少年時代の話② 死にかける
ここまでの人生でただ一度だけ死にかけたことがある。小学生の頃、家の台所で飴玉を喉に詰まらせたのだ。
当時専業主婦だった母が非正規で仕事を始めた。よってそれ以後、僕は学校が終わると誰もいない家に帰宅することとなった。勝手口の鍵を持たされ、放課後はそれを使って家に入り、ひとまずお菓子を漁って食べることが習慣になっていた。
その日もいつも通り学校から帰宅し、家には僕1人だった。そしていつも通り食べ物を漁ったが特に目ぼしいものは見つからなかった。かろうじて冷蔵庫に飴玉を見つけたので、ひとまずそれ(味はマスカットだった)を口に放り込んだ。が、思いの外その勢いが強く、口の奥の方でキャッチしていまいそのまま喉にスッポリとはまってしまったのだ。舐め始めてもいないまん丸の飴玉がスッポリと。当然息ができない。家には1人で助けてくれる人はいない。
「死ぬ!」
僕は焦り、なんとかして飴を吐き出そうと喉の筋肉を動かして、嗚咽にも咳にもならないもがきを繰り返した。それは死に直面した生き物の本能が反射的に起こした行動だった。
しかし体が本能で必死に飴を吐き出そうともがき苦しんでいる一方で、頭の中で考えていたのはこんなことだ。
「家で1人で死んだら家族は責任を感じてすっごく悲しむんだろうな。なんて寂しく切ない死に方なんだ‼︎」
「それよりこの前買ってもらったばかりでまだ開封してもないニンテンドーDSのカセット『レイトン教授と魔人の笛』ができないまま死ぬなんて‼︎あまりにも悲しすぎる‼︎悔しすぎる‼︎」
「マスカット味っていかにも小学生が選びそうな味って感じで、これ詰まらせて死ぬってなんだかちょっと…恥ずかしい‼︎レモン味とかの方がクールで良かったかも。渋めに梅味とか。」これは嘘。
喉の懸命な嗚咽によって飴は台所の流しにボトリと吐き出され、僕はなんとか生き延びた。
「死ぬかと思った‼︎‼︎死ななくて良かった‼︎‼︎」
ほんとに死ななくてよかった。1人寂しく飴を喉に詰まらせて死ぬなんて、あまりにも切なすぎる。しかし、死にそうだというのにあんなにくだらないことを考える余裕があったなんて不思議だ。本当はそれほどピンチじゃなかったのかもしれない。もし今飴を詰まらせるなら「気になっててまだ観てない映画めちゃくちゃあるのに!」とか思うのだろうか。
あの時実際に死んでいたらと思うととても切なくなる。周りの人を悲しませたかもしれない。人はいつかは死ぬが、やっぱり死ぬことは悲しい。だからせめて、生きてるうちにやりたいことはやっておいた方がいい。ありきたりな言葉だが、やっぱりそうなんだと思う。レイトン教授をやらないまま死ぬんじゃないかと思った時の悲しみは冗談じゃなくとても大きかった。化けて出る程だったんじゃないだろうか。僕の場合本当に死ぬ時までもやりたいことがたくさん残っているような気がするが、それでもできる限りのことをやっておけたら幸せだろう。
とにかく飴には気をつけて欲しい。特に舐め始めはデカいから大変危険である。もしもの時に様になる味を普段から舐めておくのもいいだろう。渋めに梅味とか。