おくだ健太郎・歌舞伎ソムリエの 歌舞伎名作ノート ★伽羅先代萩(めいぼくせんだいはぎ)その1

伽羅先代萩 
めいぼくせんだいはぎ

伽羅と書いて、このお芝居の題名では「めいぼく」と読ませています。香りのよい高級な輸入木材のことです。

いわゆる「お家騒動」、すなわち立派な大名家が、主君を守る派とお家乗っ取り派に分かれて戦うストーリーのお芝居の典型的な作品です。

このお芝居では足利家のお家騒動という設定になっています。乗っ取り派にそそのかされた足利家のお殿様は、夜な夜な、廓に通って深い仲の遊女にうつつをぬかしています。廓への行き帰りに、伽羅で作られた下駄を軽やかに履きこなしているので、伽羅の二文字が題名に含まれています。足元のおしゃれを気取っているわけですが、こんなことをずっと続けているうちに、お家の財政はすっかり傾いてしまい、お殿様も失脚してしまいます。つまりこれが、乗っ取り派の狙いだったわけです。

さて、お家の跡継ぎとなった若君は、まだあとけない男の子。お家乗っ取り派は、スキあらば、と幼い命をねらっています。お屋敷のお台所で、食糧や水に毒でももられたら、ひとたまりもありません。そうはさせじ、と若君をたいせつに育てている乳母・政岡(まさおか)は、自身の息子・千松と若君・鶴千代君とをともない、足利家の御殿の奥の間にたてこもりました。この一間にあるお茶をたてるための釜を用いて、毎日すこしずつご飯を炊いて、幼い二人に食べさせて、必死に守っているのです。

このくだり、政岡をつとめる役者は、茶道のお点前の手順を随所にいかしながら、ご飯を炊く演技をします。茶道には欠かせぬ「袱紗」(ふくさ)を端正にさばきますし、お米をとぐときも、茶筅で抹茶をたてるようにとぎます。歌舞伎役者は日頃から、おどり、三味線や鼓、太鼓など和楽器の演奏などの稽古をかさねていますが、そういう舞台上の表現に直結するもののほかにも、茶道、弓道、書や絵、馬術など、さまざまな技能を「たしなみ」として身につけています。ここでの政岡の演技には、そういう役者としての「心得」を披露、発揮する、という意味もありますが、それ以上に、こころをこめてご飯を炊いて、若君とわが子のひもじい思いを少しでもやわらげてあげよう、という政岡の心情がこめられていると思います。

茶飯釜(さはんふ)という、お茶もお米も炊けるように作られた大ぶりの釜があるそうですが、この場面で用いるお茶道具もたしかに、そういう作りになっています。舞台でじっさいにご飯をこれで炊くわけではなく、あくまでもしぐさ、演技としてすすめていくのですが、用いる道具には一切の「手抜き」はなく、それこそ、美術館などへの展示にも値するような本格的なものです。こういうところにも歌舞伎芝居という舞台芸術の値打ちがあると思います。

そこまでの思いを込め、手間をかけて、やっと炊き上がったご飯は。。。これが本当に雀の涙そのもの、わずかな量です。育ちざかりの子供たちには足りるはずがない。でも若君も千松も、お行儀よく、ひとくちひとくちを大事に大事に口に運びます。その健気なすがたを見て、思わず政岡が涙をこぼす。それこそ戦時下の日本の家庭、食卓においても、こんな光景がいたるところにあったのでしょうか。見ていていろんなものが胸に去来する場面です。

それでも、なんとかこれで、きょうも空腹をしのぐことができました。やれやれひと心地。。。というこのとき、栄御前という高貴な婦人が来客としてやってまいります。じつかこの奥方、この屋敷のお家乗っ取り派と内通していて、若君を始末すべく、毒入りのお菓子を差し入れに持ってきたのです。

栄御前を出迎えるべく、政岡以外の屋敷の女性たちもこの場に顔をそろえますが。。。その中には、お家乗っ取り派のひとり、八汐(やしお)というお局も含まれています。その八汐が、毒入りのお菓子を受け取り、「まぁおいしそう!さ、若君さま、早くお召し上がりを」と菓子箱のふたを開いて中身を見せながら、巧みに誘いかけます。

ついさっき、やっとの思いでご飯にありついた若君ですが、なにせ食べ盛り。思わず手を伸ばしかけると、(だめです!いけません!)と政岡が慌ててとどめます。と、すかさず栄御前は「なぜ止めるのじゃ?」と政岡を問い詰めます。返答に窮する政岡。ほかの局たちが助け舟を出しますが、栄御前は追及の手をゆるめません。政岡が、せっぱつまった、さぁそのとき・・・

その2に続きます。

©️おくだ健太郎・歌舞伎ソムリエ
http://okken.jp/

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