ストリートフォトを撮ってる時の心持ち
ふと考えたことなのですが
例えば自分が学生だったとして、学校の教室で普段関わりのないような陽気な人々、通称"陽キャ"の方々とたまたま近くの席になってそこで展開される"陽キャ"さんの話が面白くて、自分は別に会話に参加してない(できない)、ただ聞こえてるだけなのに思わず笑いそうになっちゃうくらいの心理的距離感というか
あるいはまた別の例えをすると、一人で喫茶店でぼーっとしてたら隣のグループの会話が面白くてなんとなく耳に入れてたらあまりに面白くて笑いそうになっちゃう距離感というか
視界に相対したそうした世界に対しそのような距離感で覗き見して、なるべくそのまんま残せるように撮るというのが最近の心持ちです
写真において、よく「物語」というワードが使われます
大体は撮影者が紡ぐものとして使われている印象ですが、これに対しぼくの写真にはそんな何か物を語れるようなものは特に無いし出来る気もしません、出来る方はスゴイ
しかし、多くの人々が気にも留めない何気ないもの・日常的なもの・大袈裟に言えば、「世の中の営み」みたいなものというのはそれ自体が大変に面白く、撮影者が強めの作為を以て紡ごうとするまでもなくそこにあるだけである種の物語が存在するのかなとと思っています
このような、ただそこに存在するだけの物語みたいなものを掘り起こす・発見する・出会う、そういう方向で写真が撮りたいなぁと思っています
自分の視界に入る小さな社会的営み一つ一つが人間社会を、ひいては世界を構成してると思うとなんだか自分もとてつもなく大きな人間社会の濁流の構成要素の一つで、しかしそれら一つ一つが面白おかしくて愛おしいなと、そんなこと考えてます
なんだか少々主語の大きな話をしてしまいましたが 特段明日から何かやることが変わるわけではなく、カメラという窓枠から世界の営みを覗き見させてもらうような気持ちで(させてもらってるの気持ちは忘れずに)、生活する上での道すがらだったり、たまに気合入れて撮るもの探したり、撮影時の多少の気持ちの違いはあるでしょうが、明日からも変わらず写真を撮ろうと思います
さて、明日は何が撮れるだろうなぁ
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