされていませんでした。
しかし、時を同じくしてテレビの世界では、ベゼル厚数mmの狭額縁テレビが製品化されていました。
ベゼルを細くする最大の理由は没入感です。
ディスプレイと筐体の境界が少ないと、映像に、コンテンツに過度に没入することができます。
細いベゼルは我々に素晴らしい映像・コンテンツ視聴体験をもたらしてくれるのです。
狭額縁画面のテレビができたのなら、ノートパソコンでも可能になり、スマホでもできるようになります。
技術の進歩とはそういうものです。
2015年に発売されたGalaxy S6/S6 Edgeあたりから明確にベゼルのスリム化が始まったのではないかと思っています。
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話を現在に戻して、ベゼルレススマホは遂に現実のものとなりました。
例えば、OPPOのOnePlus 7 PROなどでしょうか。
使いやすいか、使いづらいかの議論についてはさておき、最高の映像・コンテンツ視聴体験を獲得したと言っても過言ではないでしょう。
しかし、世のスマホ(iPhoneシリーズも含む)の全てがベゼルレスでないことは承知の通りかと思います。
目指すデザインがベゼルレスでなかったということであったり、内部基盤の空きがなかったということであったり、コスト的な理由であったり。
ただ、そんなことはベゼルレススマホを知ってしまった人には関係がありません。
ベゼルが1mmだろうが2mmだろうが存在しているスマホはベゼルレススマホではなく、そしてベゼルレススマホと比較されてしまうのです。
その結果が先程の「思っていたよりもベゼルが厚い」という言葉に集約されているのだと思います。
因みに、ベゼルレスについての参考記事はこちら。
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新しい技術が生まれることは決して悪いことではありません。
技術の進歩は我々の生活を便利にしてくれるからです。
そして、それらの技術を我々が知り、利用することも当然悪いことではありません。
しかし、新しいものを知るということは痛みを伴うことです。
なぜなら、何も知らなかった状態に戻ることはできないからです。
スマホが便利だと知りつつ、スマホを使わないという人がいるでしょうか?
TwitterやInstagramといったSNSの便利さを知っている人が、敢えて手紙を主のコミュニケーション手段としているでしょうか?
十中八九、答えは否です。
知らなければ、付随する煩わしさに悩まなくてよかったにも関わらず、知ってしまったがゆえに多くの煩わしさ(痛み)に現代人は振り回されているように思えてならないのです。
これが「知ってしまった痛み」です。
例えば自分にあったスマホはどのように選べばよいのか?
例えばフォロワー数を伸ばすためにはどうすればよいのか?
スマホもSNSも知らなければ、「知ってしまった痛み」に思い悩むことはなかったと思います。
ベゼルレススマホの存在、ないしは使用感を知るがゆえに、ベゼルがあるスマホを使ってみると「意外とベゼルが厚い」という感想が漏れてしまう(と思っています)。
ならいっそ、ベゼルが厚いスマホしかなければよいのにと思ってしまいます。
この「知ってしまった痛み」と決然として闘うことが、現代人には求められているような気がします。
諦め・悟り・断捨離。
そういったものでしょうか。
まるで修行僧のようですね。
豊かになっているのか、なっていないのか、わかりませんね、全く。
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最後に、未来を迎えることに対して抗った二人組が登場する、私の好きなアニメ映画からセリフを引用して締め括ります。
「昔外の世界がこの町と同じ姿だったころ、人々は夢や希望にあふれていた。21世紀はあんなに輝いていたのに。今の日本に溢れているのは、汚い金と燃えないゴミくらいだ。これが本当にあの21世紀なのか。」
「外の人たちは心が空っぽだから、モノで埋め合わせしてるのよ。」
『映画クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ! オトナ帝国の逆襲』より